2017年6月12日月曜日

風呂敷





朝方のお散歩の途中で、登校中の眉目秀麗な中学生集団に出会うのですが・・・
阪神間の羨望のシンボルは、六麓荘の豪邸は別格としても、

馬糞帽
白風呂敷
ジャバラ制服

と決まっていた。
知らなかったが、馬糞帽の学校も白風呂敷、ジャバラ制服の学校は黒風呂敷だった
時代もあったらしい。

いまや白風呂敷は通学鞄に取って代わられ、甲陽中学はほぼ100%がバックパックである。
ごく稀にショルダー鞄の生徒さんも見かけるし、バックパックの色や形もさまざまなので、自由化が進んでいる。
他方で、灘や六甲はどうだかまでは知らない。
六甲は、未だに制服だが、灘は制帽は無くなったらしい。


思うに珍しがって口にするようなものでもなく、昔は革鞄なんてハイカラのきわみで高価だった。
ランドセルは、明治のころの軍装のなごりであり、
都会の富裕層だけが使っていたもので、全国的に普及したのは高度成長期
思えば、結構なお値段だと思いますし、昨今では親御さんのご負担も大きい。
しかしぴかぴかの一年生のシンボルだと思えば無理もするだろうし・・・
タイガーマスクがプレゼントしてあげる気持ちってその辺を忖度した上でのことでやっぱり尊いのです。


風呂敷はいまやファッションの一部であり、官僚や法曹の世界でも廃れた(・・・・らしい)
先様にお中元なんかを絽だか紗の着物を身を包んでご持参する際には、
三越さんの紙袋よりも真結びにした風呂敷のほうが
心がこもっているように思ってもらえる。
お作法としても、結びを解いて中身だけを差し出すって優雅でもある。
いくらなんでも風呂敷に包んだままお渡しするってないわなあ(๑˃̵ᴗ˂̵)
紙袋だって、そのまま渡すのは失礼って教えられたものだが、
いままでもらった事例で言えば、皆無に近い(苦笑)


風呂敷の文化的な雑学はいまさらいう必要もないが、
九尺二間長屋では、風呂敷を敷いた上に布団を敷くのが常識だった。
床下からの隙間風対策ってこともあるが、いざって時にはそのまま風呂敷に布団を包んで逃げるって生活の知恵である。
従って普通の風呂敷は、一反幅だとおもいますが、最大級は二間四方ってことになる。

鞄が「入れる文化」ならば風呂敷は「包む文化」だといわれるが、それがどうした(笑)
四足をすみからすみまで活用する立場になかった以上、皮袋にワインを「入れる」とかって発想になりそうもない。
当然ながら、差異であって優劣ではない。

しかし、ブランドの革製品ってどうしてあんなに高いのでしょうか・・・?
もっとも、用途に応じて、様々なサイズ・素材(木綿、絹等)で定紋と家名を入れた風呂敷一式をそろえれば、
ルイヴィトンって案外安いのよね(笑)
















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