2016年8月2日火曜日
譲位
大スクープもその後の展開がどうなるのか・・・・よくわかりませんが、近々「お言葉」があるそうで・・・
御高齢だから、ゆっくりしていただきたいってな素直な感情が一般的のようですが、
なにかと思惑も含めて水面下の動きがいろいろとあるんでしょう。
天皇家には冷たい政権与党のことですから、
まじめに検討をした振りをして実は何もしないってことに落とし込みたいのでしょうか?
最後に譲位されたのが、19世紀はじめ(天明のころ)の「光格天皇」でありってなことは紙メディアにも書いてますが、
そんなことよりも、直系が絶えるという危機的な状況のなかで、このような事態にかんがみ、
新井白石が「閑院宮家」を創設しておいたおかげで、事なきを得たってことはどこにも書いてませんでしたねえ(苦笑)
したがって、今の天皇の系譜はここに始まるのです。
なかなかの「名君」であったと伝えられていますが、譲位の理由は定かではない。
幕府との関係を言えば「従前のような軽い神輿」ではなかったので、なにとか鞘当もありましたのでってことでしょうか?
あるいは、単に在位の期間が三十年を超えるって単純なことかもしれませんし、
傍系の宮家なので、なんかの巻き返すがないうちに譲位し、足場を固めてしまうってのはありげな話です
実在が疑わしい天皇も含め、過去124代の天皇のうち、半数は「譲位」をされていますので、
歴史的には、稀有のことでもない。
天皇という公式の立場を離れたもんで、のびのびと「陰謀や遊興」にふける向きもある。
歴史上のお騒がせは、たいていは「上皇」です。
後白河
崇徳
後鳥羽
後醍醐
ふと気になって調べるに、史上最初の譲位は皇極天皇です(舒明天皇の奥様)
孝徳天皇に位を譲るのですが・・・・・これって「大化の改新」という宮中クーデターの余波です。
蘇我一族の専横壟断に対しての天皇家の巻き返しってことになっていますが、
実のところはよくわからない。
天皇になりたくて仕方のない孝徳(皇極のご兄弟)を鎌足が上手く踊らしたとか・・・まあ色々
天智が首謀者ということになっていますが、謀略の裏側はわからないし、正史にはその真実なんか(特に都合が悪ければ)
記述しているはずがない。
少なくとも、逆臣とはいえ、我が手を血で汚した一級殺人犯をすんなりと天皇というわけにもいかなかったのか、
エキセントリックな孝徳をもてあまし、難波に置いてきぼりをし、皇極が再度登板し、その後天智へ・・・・
ある意味で、生前退位するのは当然のシステムであり、しないというか出来ないのは当時の事情からすれば「コスト面」という気もします。
天皇を担いで権勢を振るいたいって思う勢力家はあまたいますが、適当にそのうま味をシェアするというのも倭の統治学
とかなんとか・・・・しかし、今の統治の枠組みからすれば、今上天皇には申し訳ないが、不要の議論とは言いませんが
ことさら必要な政治検討課題とも思えない(名称はともかく譲位不要論には組しません)。
そんなことよりも、バッターボックスにたてるメンバーを潤沢にそろえる仕組みをどうするかのほうが大事でしょう。
まことに不敬ですが、皇位継承者がいなくなったから天皇制度やめますってことにでもなれば、
史上最悪の事態だし、憲法99条に照らし、大臣や議員、公務員は、不作為による犯罪者ってことにもなりかねませんが、
そんな覚悟なり未来に対する責任感は持ち得ないのでしょう。
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