2017年4月26日水曜日

選挙の原点

1890年7月の第一回衆議院議員選挙
委細を知らないもんで、チョット紐解くに・・・・これが実に面白い。


定員300名の小選挙区制です(色々議論がありますが、これが区割の原点ですよ)
ごく一部に2人区がありますが、理由は判然としません(ゲリマンダリングかなとは思いますが、行政区画単位でたまたまそうなったとも)
選挙権、被選挙選とも制限選挙ですが、性別と資産別で区分され、
有権者数は、全人口比の1%チョット(所謂富裕層と言われる方々より多少多い)
当たり前といえば当たり前ですが、当時は有権者は地方の農村部に偏在する。
東京なんて無産階級の巣だった。
一票の格差は府県単位で計算すれば三倍くらいですが、選挙区単位では結構なもののようで、
都会部なんてある意味で当選しやすかったかもしれません。

ところで北海道や沖縄は代表者(当選者)がいません。
まさか近隣県との合区はあり得ないから、理由はひとつ!
有権者がいない(当時の資産基準からすればあり得ますえますし、逆に候補者もいない)
有権者がいないとは民意を代表する者がいないと言うことですから、当選者もいないと言うのはしごく論理的なのです。

競争倍率は、今とあまり変わらず四倍くらいですが、被選挙者資格要件が厳しいですから、それなりの資産家エリートが
我も我もと名乗りをあげたのでしょう。
職業に貴賎はありませんから、AV女優経験者でも、ろくに授業に出ていないスポ根アスリートが立候補しちゃ悪いとは言いませんが
どうも、マックスウェーバー言う所の「情熱、責任感、判断力」という政治家の資質に疑念がある。
資産があると資質がいいとは言わないが、恒産アレバ恒心アリ ともいう。
俄かに信じ難いが、北朝鮮並みの投票率90%以上
記名投票だと棄権しにくいという事もあるが、
十年にも及ぶ自由民権運動という血と汗で闘いとった権利ですから棄権なんて勿体無い事は考えられないのでしょう。


当然ながら、野党優位の結果となりましたが、国の方向性のベクトルが行政府と議会で大きく違うという事でもなかった。
早く西洋列強なみの文明国なるんだ!まではいいが、手順は様々。
ブルジョアジーの利害感からすれば、地租さえ上がらなければいい。
近隣国との通商が円滑に進めば産業勃興にもなる。
その意味で大陸進出は望むところだが、戦費は質素倹約で捻出せよ・・・という事で折り合いがついたようです。

当時の租税の中核は「地租」・・・要するに固定資産税(当時は国税であったか)である。
評価額は国がある程度恣意的(収益還元法みたいな方法のようです)決めれますから、
先々の歳入計画が立てやすい。
なんにしても、財政規律に関しては、現在と比べるべくもなく禁欲的で借金運営を当たり前とは思わない。
しかし、公債(国債)依存に早晩追い込まれ、麻薬のように財政を蝕んでゆく。
まがりなりにせよ近代立憲主義国家体制が完成し、民意を背負い日清戦争に進んでいく事になります。


当時の事象を現在の価値観で評価してはならない。
不徹底ながらの制限選挙とはいえ、完全普通選挙が世界的にも二十世紀中葉のころであり、
少なくとも、男子普通選挙は1920年代に実現しました。

日本の選挙制度の適否を選挙制度の実効度で測れば、だんだんに悪くなっている・・・としか思えない。
いくら制度的に素晴らしくとも使いこなせなければ意味性に乏しい。
日清戦争以降にわかに普通選挙実現の機運が高まった。
ありていに言えば「戦場に駆出すなら投票くらいさせる!」っていう分かりやすい理屈です。
加えて、その後の増税は皮肉にも有権者の激増を招き、運動に油を注ぐことにもなる。


権利に胡坐をかけば義務を怠る・・・というか義務に対する適当感は権利行使の適当感につながるのですよ。
主権者のレベルが低いのか候補者がろくでもないのか「ニワトリタマゴ」議論ですが、どっちも劣化がひどい。
第一回選挙の当選者名簿を見てますが・・・
名だたる民権運動家が当選しています(リーダーとはやはり中流以上なんだなあ)
睦奥宗光もこの時に和歌山県から選出されているとは知らなかった(大臣やりながらですから議会対策で送り込まれた?)
隈なく調べた訳ではないが、長野県から小坂某が当選しています。
あの小坂一族です。
いまの国会議員である小坂憲二氏は曽孫のようです。
つまり、世襲なんて言葉で言い尽くせない百年以上も赤絨毯を歩き続ける地方豪族って・・・


第1回衆議院選挙は、乗り越えられるべき歴史の一コマくらいにしか
思われていませんが、民主主義の原点として示唆に富む事象が数多あるのです。
でも、誰も学ばないのですよ・・・学べば、こんな劣化した状況は多少は改善されている。

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