2017年4月8日土曜日
別に「物言えば唇寒し・・」ではないのだが
上手くまとまっているので、そのまま引用します(読み飛ばしても文意は通じます)
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刑法の理論体系の構築に当たり、犯罪における客観的な実害、侵害的事実よりも
犯人の意思ないし犯人の一身的な犯罪性に重点を置くものが主観主義刑法理論であり、
これに対し、犯罪により生じた実害、客観的な侵害的行為の方面に重点を置くのが、
客観主義刑法理論である・・・・(中略)
今日では、犯人の悪意や犯罪性だけで刑罰を科せられるという極端な主観主義も、
もっぱら発生した実害だけを可罰性の尺度とする極端な客観主義も存しない。
犯罪の成立について、主観面をより重視するか、客観面をより重視するかの程度の差にとどまる。
(以下略)
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簡単に言えば・・・・
嫌な上司を殺害しようと三人の部下が居酒屋で謀議を繰り返し、グーグルマップで「上司の自宅場所をサーチ」したり
凶器の調達先を調べたり、逃走経路の下見をし、あまつさえ見つかれば家人もろとも惨殺だって・・・
ちょっとかっこいい自転車を夜半にこっそりと窃取してしまった
一体どっちの罪が重いのか?っていうサンデル教授の白熱授業のテーマそのもの。
共謀罪のお話です。
正確には「組織犯罪処罰法の改正案」の是非の論議
要するに、暴力組織のマネロン、麻薬、人身売買なんかを処罰するための法律を加重化しましょうってことであり、
一定の犯罪については、既遂、未遂以前に「謀議や準備」をやっただけでも処罰しますってことが良いのか悪いのかってなります。
構成要件該当性を厳密に読まないといけないのですが、そんな技術論よりも「処罰理論」の組み立てのほうが大事である。
それに法改正の手順が稚拙だから、多分ですが破防法同様に「抜けずの妖刀」になるに違いない。
蝸牛の立場は、法学部の学生時代から一貫して「主観主義刑法理論」の信奉者です。
罹患した病気を治すことは大事だが、病気にならないように予防するほうがもっと大事だと思っているし
汚染された水を元通りにするコストよりも汚染しないようにするほうが一般的には安上がりである。
被害が起きれば元も子もない。
未然に防止するシステムをつくることが大事なのはいうまでもない。
従来からの刑法理論を大きく逸脱するとか、冤罪を生むとか・・・反対論は姦しい。
しかし、時代は変化し、個人の犯罪よりも組織の犯罪のほうが社会に与える影響が大きいし、
冤罪云々は、実体法の問題ではなく手続法の問題である。
そっちの工夫なりが伴えば問題は小さくなるし、逆に捜査方法のレギュレーションの見直しもしないと
折角の法律が使いこなせなくなる。
そんな議論を真剣にしないまま、闇雲に立法化を急いだり、冗談な殺意だけで網走送りになるって・・・虚言を撒き散らすから
ことはおかしくなる。
立法事実があるとかないとかも不毛の議論。
人柱がたってから立法化を検討することを司法の後追い・・・平明に言えば「泥棒を捕らえて縄を編む」という。
今回の「共謀」なる行為は、陰謀と予備の中間に当たるようです。
陰謀が処罰の対象となるのは、破防法に該当する罪状と、内乱、外患誘致、私戦予備くらいなもので、
どれをとっても、適用事例は皆無に近い。
予備罪に問われたケースはままあるようですが、どっちかといえば「未遂罪には問えないが予備罪ならば・・・」って
事例が多そうです。
今回も、単なる陰謀罪の対象拡大に過ぎなかったものを、議論の過程でむざむざとハードルをあげてしまった感じがします。
結果的に運用で無理を重ね、物議をかますことになるんでしょう・・・・
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