2017年4月7日金曜日
季節ですので「わがやの花見」
貧乏長屋ののんきな連中が「花見」に出かけて・・・・という演目は元来は上方落語の「貧乏花見」をネタとする。
従って、舞台は桜の宮。
確かに桜の名所ではあるが、あまり風紀のよろしき場所だとは思わない。
江戸前落語になった際に「長屋の花見」とあいなり、あらすじもかなり変わってしまった。
どっちが面白いかは見方次第。
しかし、上野のお山での観桜は、多分史実ではないように思います。
徳川家の墓在所でドンちゃん騒ぎは・・・・多分ゆるされなかったような。
まあそんなことはどうでもよくて「我が家の花見」は(何度も書いてますが)
蓮華
桃華
と決まっていた。
家屋敷周辺の田畑には裏作代わりに蓮華をまき、華の絨毯に毛氈を引いて寝っころがり、遠くの桃華を楽しむ。
しかしながら、裏作に泉州玉葱なんかを植えるようになってからは、かような典雅な花見も出来なくなり、
祖父だか父だか忘れましたが、桜の木を数本田んぼの畦あたりに植えたのがウン十年前。
歳月はめぐり、立派な桜の木になった。
公有水面である河川の堤防あたりに植えたのですが、実のところ、この場所の土地所有権があいまいなのです。
むらがこのあたりだけ数本の桜を植える筈がなく、植えたのは我が家に違いない。
桜の木の北側の柿の木は大昔から我が家のものだと認知されており、誰もくすねようとはしない。
南側には、ちょっとした反対運動協賛のためにやたらに物権設定を複雑にしたガレージ(当時は団結小屋とも言われ)を設置しており、
これはちゃんと固定資産税を払っている(いまさら意味がないが、設定解除がややこしいのでそのまま)
更に枇杷の木と欅の大木で防御まで(笑)
さて堤防の上なのか横なのかこれがあいまいで・・・・
相続の結果、この桜の木は蝸牛の所有物だと信じ込んでいるが、もしかしたら代々の公有地への侵害行為かもしれない。
しかし、長期間にわたり平穏且つ公然と毎年花を咲かすのだから、いまさら立ち退くつもりもないし、
言ってくれば、その辺の環境保護団体を総動員して反対運動でも・・・・
徒然草に、桜の名木を愛でにいくと、持ち主が囲いなんかしているもんだから、
無粋で人情の知らない田舎もの!って兼好法師は罵って帰って来たらしいが、
この堤防あたりの桜の持ち主は薫風来南風韻芳香な気風ですから、
そんなまねはしないし、質朴な寒村住民も枝を折ったりもしない。
ろくに手入れもしないが、毎年見事に花を咲かせてくれる。
愛犬や愛猫が死去すれば、桜の根元に丁重に埋葬している。
梶井基次郎ではないが・・・・桜花とは桜の精であり、彼(彼女)らの魂魄との年に一度の邂逅なのです。
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