2015年12月8日火曜日

どう呼ぶのが「正当」なのか・・・・




12月8日を起算日とするのが一般的である。
その意味で「太平洋戦争」・・・つまり真珠湾攻撃をもって開戦とする。
しかし、同日付けの開戦の詔勅では「大東亜戦争」という名称が使われている。

別に太平洋海域だけで戦闘行為が行われたわけではなく、東アジア全体が戦闘区域であった以上
後者のほうが正鵠を得ている。
しかし、敗者のネーミングは、勝者が嘉納するところにならず、とりわけ「大」なんて
戦争目的を正当化していると思われる表現である以上、
GHQ(要は占領軍)により禁止用語だとされ、
かような表現を使えば右翼のレッテルが貼られ、真っ当な歴史書であっても胡散臭く思われる。

一方で、満州事変以降終戦(敗戦)に至る期間をもって「15年戦争」という向きもある。
大東亜戦争という用語の対極にある表現であって、ある種の政治性臭さがある。
特段宣戦布告を行ったわけでなく(当方も相手側も)戦火が連続したことでもないので
不正確極まりない。
中華民国が、日独伊に宣戦布告を行ったのも12月9日であった。
お互いが宣戦布告もせずに局地的な紛争を繰り返せば、それは「事変」という。
開戦の詔勅では、戦争の相手方が「英米」だけであったが、中華民国が宣戦布告を行ったので
事後的に大東亜戦争の対象に追加したっていうのが歴史的事実。
しかし、宣戦布告がなかったから戦争ではないというのはあまりに意固地でもある。
実態面からすれば、やっぱり戦闘行為はあったわけである。

その他、様々な言い方があり、無難なところでは「第二次世界大戦」といっておくのが
一番マシかもしれない。


ところで、戦争という以上、絵になるような華々しい戦闘があってしかるべきであるが、

従前日本軍が一方的に惨敗したとされてきたノモンハン事件(相手はソ連)
有無も規模も定かではない南京事件

くらいしか思い浮かばない。
あちらこちらでゲリラ戦はあったようだし、
日本軍が前に出ると中華民国サイドは後ろに下がる。
乾坤一擲な赤壁の戦いのような大会戦で、日本軍兵士数十万人が殲滅したって寡聞にして聞き及ばない。

長征なるビッグイベントがあったようであるが、これは内輪もめに敗残した共産党が
一万キロ強を逃げまわった事象であって、兵力の九割が失われたって言いますから
とても英雄叙事詩には見えない。
結果、国民党政府と戦う力を喪失し、共同戦線を組むに至っただけでしかない。
当時の共産党は、国家として承認された存在でもなく、
コミンテルンだけが支援と指導する「イスラム国」みたいな存在であったと思えばいい。
今風に言えば「ローグネーション」である。


抗日戦争70周年勝利!!って言われても・・・
歴史を捏造・改竄することが伝統だし、そもそも「歴史」って学問ではなく政治だと
思っている民族ですので、物言いに対して真摯に批評する気になれないが、
ただ、センターはおろかベンチ入りすらしていなかったってことだけは覚えておこう。








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