2017年6月10日土曜日

制限選挙の功罪






国民主権を前提すれば、性別や納税額等で選挙権や被選挙権を制限することはあってはならないとされる。
年齢による制限も「抑制的」であるべき・・・ということも良識的な判断らしい。

然し乍らって事が、今日のお題。
年齢による制限を廃止するってどうでしょうか?
もっとも、赤児に投票しろって無茶な話ですから、親権者の代理投票です。
未来の国家を支える子供の意見が代理投票とは言え、投票に反映されるって素晴らしいと思いませんか。
と同時に、高齢者で、投票所に足を運ぶのが困難とか投票判断に問題ありげなお年寄りも、御子息に
投票代理を委託できるようにしてバランスを取ることも必要です。

当然反作用もあるはずですが・・・なんかあるのかなあ(ちょっと思いつかない)
つまりは、多くの良識ある判断ができそうな多くの人の意見をより忖度しましょうってことです。

ところで「良識ある判断」ができる要件とは実に難しい。
まずもって学歴でないことは確信をもって言える。
学歴は学力(大好きな表現だと「知力」です)を保証しない。
性別・・・・儒教的には養い難しは「婦女子」であるが「小人」も同様とされるので
これは考慮すべきではない。
長い人生でアホなオンナは山とみたが、馬鹿なオトコは其れを上回る。


資産の多寡あるいは納税額・・・
これは微妙だ。
例の「恒産あれば恒心あり」と訳知り顔にいうほど傲慢なつもりはない。
原典を正確に書けば「恒産なくして恒心あり、若もそれ民に恒産なければ、因りて恒心無からん」
出典は孟子だということですが、さすがにって思います。
つまり・・・
あるべきは、財産や収入に関わらず高い志を持つべきであるが、現実は・・・過度の期待ということです。

リアリズムに立てば、一定以上のクラスにのみ選挙権や被選挙権を与えることは「合理的」なのです。
選挙に参加したければ、這い上がってください。
生活保護に何時迄も無自覚的に甘んじるような真似はよろしくない。


他方で・・・以下加藤陽子先生(あの赤門建築学科卒業生の女子高の先輩です)の著作の勝手引用です。

明治の頃、初めての国政選挙の参加資格は納税額15円以上だった。
ところが、日露戦争前にこれが10円に改定され、有権者は倍増した。
改定理由は想像するに血税(徴兵)の対価として民草に投票権をよこせって声に押されたのでしょう。
日露戦争の戦費は凄まじいものであったようで、許容限界を超える課税をよぎなくされ、
まあ国民も耐えたという事です。
非常特別税法なる税制により、加藤先生の比喩的表現によれば、年間納税額を二回払ったという大変な負担だったという事です。
勝つには勝ったが、賠償金は手に入らず・・・国家財政を破綻させないためには
臨時税制のはずが恒久税制にせざるを得なくなった。
これは酷い話ですが・・・・
結果・・・有権者はさらに倍増し、投票の風景は異次元状態となり・・・
まあ一般的には政党の声が強くなり、より「民主的」になったというのでしょう。

普通選挙法(選挙権の資産制限の廃止)が実現したのが1925年。
歴史にIFはご法度ですが、大戦景気(通常は第一次世界大戦後のバブルを意味します)の際にどうして
超過利潤税を課して、財政再建を果たしあの臨時税制を元に戻さなかったのかって思うのですよ。
さすれば、一発で国政の景色は変わった・・・・かもしれません。
後世にとってそれが良かったどうかについては論評しませんが、
徒花のような大正デモクラシーやその後の政党政治の腐敗堕落を見るにつけ、
歴史の曲がり角でハンドル操作を誤ったのではなかろうか・・・という判断を捨てきれない。





0 件のコメント:

コメントを投稿