2014年11月3日月曜日

1946年二月上旬に極東で起きたこと




その時歴史は動いた・・・とでもいうのかしら?
必然と偶然の微妙なバランスで時代は転換するわけで、新聞のスクープ一つで
歴史が、変わったわけでもない。
しかし、二月一日の「日本政府による憲法改正案」の報道がなければ、今の憲法の骨格が多少変わったかもしれない。
なにぶん、マイナーチェンジでお茶を濁し、革命的変革を嫌った政府案ですが、
あまりに当時の空気が読めていない。
GHQが唖然と激怒の中、二十五名のスタッフがたった九日で書き上げたのが、現行憲法の草案である。
壮大な実験というか歴史的偉業の前には専門性も時間の多寡もあまり関係ないみたい。
人手と時間をかければ良いものができるわけでもないことがよくわかる。

ある程度の予備知識のある事柄であるが・・・・
興味は「何故かような条文がこのような表現で」書きとめられたかということ。
今思えば、惜しみて余りある消えた条文があるし、そういうつもりだったのって得心することもある。

現行憲法は硬直憲法と言われ、改正手続きのハードルが高いことで知られる。
実際に半世紀以上改正をされていない。
一般には、最高法規である以上厳格な手続きであることが当然と解説され、教えられてきたが、実のところそんな論理的なことではなかった。
当時の倭人の民主主義理解のレベルへの懸念から、人権条項や皇位のあり方条文がスプリングバックすることを恐れたということらしい。
草案のモデルには、さらに厳格な改正条件がついていたらしいが、さすがに常識的なレベルに落ち着いた。

あの酷い戦争から生まれた美しい真珠なんて賛美される「第九条」ですが、
戦争の放棄は、1928年のケロッグブリアン条約で多くの国が批准している
当たり前の条項。35年のフィリピン憲法にも盛り込まれています。
積極的に侵略戦争を肯定する憲法があれば逆に教えてほしい。
あたかも世界史の奇跡のように神聖視し、呪縛のように倭人の心根をミスリード
した「罪」は、かの虚言や誤報以上に許し難い。

残念極まりないのは・・・これこそ改正をして盛り込むべきだと思うのが、
土地公有論。司馬さんが、この経緯を知っていればもっと声高に主張したにちがいない。濡れ手に泡的に暴騰する地価が日本人の精神を脆弱にすること懸念し、結果その文脈の延長に拝金主義が横行したことを思えば、残念至極。
倭国の社会主義者たちも、この経緯をよく勉強して「憲法改正案」を提案すればいい。公有の建て付けは、潜在的なものにしかならないが、過度に保護された財産権の行方はきっと国に危うく・・・すでになりつつある。



たかが、されどって程度なのが憲法。
唾棄するのも、崇めたてるのもどっちもどっち。
今日は、文化の日らしいが、憲法公布の日。
毎度の平和憲法を守ろう!ってスローガンを呪文のように唱えるだけでもなく
自主憲法制定も結構ですが、よく歴史を紐解くことです。
そうすれば、空気やムードに流されての間違いを繰り返さない。

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