2017年10月31日火曜日

金髪の核兵器





輝くばかりの美貌を封印すれば更に輝く不思議な女優さんだが、
フィジカルなアクションは苦手なはず....


稀代の汚れ役でオスカーベストアクトレス
イーオンフラックスでは、見るに耐えない反政府革命戦士


今回は冷戦最末期のベルリンで活躍するMI6のエージェント!
まるでロジャーコーマンばりなB級低予算のチープ設定
オリジナルタイトルの「アトミックブロンド」には苦笑しかない(^^)

しかしあのセロン様がそんな駄作に出るわけがない....
アカたん青タン生傷だらけ泥だらけ血塗れ。
定番の美貌封印路線(^^)
加えて、ルカレ並みのエスピオナージュな建てつけ。
味方だか敵だか(西側は仲間同士の騙し合い)皆目分からないまま
スパイゲームは大円団へ。
名作「裏切りのサーカス」セロン版!








オフィスボックスは好調らしいのは慶賀の至りらしいが、
理由は簡単だ。
一回観ただけじゃ内容が理解できないからリピーター続出(^^)




2017年10月30日月曜日

真の美食は固体の麦酒とは無縁だ








過日のイタリアンでの風景です。
毎度はエサと酒でお値段ハンハンですが、今回はこれだけをグラスでお願いしてしまった。
撮り忘れがあと二枚(^^)
食事の際に水しか呑まない蛙の類似種は黙ってなさい!
至福の三時間にとやかく言うものではない。
お皿に合わせてお願いしますって言っただけ。
あまり法外なのは困りますとは釘を刺しましたらかような次第。
手に入りにくいイタリアワインばかりみたいです。

まあ、ワインからお皿の中味を想像してください。
天下の素浪人とはいえ、食育には手を抜かない。
まともなものを食する事が最善の健康法である。

毎度のようにグダグダと古今東西の映画、文藝、音楽談義は尽きない。
ふと気がついたが、パンが手づかず
成る程、実に面白い(^^)


ビールが液体のパンならば、パンは固体のビールだ。
懐石ならばご飯は最後にしか出てこない。
しかし、パンが最初から出てくるのはビールの亜種だからに違いない。

パンはお皿とお皿の幕間である。
幕間はあくまで幕間であり、本舞台が至高であれば、余韻を含めて
固体のビールの出番は無いはずだ!
パンのお代わりを問われた場合「お願いします」とはお皿が不味いという
婉曲表現なのですよ。
ギャルソンにやんわりと問いただせば、和かな応対(^^)
的外れではなかったようだ。


長年泥水と安酒をかっくらってきたが、この程度の読みはできる。
またひとつ勉強が出来ました。



老いて学べは死しても朽ちず


折良くも、新規開店の食パン専門店がお隣さん。
種類が多様なのでいくつか見繕って試し買い(^^)










2017年10月29日日曜日

女神の手だって見えますよ!



監督の才能、主演女優の力量にも関わらず、興収は世界的に苦戦中。
大衆娯楽としては虎の尾を踏んだのか?

アメリカンには法規制に基づき三万人とも言われるロビイストが
暗躍している。
サンローサンやビクトリアベッカムのスーツを鎧に、
ルブタン(ではなさそうだが)のピンヒールを草鞋がわりに....
年収はざっと百万ドル超
しかし毎日25時間365日以上働けとなれば....蝸牛庵なら御免こうむる(^^)


まあブラック職種って事でなくとも、世界の半分は嫌悪します。
更に、倭国の男性のなかでも、あるレベルも顔をしかめる。


さてこの映画の宣伝マンの知的水準を疑う(^^)


女神の見えざる手


オリジナルタイトル(和訳すれば)は、単に「スローン嬢」
これじゃ興行にならないと言う判断までは良い。
しかしロクに勉強もしなかった経済史の雑学を持ち込むものではない。

アダムスミス氏の国富論の一節の換骨奪胎だという事くらい白痴は無理でも魯鈍だって分かる。
しかしスミス氏は「見えざる手」と言っただけで余計な形容詞はつけていない。
あるいは、内容が誤解されたまま今に至るのも不本意だろう。

個人の欲望の追求が社会全体を効率化するなんてあり得ない。
部分最適が全体最適を実現すると言ってるようなものだ。


誰も知らないところで、勝手に政治を動かしている事を
比喩的に表現しただけかも知れないが、あまり感心しない。

しかしそんな事は誰でも知っている。
が、知らないふりして見たくないのです。
カケソバだかモリウドンのスキャンダルの本質はそこにある。
権力者に擦り寄ると甘い汁を吸えるなんて太古の時代から分かりきった事だが、
面と向かって見せられたくはない。

予定調和とは人為的に作り出すものではない。
神の摂理なのだ。
ヒトザルの分際で歴史の流れを捻じ曲げてみようなんて思わない事だ。


しかしながら輿論は如何ともし難いが、世論ならば浅はか付和雷同なヒトザルの
感情操作なんか赤子の手を捻るようなものだ。
実際にそうなっている(らしいです)
みえざるものを見せてしまってはやはりいけないのです。
斯様な大衆心理の読み損ないが興行の失敗。


ネットでのオフィスボックスの数値が正しいならば惨敗。
ローバジェットだから重傷でもなかろう。
公開後一年を過ぎての周回遅れ倭国ロードショーですが、
小屋にかかっただけでも嬉しい。
ナンチャッテ、ジェシカチャンステインの大ファン(^^)


銃規制反対に与するロビイング会社を袖にして
反対陣営のキャンペーンを展開するロビイストに扮しますが、
パワフルな役どころは彼女に如かず
しかし修正第2条に正面切って闘って勝ち目は、
針の穴をくぐる駱駝のようだ。
国を蝕む薄汚れたネズミは何処にでもいることも
誰もが知っている。
しかしここでも見たくなきものを見せてしまった。
法案の行方はわかりませんが、彼女は刑務所へ
でも闘いに負けたわけではない。
スリリングな終盤の展開は、、、バラしたくなるなあ(^^)


興行の失敗はそんな事も影響したかも。
佳作だって優れて資本主義的な芸術は小屋にかかってナンボです。
プロデューサーの喉首をかききるのは訳ないのです。

繰り返そう
よくぞ公開してくれた事だ!
しかし、百席あまりの小屋の入りは日曜日というのに半分に満たない。
やっぱりタイトルが悪い。

2017年10月28日土曜日

野良犬(2)



映画の中で拳銃密売の卸みたいなオトコを捕獲するシーンがある。
場所は後楽園のようです。
ドームもない土のグラウンド。

懐かしくも、巨人対南海の試合
往年の名選手があまた登場しますから、実際の試合映像のようです。


ここからは野球オンチの本領発揮(^^)
セリーグとパブリックのチームが戦うのは、当時は交流戦がなかったくらいは知ってますから
オープン戦か日本シリーズのはず。
満員のスタジアムだから後者に違いない!

しかし、この映画は1949年の製作公開。
日本シリーズで両チームが戦ったのは翌年から....だとぐぐるに。
何だこれは!


思い込みとは怖ろしいものだ。
二リーグ分裂は、49年のこと。
それまでは、当たり前のように巨人対南海の試合があったのだ。

それぞれのリーグの覇者が日本一をかけて戦う、、筈が
昨今は短期決戦で勝ち上がったチームが戦うらしい。
可能性だけ言えば、それぞれのペナントレース三位のチーム同士の日本シリーズもあり得る。
何だか変な話になりませんかなあ(^^)
東の龍と西の虎が雌雄を決する世紀の対戦のはずだが、
決まった筈の龍虎以外が戦うのかね?
門外漢には意味不明だ。
スーパーボウルやワールドシリーズでも、リーグ戦とトーナメント戦の積み重ねで
龍と虎が決まり両者が戦うことになっている。


実際にそういう事態になれば考えればいいじゃないか程度の意識なら
それは、ファンや選手にとって失礼です。
選手にとっては人生がかかってますから、思いつきや朝令暮改は
失礼程度では済まない。
おかしいと言う声があがらない事がおかしいと思う蝸牛がおかしいのかなあ(^^)




2017年10月27日金曜日

角田源氏を読み出したが....




源氏物語の現代語訳とは畢生の大業であり、我が身を滅ぼす所業らしい。
円地文子氏は失明、川端は自殺、、まあ、谷崎や与謝野はどってことなかったし、
寂聴尼に至っては老いてなお盛ん(^^)

なんにしても大家がやるべきものと言う不文律があったかどうかは知らないが、
やはり角田光代さんには荷が重い。
彼女らしい大胆な源氏を期待したのだがなあ〜

サクサク読める素晴らしい現代語訳だと思います。
寂聴尼によれば、倭語は二十年単位で変化するそうだが、
その意味でコンテンポラリーな源氏
しかしなあ〜〜


浩瀚な大河小説なのですが、退屈にならない理由がある。
それは複式視座!
ヒカル君の物語なんですが、多様なオンナ達が魅力的。
研究論的には

藤壺、紫上系
夕顔、玉鬘系

の二つの系統のお話がからまり合い、その幕間に点描されるオンナ達のショートタイム
お肉料理とお魚料理がバランスよく登場し、それなりの箸休め
っていう感じのフルコースなのです。

これはこれで悪くは無いが、こんな機会しかないのだから

序幕があり、
二系統それぞれの物語にして一部二部
終幕はヒカル君の逝去(中味のない幻の巻をデッチ上げる)に収斂させて書く

って大胆にやれば良かったのに、、、
つまらない脇役のオンナはカット
秋好のなんとかや朝顔のうんちゃらなんてダイジェストなら不要です。
末摘花に花散里も忍び難いが切り捨てる。


宇治十帖をどうすべきかは思案中です。
だって、三巻本のうち第1分冊を読み出したばかり(^^)
今日時点では、アレヨアレヨというまに須磨明石は了読。



2017年10月26日木曜日

野良犬




あの頃の司法警察職員(所謂サッカン)は、皆さん真面目で愚直だったかどうかはともかく
そういう風に描かれます。

復員兵の一人(木村功)は全財産が入ったリュックを奪われ、悪のダークサイドへ
今一人(三船敏郎)踏みとどまり、警視庁の刑事になった。
拳銃をスられた刑事は先輩デカ長(志村喬)と野良犬のように犯人を追い求める....

黒澤明の初期の作品が4Kでブラッシュアップされてスクリーンで
鑑賞出来るのは至福である。
もっとも、懐かしの名画座風でじいさんばあさんばかりだ。
何年ぶりだか記憶にもないし、細部は殆ど忘れている。
淡路恵子のデビュー作品だとは今更ながらに気がついた(^^)
まだ「戦後」だった東京は、貧しくてざわついて変な活気がある。
扇風機しかない夏なのですが、上着を手放さない倭人の律儀さ。
結構今となっては違和感ある描写があるが、白黒映画の映像美としては
かえって相応しく瑞々しい。


一連の日本映画の至宝とも言うべき黒沢映画群ですが、いつまで著作権が
継続するのかしら?また、権利者は誰かしら?
早くパブリックドメインになり、気軽に鑑賞出来るようになればいいなあ〜
と思う反面、リスペクトの観点から権利終結の時期を遅らせても....
とかなんとか心は乱れる。


著作権法は難解でなかんずく映画に関しては複雑怪奇。
生半可な知識で取り扱えば、あの黒沢映画DVDの廉価版の
販売差し止め事件のような事になる。

まず映画の著作物の著作者は単純ではない。
条文を抜粋すれば「演出、撮影、美術等を担当して
その映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者」だとされる。
従って「監督」である場合もあり得るが、多くは「製作者」である。
つまり映画単位に創造のプロセスを吟味評価しないと
間違った解釈になる。
黒沢映画群に関してはナンチャッテ「黒沢天皇」ですから、
全体的形成に創作的に寄与したのは黒澤明氏だと東京地裁は
判断しています(但し正確には係争の対象だけ)
そして、黒澤明氏から映画製作会社が権利を法的に継承しているようです。

肝心の終結時期ですが、これが煩雑でしてねえ(^^)
またの機会にしますね。

2017年10月25日水曜日

集客営業でもやってみるか!






やっと届きました!
予定通りの「朝一番」
終演予定が18時を越えますから、あとは何をしようか・・・(笑)

見る人が見れば、唸るような演目やらバックのプロ能楽師たち
なんと人間国宝が三人も登場しますねえ
能が今どき二番も(玉鬘と海士)
あとはずらりと舞囃子
豪華ですねえ・・・これもアベノミクス効果でしょうか?


毎度蝸牛庵風の講釈をしていますが・・・

能=オペラ(ミュージカル)です。
ギリシャ悲劇は我が身に降りかかる理不尽さを天に向かい訴えますが
こちらは、地に向かい嘆くってしつらえ。
亡霊鎮魂のひとり仮面劇。
謡って踊ってお芝居もあります
フルエントリーで素人さんが演じればそれは「能楽」
しかし、オペラでも部分的に切り出して演奏しますから・・・

舞囃子:バックコーラス・オーケストラ付きで謡って踊って
仕舞:舞囃子からオーケトラが外れます
素謡:バックコーラス付きの謡い
独吟:アカペラのソロ謡い

オーケストラといいましても弦五部はなくて管楽器と打楽器だけです
バックコーラスはフルバージョンだと八人、たいていは四五名

なんにしましても素人のためにプロが十重二十重に取り囲んでサポートしてくれるっていたせりつくせりの遊び事なのです。
今風なお手軽版だとカラオケ!をイメージすればいい。
逆に言えば「独吟」なんて素人が一人で頑張るわけですから、貫目が高い演じ方。
毎度は蝸牛庵の独壇場なんですが、たまには三歩ばかり控え折ろうってこと(笑)


場所は銀座の観世の本舞台ですから、普通じゃ上がらせてもらえない。
先日某演歌歌手が生まれて初めて能舞台で公演をやったらしいが・・・
檜板は、渋谷の旧舞台から移転させたようです。
最近の舞台は台湾檜を舞台板にするようでして・・・これって固いのですよ。
やはり木曽の檜は座り心地がよさげってこと程度の講釈ができるのです。

プロの舞台はお値段がいささかお高いのですが、バックのプロ能楽師の顔ぶれで素人さんの発表会に
もぐりこむのが通ってもんです。
素人が演じる部分は居眠りなり耳栓なりで・・・プロの出番だけはばっちりと鑑賞する。
出入り自由ですから、お好きな演目だけでもご覧いただけますと幸いです。

なお、蝸牛庵はたいして出番がありませんが、朝いちばん(十時)って
まずお客さんがいなくてさみしいのですよ・・・半時間程度ですから「怖いもの見たさ」にお越しいただける幸いです。





2017年10月24日火曜日

Stanford prison experiment



例によって、マックスウェーバーを引用します。

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近代国家とは「物理的暴力行使の独占を要求する共同体」である。
従い国家を差配する政治とは「権力の分け前にあずかり、
権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力であり」
政治家は、その暴力的権能を振りかざすことが許される。
かかるが故に、政治家に必要な資質とは「情熱、判断力、責任感」である
と言う有名なテーゼが導かれる。

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七十年代初めのこと
スタンフォード大学で悪名高い監獄実験が行われた。
普通の学生に看守役と囚人役をあてがい、刑務所の模擬日常が演じられたが......
かくもおぞましい結果となったかは....
映像化もされましたし、
実験レポートは「ルシフェルエフェクト」という思わせ振りなタイトルで
出版もされている。

超意訳をすれば「役割はかくも人格を変える」に尽きる。
看守の制服、長靴、グラサン、警棒は羊を狼に変えるし、
服従に馴染めば狼も羊になる。
その支配被支配空間が濃密になるほど関係は暴力的になる。


良い意味でも悪い意味でも確かに肩書が人格を作るのだ。
座布団バッジをまとえば偉くなった(実際に偉いのです)と身の丈以上に
錯覚されると困る。
武運つたなく敗軍の将の弁
しおらしさがいつまで続くのかねえ(^^)
挫折がヒトザルを研磨するのはその通りだが、
偉そうに権力を振るうようになれば胡散霧消する事もまた確か。

勝って兜の緒を締める様だって素直を得心する程
お人好しでは無い。
そもそもだれもそうしないから警句として生き長らえているのだ。


出でよ!
三つの資質を持つ政治家

2017年10月23日月曜日

ヒトザルの惑星のあした






http://ueda8823khj.blogspot.jp/2014/07/blog-post_2309.html?m=1


相当前のエセーですが「世代交代」がテーマ。
この映画なんか全く記憶から消えていた。
その程度だった(おカネかけて意欲満々でも愚作は駄作)

しかし、こちらのシリーズは、リメイク、リブートとしぶとく半世紀にわたりスクリーンを騒がす。
原作者はフランス人
仏印インドシナでの黄色人種からの屈辱的な仕打が執筆の動機だと
聞き及んでいるがどうも疑わしい。
まことしやかに言われ続けるのは「白色至上主義」が通奏低音のように
奏でられるからだ。
他方で、黄色人種はと言えば「家畜人ヤフー」ですから、
何をか言わんや(作者不詳ですが日本人以外の説はない)


映画版は九作品
いまの封切り作品が第1作にリンクするような作り方ですから、
打ち止めと言いたいらしい。
最初のエンディングの衝撃波は歴史的だった。
いまでもエンディングの傑作ランキングをやれば上位に入る。


エイプがホモサピエンスにとってかわるとは思い難いが、
白人が頂点に立てなくなる恐怖めいた事のメタファーとして
このシリーズは打ち止めにはならないのだろうなあ。






2017年10月22日日曜日

再選挙無しの最低投票率制度になれば?



先ずもって「最低投票率の数値」がキモです。
50%では意味がないし、実績は全国平均で60%弱ですから、
先ずは60%を最低基準としなければ。
できれば、数値改定は三分の二以上の賛否で、、、


投票率は争点次第でなんとでもなります。
争点隠しみたいな真似をすれば投票率は下がりますから、
必然的に国家の大事について主義主張を戦わせる結果になれば本望。

鉄板候補者も安穏としていられない。
選挙区の投票率が満たなければ、バッジを外すことになるから、
必死になる。
逆に棄権する事で強力候補を下ろすって戦術があり得るが、
これはもろ刃の剣。
斯様な戦術をとろうものなら世論の反発をかうかも?
選挙対策としてなかなか見ものだ。
当選する事だけが勝ちではなく、ライバルを失格させる勝ち方もある!

程度問題はなんとも言い難いが、確実に定員を下回る当選者の数となる。
歳費の支出は減るし、実質的な定数削減が実現する。


いささか困ったことは....
傾向的には都心部の投票率が低いから、都心部の議員の当選者数が減るかも知れない。
一票の格差問題に輪をかけることになるが、立法趣旨的には致し方ない。
自分達の代表を議会に送り出したければ投票をするだけの単純な事。
政党は都会の有権者の琴線にふれる政策と候補者擁立に知恵を出せばいい。
都心部の選挙区が崩れれば当選者数への寄与が大きいから
定数削減効果が大と見込んでますので、内心は困っちゃいません(^^)


余談ですが、投票率基準に満たない選挙区の選挙管理委員会は、
物笑いのタネになるかも知れません。
委員会の選挙広報が原因とは思わないが、世間的にはそういう事にはならない。
なもんですが、カネをかけての広報活動なんかやらなくてもいい。
ほっといても、各陣営が必死で盛り上げてくれます。
だからその予算で「投票した有権者に抽選で地域お買物券」を配布する。
選挙広報よりも経済的な効果が遥かにたかいはずだ。


期日前投票とか不在者投票の制度も変わりますよ。
予め「電子投票システム選択宣言」をやっておけば
マイナンバーとマイナンバーパスワードで認証さえすればいいのよ。
簡単につくるなら、スマホ限定システム。

投票できるスマホを電話番号で特定し
マイナンバーとパスワードで認証
あとは、投票するだけ。
プラットホームをAWSかなんかにすればセキュリティもそれなりだし、
安上がり。


元文化系IT社長の血が騒ぐが(^^)


ナンチャッテテレビの選挙特番が変わります。
番組開始と同時に当確なんてやれっこない(^^)
まあ投票率予想も徹底的な出口調査をやればそれなりの精度にはなる。
しかし、候補者には厳しい開票風景だ。

2017年10月21日土曜日

明日はなんの日?




政治がワイドショー!でもバラエティ!でも、
主権者が身近に政治を考える効用程度はあるはずだが、
ヨタ三面記事でしかないのは、
既に民主主義の崩壊過程に差し掛かったのだろうか。
何事でも普遍に永続するものはないのだからと諦観していては事は始まらない。
問題にはなにか原因なり背景があるはずだ。
理由がわかれば対策もある。


1)主権者が愚昧

確かに有る部分は血と汗で闘いとったものだが、認識とすれば、
天から降ってきたようなもの。
不断の努力で堅持発展させようとも思わないは当然。
ただと思っている水と空気がなくなれば眼が覚めるだろう。

2)選良の劣化

国籍条項と年齢条項、それに多少の欠格事由さえクリア出来れば
誰でもなれる。
とは言っても世間水準的にはアッパークラスが名乗りを上げている訳であり
それでもダメ....というなら選び方を変えるしかない。

3)制度的な欠陥

中選挙区制度から小選挙区制度に改革して良くなったと言う声を聞く事はない。
二大政党制は世界的に衰退しつつあるし、制度改革の背景自体が揺らいでいる。
少数多党化が良い訳がないが、あれかこれかだけでは選択にならない。
相変わらずな一票の格差問題は制度の正統性自体を揺るがす。



問題がある事は分かっていても職業政治家が我が身に火の粉がかぶるような
改革をやるはずがない。
ヤルヤルといいながらヤラナイことを「身を切る改革」と言う(^^)
かといって間接民主制ですから、なにをやるにも隔靴掻痒の感
だいそれた正論なんか百年河清を待つようなものだ。
なもんで、ハードルが低いが実は「劇薬」ってプランを考えて見た。


最低投票率を導入する(全国一律60%以上で設定)
基準に満たない選挙区(含む比例区)は当選者なしとし、再選挙は行わない。


最低投票率制度はよくあることであり導入のハードルは低い。
投票に行くから民度が高いとも言えないが、行かないよりはマシ
そもそも投票率が半分以下ともなれば民意の反映とは笑止千万

再選挙なしって物議をかましそうだが、
権利の上にあぐらをかき惰眠を貪る者は参政権の放棄ですから、
国会に代議員を送りこめないのは、、、まあ仕方ない。
次回まで反省していればいいのよ。
棄権をすれば次回選挙で投票権が制限される法制はめずらしくない。
永久に参政権を剥奪しようって事じゃないから憲法違反とは言えない。


さて実際に何が起きるか?!
最低投票率を70%以上で設定すれば結構面白い事がおきますが、
それはいささか乱暴かな。


ところで一票の格差問題ですが、投票行動に参加しようとする意思ある有権者数で
比較すれば景色が変わります。
権利の上で惰眠をむさぼるやからを考慮する必要があるとは
思えない。
アメリカンのように有権者登録制度って検討に値する。
意思能力や行為能力がなくても有権者ってやっぱりおかしい。
運転免許証だって返納の時代なのです。
政治参加意識のある日本国籍者だけが参政権者というほうが
合理性あり....だと思うがなあ。




2017年10月20日金曜日

ある肩書






某情報誌の受け売りですが、

東芝の....は歴代トップを

模倣の西室
無能の岡村
野望の西田
無謀の佐々木

と評したとか。
キャッチコピーあるいは肩書、異名としては実に面白い(が、真偽については論評しない)
魚は頭から腐るし、蓋棺事定ともいいます。
間違っても社葬や社費によるお別れ会はやれそうもない方々だろうにとどめます。



肩書

地位や役職あるいは異名(悪名)を意味する。
縦書の場合、氏名の上に記載されるが、本来は右肩に書くべきなんだろう。

アメリカンのリーガルコメディを観ていてふと気がついた。
舞台設定として欠かせないのが「法廷」
東京地裁は別にしても、アメリカンの法廷に立った(あるいは立たされた)経験がないが、
アメリカンの法廷では、判事のネームプレートがあるみたい!
どうでもいいんですが実に面白い(テレビ用の演出かも)

このコメディの舞台設定としては、多くはマサチューセッツ州の地裁。
偶々ですが、中西部らしい場所の法廷シーンがあり....

JUDGE ◯◯◯

特段これだけでは何も面白くはないが、マサチューセッツ州だと

HON.◯◯◯


そもそも、HON.とはなんだろう?と普通は思うわなあ。
でも東部13州なら使うんだろうって得心した次第。

答えは

Honorable の略表記

失礼だから和訳まではしませんが、敬称です。
全ての肩書に対してつけるわけではなく、一定の誰がみても
畏敬の念を覚える場合だけに使います。
ある種の尊敬表現ですが、敬語とは人様から言ってもらうものであり
自分から言うのはなあ〜
まあ英国風の尊大さのあらわれですが、アメリカンも使うのか!


毎度我が駄日記をお読み頂いている方がおられるのですが、
これからは、


HON.LUCY


と呼びかけることにでもするかな(^^)






2017年10月19日木曜日

十六世紀








いつの時代も波瀾万丈だが、この時ばかりはとりわけ歴史の分水嶺。
エウロッパの近代はここから始まる。

ルネサンスと宗教改革の時代。

倭国だって戦乱の時代から近世にさしかかり、
万暦帝やスレーマン一世やイワシ雷帝が君臨する。
新世界は「征服」され、地球規模の金銀交易により、はじめて世界史が誕生した。


こんな時代を一人の人物に代表させるには無理があるが、
ルネサンスと宗教改革の時代というなら、

ダヴィンチ
ルター(あるいはカルヴァン)

だが、いささか偏している。
美人で淫乱な王妃マルゴでもいいが、倭国では知名度がねえ。
そのお母さんであるイタリアのメディチ家からのお嫁さんだと日和見な鵺
やはり孤独にも普遍的に人間性探求に勤しんだ一介の田舎領主が一番相応しい。
モラリストの先駆けのように言われるが、語感が良くない。
モラリストと道徳家はまったく別物だそうです。
誤解されるため「敬して遠ざけ」られますが、
書き手はある意味で魅力的。


ミシェル モンテーニュ


フランス王家に仕えたそれなりの法官貴族でしたが、
早くに退官し、ボルドーあたりの領地の古城で晴耕雨読の日々。
随想録なるエッセイを書き綴りながら、王の非常勤秘書みたいな真似事。
実際になにをやったのかよく分からない。

カトリックとプロテスタントの凄惨な争いに明け暮れたフランスですから、
大体の想像はつきます。
成果があったかどうかは知りません。
しかし、古典的な教養と現実の社会的な困惑を背景としたのであろう
彼の著作はフランス文藝の源流のひとつとされます。
残念ながら、不倫、姦通、強姦、猥褻行為、異常性愛等々は
まず登場しま...これがまあ、、するんだなあ(^^)

が、寛容を説き、声高に正義をふりかざす事への懐疑さへの
たびたびの言及は示唆に富む。





2017年10月18日水曜日

世界を放浪でも....








月影兵庫
花山大吉
天下太平

いずれも「天下の素浪人」なのですが、禄なくバイトをやるわけでもなく
あてのない気ままな旅暮らし。
社会福祉制度が貧弱なあの時代、隣人同士の相互扶助しかサポートがなかった訳で
旅から旅だとその期待もない。
龍馬さんのように実家が裕福で仕送りでもあったのかなあ?
それともグラバー商会の秘密工作員?


身分境遇も似たようなものだし、晴耕雨読も飽きがきた(^^)
バックパッカーのようなビンボーツアーは貧相だが、
豪華クルージングはスノブ
世界中のフェルメールを観て歩くってあるが、あれは収蔵場所が偏在している。
あの「ハンニバル」ではアルゼンチンまで足を運ぶ場面があるが、
危うく騙されるところだった。

本屋さんで「地球を歩こう」なんて眺めても旅情感が湧いてこない。
そんじょそこらの本屋さんよりマシな汗牛充棟の書庫にこもる事半日!
これで行くかなあ(^^)
って取り出だした一冊の新書


ビール大全


確か以前の職場でビアマイスターホルダーに勧められたのだった。
文春新書は玉石混交だが、これは良書だ。
ビール学大全と銘打ってもおかしくない。


かえすがえすも、、、

酒の呑まないやつ
酒の蘊蓄に無頓着なやつ
何を呑ませてもアルコールならなんでもいいやつ

人生の不幸だと思い知るがいい。
これを片手に世界中を巡るか.....しかしほとんどの銘柄がアマゾンで買えるなあ(^^)

2017年10月17日火曜日

飲酒の「悪癖」を排する!




蝸牛庵狂言綺語録以来連載が1200回を超えました。
所詮は駄文ですから、書いた本人ですら多くは記憶にない中、
稀なんですがロングテイルセラーがある。


騙された!中国飲酒詩選によせて


どうして未だに読み手がいるのか分かりません(2014年10月頃に公開)
が、社会悪のように思われている呑んだくれへのエールだと「誤解」されたのかなあ?


某誌に大西睦子さんのエッセイが有りましたので、
勝手換骨奪胎意図歪曲のままネタにします。
女史がこのネットエッセイを読む可能性はひくいのですが、
予めプロテクトをしときませんと....なんせ罵詈雑言暴言まみれですから(^^)



女史の趣旨は「適度の飲酒は心身の健康に良い」と断じているという事。
ポイントは、肉体と精神の両方です。
問題は「適度」の定義ですが「1〜6ドリンク」だと言います。
ドリンクの単位は倭国だとビール中瓶半分くらい。
結構幅がありますが、個人差は何処にでもありますから、
酒に強い方はこの上限程度までを「適度」と思えばいい。

まず、飲酒は幸福感を味わせてくれるエンドルフィンの放出をしてくれます。
嬉しいですねえ、不幸せな時にこそ幸福感を沢山味わせてくれます。

心血管疾患による死亡リスクを減らすそうです。
アルコールがDHLコレステロールを増やすからと言われれはけだし。

更に認知症のリスクも統計的に低いし、
肥満も少ないらしい。
前者についてはなんとも言い難いが、後者はアルコールはエンプティカロリーと
言い続けていましたから確信あり!


まあ、ヒトザルがある程度文明化して以来発酵系飲料と
お付き合いをしてきたのですから、文明論的を含めて
効能は多岐多用にあると考えるのがナチュラルなのですよ。

禁酒法や(誤解を恐れずに言えば)飲酒を禁忌とする宗教が
過度の不寛容に陥った様を見れば、さはありなんと思うでしょう。
最古の医薬品はワインだったとも....此れはどうかな?




“I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it” was his attitude now.



信奉するヴォルテールの言葉
飲酒も主義主張の一部みたいなものですから、
特段強いるつもりはありません、、、が、適度に飲める事は
幸せだと思いますよ(^^)

2017年10月15日日曜日

スパルタ猛練中!



あと一ヶ月です。
重い役でもないし、出番も少なく「予習」は終わったようなもの
トップバッターみたいだから、聴衆も少ないだろうし、色々冒険をやってもいいが、
今回は脇役。
慎みが大事だ。


無本(暗譜)でやれるように準備はやってますが、多分やらない。
とちったり間違えてシテに迷惑より、プロ能楽師だと「優良誤認」させてはいけない(^^)

正座は短い演目だから大丈夫だろう。
経験則から、練習すれば足が痺れないと言うわけでもない。

座る、立つ、扇の所作は、かなりな反復練習をこれから予定しています。
新しい扇子が近々届きます。

と言うことで、毎日の練習は「着付」だけ(^^)
祇園の舞妓は男衆が着付をやるのが習わしだし、
素人能楽師だって師匠連や師匠の奥方様が着付をやってくれたらしいが
最近はもっぱら一人着付。
オトコ弟子が多ければお互いに着せっこなんですが、
今回はコク一点かも?

日本男児なんだから和装着付くらい一人で出来ます!
しかし、テニスをやっても着崩れないレベル(女性も同じ)を
要求されれば難度は高い。


舞台用の和装なんて作業着ですから毎度は化繊の安物で十分。
お気に入りの逸品は正絹でズッシリ重く疲れますし、お手入れも大変。

当然着物は黒五つ紋ですが、着丈は膝下程度にしています。
帯はあまり見えるものでもないので、ド派手な角帯。
伝来の献上博多を使ってもいいが、特注品なので使い勝手が良くないからパス。
袴下は十文字か浪人結びが普通だが、貝の口結びがお好み。

さて袴なんですが、見た目は縞柄馬乗り袴なんですが、
仕舞袴なる特殊仕様。
別に舞う訳でもないが、これもこだわり。
袴の着付けは普通、前紐は背後で結び、後ろ紐は前で結び十文字の飾りを作るだけ。
抱き紋が隠れないように着るのがいささか頭痛のタネ。


とかなんとか、ストップウォッチを横目に
五分以内、出来れば三分目標に努力中(^^)
しかし、一番時間がかかるのが、白足袋のコハゼを留めること。
カッコつけて五枚コハゼなんかにするものではないし、
足袋は小さめがカッコ良いなんて煽てられ、、、、


2017年10月14日土曜日

チキンって何やるんですか?





その辺の底辺校でなく、れっきとした有名大学のエピソード。
流石に昨今は冶金科と言わずに金属だか材料学科というらしい。
ことごとさようにダサいネーミングは嫌われ意味不明寸前の学の体系に変貌した。
中身がよく分からないまま「これが学問か?専門学校の守備範囲じゃないのか」と
思しきものもありげだ。

学問と銘うつ以上「体系化された知識と方法論」であらねばならないが
定義を満足させうれば、なんでも大学のカリキュラムになり得る。


関西の有名私学に「食マネージメント学部」なるものが、来春開講らしいです。
古典的には、家政学、食物学、栄養学の類いのように見えるが、意味するところは

ガストロノミー(美食学)

おフランスのコルトン何ちゃらと姉妹提携を行うそうですから本格的。
でもカリキュラムの委細は読んでもよく分かりません。

フードマネージメント
フードカルチャー
フードテクノロジー

に大別されるとやな
卒業後の進路が気になりますが、ウェブサイトの進路予想の掲載順をみれば

起業家(ラーメン屋さんでも開業するのか?)
NGOスタッフ(意味不明です)
製品開発者(先ずもって鋭敏な味覚と嗅覚が不可欠だが)

教員の顔ぶれは見えませんが、プロの料理人の出番はなさそうな
入学定員は三百人あまり(果たしてそれなりに充足するのか?)


食は文化だし学問足り得るとおもいますが、
お料理の三要素は

素材の吟味
調理の巧拙
盛り付けのセンス

なんですが、そういう事がキャンパスの中の施設で
修得出来るのかねえ?
皮肉っぽく冷笑するつもりはまったくなくて、四年後の卒業生の
かおぶれなり活躍を楽しみにしています。

2017年10月13日金曜日

路地裏のショーウィンドウ(3)



リーガルコメディである「ボストンリーガル」の白眉のシーンは、
毎回の法廷での最終弁論。
別に今に始まったことをでなく、シェイクスピアだって、ベニスの商人やジュリアスシーザーは
山場は弁論(演説)にある。
巧妙なレトリックに感心しながらも、度重なれば思考は異次元に飛ぶ。


リベラルアーツの七つの学科のうち、基本は

文法学
修辞学
弁証法 だとされるが、イメージとして理解しにくいっていうか、
通常の言葉の定義といささか異にする。

なもんで、言い換えると(樺山紘一先生の理解を援用)

理解するための技術の修得
コミュニケーション力の醸成
論理的思考能力の向上方法

と言われれば納得する。

巧言令色少なし仁
いはでおもふぞいふにまされる
沈黙は金(雄弁は銀)

なお国柄ですからお口が達者ってあんまり尊敬されない。
しかし、以心伝心とか阿吽の呼吸なんて気心の知れた小集団に於いてのみ
通用するものであり、様々な意見や立場、主義主張の不特定多数を相手にするには
斯様なリベラルアーツが必須課目となる。

クラッシックローマ最高のローヤーがキケロ
彼の弁論が如何に理性的で論理的かは様々に述べられるが、
この整理が一番分かりやすい。
修辞学の基本要素とはこれに尽きるのです。

創案(論述の目的と素材を明確にする)
配列(目的に合致するように素材順序正しく並べる)
表現(実際の言葉で論点を書きあらわす)
発声(実際に発音しその効果性を確かめる)
想起(陳述が聴衆の心に響いたか)

別に懇切丁寧に講釈して貰わなくとも、この程度の事は考えて
資料を作ったり説明したりもしてるんですがねえ(^^)

舌足らずな記者会見やプレスリリースがあまりに多過ぎるし、
訴状は意味不明、判決文は晦渋なんて宜しくない。
学校で教えてくれる事はまず期待出来ない(教える人がいない)ですから
本屋さんにあるかどうか知りませんが、ちゃんとした修辞学の本で独習すべきです。


ちょい補足すればというか一番言いたいのは「巧言令色」は今もって真理だと言う事。
一般的な誤解があり、弁論をする者に対してでなく「聴衆への戒め」としての警句なのです。
軽薄な美辞麗句に騙されやすいから気をつけなさいということ。
あの偉い孔子様が普遍的な真理以外をのたまう筈がない。


所で投票日はいつだっけ?
虚飾の弁舌に騙されて期日前投票をしちゃった方はお気の毒様(^^)

2017年10月12日木曜日

老舗の自負



自社のウェブサイトに誇らしげを「沿革」を掲載する気分は良く分かりますよ。
名の通ったゼネコンには老舗が多い。
金剛組(いまは高松建設傘下)は別格としても、この社の創業は慶長年間
遠祖は信長の家臣だったらしい。
普請奉行の立場だと思われますが、今風に言えば営繕部長か工務課長といったところか。
大阪基盤の非公開会社ですから全国的には知名度イマイチかも知れない。


布引滝あたりの新神戸にその施設があります。
社有地(多分ご当主の別邸か隠居所)を活用して「大工道具館」を
設営したのが、1984年のこと。
企業博物館って馬鹿にしたものではなく、下手なものを作れば末代の恥。
とは言っても利潤を産まない投資には株主の厳しい目が光る。
その辺のところ上手に折り合いをつけてると思います。

泥と藁、紙に木を使った建物に住んでますと言っても、ブーフーウーじゃない(^^)
ものづくりは不得手だが好きだし、純和建築に産まれ死んでいくだろうと
思えばことさらこんなコンセプトは良さげに思える。
ボランティアらしいオッチャンがこと細かく講釈してくれるし、
撮影制限なし。
更に体験コーナーまであるが、これはパス。


創業四百年にして初めて番頭社長さんが就任。
家族経営だけでやっていける規模、時代じゃなくなった。


2017年10月11日水曜日

アイデンティティ





自分のルーツってなんだっけ?
具体的に言えば「日本人」ってなんだっけ?


ユダヤ人は法律的にある意味厳格に定義されています。
イスラエルの帰還法によれば

ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者

をユダヤ人と定義している。
ちょっと解釈が煩雑ですが「ユダヤ人の母」とはユダヤ教を信じる者でないと
論理矛盾を起こしますから、詰まる所「ユダヤ教徒がユダヤ人」なのです。


まあ、そんな鼻の奥に唐辛子をぶち込むような論理的追求をしない倭人には
大体でも良いのですし、能天気に日本国民は単一民族国家で....と口走っても選良になれるのです。
特段国会議員のレベルを難じてはいません。
主権者のテイドがその程度と言う事です。


国籍概念が一般化したのは18世紀以降
今揺らいでいます。
くにのかたちを真剣に考えるなら、近代国家の基本要素に照らし
ゆるがせに出来ないことなのです。
たまたまグラドル上がりの野党党首の国籍問題が議論になったのに
マトモな議論にならなかったのは残念というかキャラ
のレベルがあまりに低かったからか(^^)


スポーツの世界のみならず学芸においても国家の威信がかかりますから
団体でなくともどこの国の個人が栄誉に輝いたかは重大関心事である。
国のサポートを否定はしないが、所詮は個人の資質と努力なんて正論を
吐いてはならない。

思えばどこの国のメダルが一番多かったか?なんてナンセンスなんですが、
オリンピックならば、横長一重瞼の人種みたいに国籍を売れば(実際は逆にカネを出して買って貰っているかも)
いくらでも表彰台に立てます(^^)


中村さんや南部さんのノーベル賞の授賞に際しても
多少は話題になった。
特に日本人のノーベル賞授賞者は文化勲章の栄誉にががやいていなければならない
なんて慣行が出来ちゃいましたから....

南部先生はとうの昔に文化勲章をお持ちでしたからいいのですが、
中村さんは、授賞時はアメリカンです。
文化勲章授賞に国籍のシバリはありませんが、
どうも日本人のノーベル賞授賞者で非文化勲章者に対してはそれを追贈すると言う慣例に
従ったように思えます。

イシグロカズオさんの取り扱いが興味津々なのです(^^)

ノーベル財団はノーベル氏の意思により授賞者を国別に仕訳をすることはしない。
一般的には授賞の時の国籍主義ですが、勝手にやっているだけ。
多重国籍の場合には出生国主義を採用しているみたいな....
つまりノーベル賞の栄誉に輝いた事がないと嘆くよりも、有力候補者を買えば良いのです。
非難轟々だろうが、オリンピックでは横行してますし、国体なら当たり前(^^)


変にナショナリズムやパトリオットがのさばる嫌な渡世
国籍のしばりは軽くする....いや逆かも
今こそ国籍の踏み絵....かなあ

あのパンドラの箱のとじこめられた「手近にあるが手にする事が出来ない」ものを
政党名にするような愚挙をやらかしたアレですが...
外国人参政権反対ってどうなったのかなあ?
ユーキャンだかアイキャンだかに平和賞!を非難はしませんが、
国籍問題に「なるほど」って解決策を提示し活動する団体に平和賞を!




2017年10月10日火曜日

告示(確か今日だよね?)




場外乱闘めいたじゃれあいはもういいから、真面目に
争点整理をした上で理性的な戦略的な政策提言で票の取り合いをやってください。
公約と称する具体論は出揃ったが、その前提となる戦略上の視座が曖昧。
くにのかたちをどうしたいのか?理念なりがあまりに希薄(票にならないと思っているのだ)

しかし、場外乱闘の様を見るに、知ってはいたが見たくない現実を沢山見せてくれた。
政治や政治家に道徳を求めるのは勝手だが、最優先の因子ではない。



◼️東アジアの地政学的リスクにどう対応するのですか?

一緒に酒を酌み交わせばミサイルは飛んでこないと言う妄想にすがるのか
一部に台頭しつつある核配備(装備ないし保有)まで
具体論は様々。
その結果として憲法改正の文言整理も変わります。


◼️財政再建をどうしますか?

もう先送りはできないでしょうが、入りを増やす施策と
出を減らす方策をどのようにバランシングするのか
消費税率云々だけじゃなくて鳥瞰的なピクチャーを示しませんとねえ


◼️人口構造をどのようにもっていくのですか?

移民に頼るのか早婚多産インセンティブを駆使するのか
高度な省力産業構造に転換するのかの具体論がいるでしょう


◼️あとはできっこないから....

政治と官僚の機構の構造改革が焦眉の急だが言うだけ無駄(^^)
原発は....ゼロなんかにするのは空理空論。



大上段に構えた政策論争なんか実際は期待していないし、票にもなりません。
本当に大事なことをスルーするのが今の政治ってもんなんでしょう。

2017年10月9日月曜日

泥の河 再見




あの映画観るとこの演歌が耳奥に響く。
挿入歌でもなければ舞台背景に共通点がある訳でもない。
なんだか勝手にあの時代の心象風景が重なるのです。


大衆的知名度だけ言えば辺境のマイナー作品
偶然が重ならなければ埋れ木のまま朽ち果てたに違いない。
幸いにして映画遺産として後世に残った事を嘉しなければならない。


オールタイムベストなんてどんな選び方をしても批判される。
定番(黒澤、小津、成瀬、木下、溝口、深作)作品なんかは不動の指定席ですから
斬新なスタイルになるはずがない。
誰もが知っている(観たことはなくても)作品ばかりが並ぶが、
その中のキラリと光る珠玉の逸品を選んでこそプロ映画鑑賞家というもの。
81年の映画賞総ナメはまあいいとしても、オスカー外国語映画賞のファイナリストって
あの時期凄い事なのです(その後20年あまり日本映画は世界から忘れられた)
ちなみに某映画雑誌のオールタームベストだと13位(これは凄いことで選者はその見識を誇ればいい)


監督の小栗康平さんは極度に寡作なのですが、
処女作のこの作品「泥の河」以外は私映画的で実のところお好みではない。
久方ぶりで小屋にかかりましたから、おっとり刀で(^^)
馬齢を重ねれば印象感想も変わるかも.....



舞台は大阪、土佐堀あるいは安治川口界隈
町工場や倉庫が並ぶ防潮壁に囲まれた灰色の世界

時代は1956年の夏、天神祭の頃
もはや戦後でなくなり神武景気に世間は浮かれ、売春防止法が公布の年

橋のたもとの食堂の少年と宿舟(実は廓船)の姉弟が主人公...なんですが、
本当は復興ジャパンの光を浴びる事のない生きている事が辛くなるような
事柄自体にフォーカスがあたる。
ちなみに少年は9歳、姉は3つ上。

原作は宮本輝さんの名作小説
名作小説を更に越えた秀作映画だそうですが、小説は未見なので
この辺りはパスします。
ちくま文庫には、川三部作(後は、螢川、道頓堀川)として1分冊になってます。

当時の惹句に曰く

あの時少年時代は終わった
哀しみの源流に遡れ

チョットうろ覚え(だって三十年前の事ですから)
と同時に鮮明に思い出した事は「ガキがセンターを張る映画は観ない!」は
ここに始まったのだ。

2017年10月8日日曜日

路地裏のショーウィンドウ(2)




似て非なるもの、西洋の紋章と倭国の家紋。
どちらもその起源を詳らかにしないが、このような場合は
複数要因に決まってますから殊更に絞り込む必要はない。
封建時代のはじめ頃より発展するとされますから、
よく似た時代背景が後押しをしたのだ。

家紋学なんて学問領域は聞き及ばないが、紋章学ともなれば、
究めれば文学修士クラス。
相当に難度も高く尊敬もされるようだが、あくまで保守本流の学問だとは
思われていない。
つまり、路地裏のショーウィンドウに相応しい。
翻って倭国ですが、沼田頼輔先生が日本紋章学を究めたといわれますが、
いま現在、家紋学を教える大学があるのかなあ?


家紋と違い紋章には複雑な約束事があり、勝手気儘に自由設計する訳にはいかないらしい。
一族の歴史を抽象的に体現したものだから、格調も高い。
構造化された紋章の体系図は学に相応しい。

家紋はなんでもありだから、家門の誇りや歴史には無頓着。
秀吉の家紋は五七桐紋ですが、これは関白になった際の拝領紋
若い時代は瓢箪紋を使っていたと思われますが、これは武功にちなむ。
徳川の三つ葉葵にしても、その辺の野草のモチーフ。
だいたいにして、優しげな花鳥風月がお好みな家紋に対して
獅子やドラゴン、ユニコーンが必ず登場し、武張っているのが紋章。

やっぱり文化精神史的に別物に見えます。
倭の武士なる存在は武装百姓であり、優れて集団化された存在であるが、
騎士団なるものは、集団であるものの個人の存在に対する強烈な主張がみられる
とは、樺山紘一先生のご説。
つまり、家紋は家門の標識だが、紋章は個人の標識でもあると言う。


批評すべくもないが、戦場での名乗りと一騎討ちなんかは
源平合戦のシーンに過ぎないと思えば、家紋が個を封じたのか?

2017年10月7日土曜日

フロリダの「地上の星」



なんとも観客を馬鹿にした邦題をつけようとしたものです。
舞台背景はマーキュリー計画なのにタイトルにアポロ計画云々はないだろう。
ネチズンの批判をシカトすれば興行は惨敗だったろうが、かろうじて「ドリーム」なる
ベタなタイトルで事なきを得た。
キング牧師の言葉の引用である事は容易に解る。
旬の過ぎた大物俳優を脇に、ギャラの安げなアフリカン系女優を取り揃えてのローバジェット作品
馬鹿当たりしましたし、評論家のウケも良かった。
オスカー作品賞ノミネートまで行きましたから、関係者はドンペリのビンテージで
乾杯をした事でしょう。


アメリカンの宇宙開発計画に貢献した三人のアフリカン女性の物語
地の利、天の時、人の和、いずれも彼女たちに逆風。
史実を多少歪曲しているようですが、功績に水を差すものではない。
しかし、ヒロインの一人は大統領自由勲章の栄に輝いたとされるが、
Wikiでは確認不能(どっちのミスかな?)
湿度たっぷりだと困るのですが、適度だから助かりました。
オールアメリカンのチカラがマーキュリー計画を成功させた!と
言いたい映画。
いまの大統領ならつまらないツイートをしそうですが、
差別と闘い、勝利する.......
けだし一隅を照らすものは国家の宝だし地上の星なのです。


ちなみに昨年度オスカー作品賞ノミネートは公開予定作品は全踏破しました。
あとの二本は劇場公開はスルーみたい


2017年10月6日金曜日

路地裏のショーウィンドウ




メインストリートの燦ざめくショーウィンドウは、
眺めるには楽しいが、そのうちに虚飾の腐臭がしてくる。
目利きの古道具屋は逸品は店頭に並べないとも言う。
しかし、まばたく薄暗い街灯に照らされた裏通りには、
辺境のアカデメイアめいたものがある。
実は西洋文化の精粋は、裏通りにあり!


人智では如何ともし難いものは神意に頼るしかない。
その神意は「占いの結果」として啓示される。
信じる信じないは個人の勝手とは言うものの、神の御意思は重い。
室町期の六代将軍は籤引きで選ばれたし、
NFLのタイブレークの最後の最後はコイントス。
馬鹿にする向きはヒトザルの長い歴史、精神史に無知以外の何物でもないと
思い知るがいい。

占星術

天文学のダークサイドであるが、古くは未分化だったろうし、
今となってはオンナコドモのお遊びに過ぎないが、古代メソポタミアを起源とする。
最強最大の存在が、プトレマイオスにコペルニクスなんだから
推して知るべし。

翻って東洋ではあまり興味を示さなかった。
ちゃんとした暦法があった以上、天文学はそれなりに発展はしたが、
神意あるいは自然哲学は易、陰陽、五行なんかに委ねられた。
理由は分からない。
文化的差異としか言いようがない。
光と陰の二元論や、世界を成り立たせる元素論(元素数に違いはあるけど)
なんか共通項も有るのですが....
倭国になぞらえば、月を賞でる文化圏ではありますが、星はお呼びではない。



補足しますが、陰陽五行や十干十二支を組み合わせた
万象算命学なんかは「似非」であり、東洋占星術と銘うつのはメッキに等しい。
余りにも歴史が違いすぎるし、科学の双生児とは思えない。

いまどき天中殺なんて知らない世代のほうが多いのだし、
あの時どうして熱狂的なブームになったのか未だに分からない。





2017年10月5日木曜日

ボストンリーガル(2)


抱腹絶倒なリーガルサスペンス(コメディかも)も、アマゾンプライムでシーズン3まで
たどり着いた。
もっともシーズン2は途中でフリー期間満了(泣)
毎度思うのですが、この手のアメリカンドラマは実に面白い。
が更に毎度思うのですが、この手のアメリカンドラマの多くは「ローヤー」がセンターである。
これはアメリカンに限った事ではない。

グリシャムの著作物の大半は弁護士が主人公である。
倭国も、弁護士◯◯◯◯なる小説は山とあるが、
検事となれば・・・霧島三郎、柊茂くらいしか思い浮かばない。
更に「ジャッジ」となれば....お手上げ状態(笑)
敢えて言えば、大岡越前守、遠山金四郎?
しかし、彼等がTVでやっていることは、警察や検察のお仕事が大半。

ジャッジと言う神のミワザに近い事をやっているから、
作りものにし難いってのが、ある種の解釈。
従って陪審員をその代替にすれば、事例はいちいち上げないが、結構佳作以上になるのです。
物語になるという事は其れなりに機能しているという事だろうが、
一方で「裁判員」はセンターに...なった例があったかなあ?


アメリカンドラマに於いて「ジャッジ」の存在感は大きい。
脇役なんですが、重厚感満載な大物風に描かれます。
演じる役者も重量感たっぷり
しかし、このボストンの裁判所の判事は皆さんユニークです。
主人公の辣腕(あっちのほうも)弁護士の元カノとか、ゲイ、ヤク中・・・

法廷での最終弁論の厚顔無恥やエキセントリックな論旨には多少飽きが
きだしたのですが、ジャッジに視座を据えてみれば更に楽しい。




ここまで書いて、最良の裁判官小説を思い出した!

法服の王国(岩波現代文庫版)

2017年10月4日水曜日

プログラムの「読み方」



プロの音楽家は同業のコンサートプログラムを見る際には
まずもって著作権料発生の有無を見るらしい。
しかし、著作権料が発生するのは現代音楽なんかであり、
一般的には客受けなんかしませんがねえ。
よっぽどディープなファンがいるか腕に自信があるか・・・逆だ!間違えてもばれない(笑)

翻って蝸牛庵が嗜む古典芸能なんかは、ごく一部の
復曲作品以外は著作権なんかは発生しない。
新作能もあるが、再演にされることは更に少ない。

ところで某団体から雅楽の演奏で著作権を要求されたって事があったらしい。
ヤクザのみかじめ料を凌駕します。
イタズラ電話かと思いきや、後刻演奏家に対する謝罪を含め公式見解を公表した
ところを見れば「失態」以外のなにものでもない。
もっとも雅楽を「ガラク」とハチオンするような知性と教養の欠如な担当者からの電話についての
見解は無かったようだ(知性と教養以前だが、このレベルで知財を守っているって)

しかし、能楽の上演に際しては煩雑な約束事や禁忌がある。
基本はプロ能楽師の世界の話だが、素人さんもそれに従うのが伝統芸のしきたりというものだ。
例えば「鷺」
お家元はご幼少のみぎりのみに演じるものとされ、一門のプロ能楽師達は高齢になると
初めて演じる事が許される。




過去二回はしきたりに厳しいお弟子からすれば、身の程しらずが、、と言われそうだったもんで、
今年は脇役にまわり、演目も軽め。
出番も前座みたいに早い時間(前泊だから呑み相手を探さないと夜の時間が長過ぎる)


演目の難易度からすれば....全音ピアノピース難易度と同じで
評価は様々だし、ここのはちょっとクビを傾げたくなるので、
あんまり信用していません(ドイツのヘレンなら安心)

今回の「放下僧」は一応二級(五段階で一級が最上。更にその上もあります)ですが、
発表会演目としては初歩クラス
シテのパートである小歌が特殊な節回しなだけで、
あとはそう難しくはない。


素謡映像が無かったので仕舞で代用します。

2017年10月3日火曜日

改めて「一盗二婢三妾四妓五妻」




どういう訳だか古いネットエッセイなのにロングテイルセラーです。
ですから多少今風にリブートしてみようと、角田光代版源氏の目次を見ながら、、、

実はこれらの順番は様々なのです。
知る限り三番と四番は入れ替わることが多い。
経験値をもって語れないが、観念的にはそっちの方が良さげ。
しかし語呂が良くないのでいつもはこの言い方をします。

一番なのは「人妻とのフリン」
今時の政界あるいは芸能界失楽園を見てもヒトザルの趣味嗜好は
変わらない。
ヒカル君もまずもって藤壺(単なるフリンでなく近親相姦!)との不義密通なんかを
しでかす。このエピソードがないとあの大河小説は成り立たないくらいですから
やっぱり一番。

次は「召使いあるいは下女」
空蝉にヒカル君はいいよりますが、彼女は受領の妻ですので
一盗でもいいが、感覚的には二婢です。
部下の妻も部下みたいなもの。
チャタレイ夫人が領地の森番と情事に耽るのもそういうこと。
二婢と一盗が同時ですから、そりゃもう(^^)
チャタレイ夫人の恋人が猥褻図画なのもけだし、、なのです。

三妾や四妓はよくわかりません。
ホスト狂いなんて理解に苦しむし、ヒカル君が囲っている女性なんか
あんまり魅力的じゃない。
経済的に自立していると思しきお方は、、、余りに気位が高く、
なにかと完成度が高いものでそういう方を愛人にするとシアワセにはなれない。
やっぱりその場決済のエンコーがお手軽。

あと「妓」ですが、男性なら「伎」となります。
王宮や権力者の周辺にたむろする芸人や太鼓もち、遊女白拍子のたぐい。
摂関政治の全盛期にいたのかどうかよく知りません。
院政期には、今様を駆使する白拍子が宮中にはびこり、権力者の寵愛を受けます。
誤解を恐れずに言えば、入内した権力者の子女にお付きの女房こそ妓である。
住み込みのキャリアウーマンですから、知力とか才能で妍をを競うのですが、
和泉式部のようにアッチの方で色々モテるのも居ました。
狭い世界ですから、

さそふみずあらば いなむとぞ思ふ

和泉式部を毛嫌いするレディパープルも、なにかとあったみたいな。
だから、あんまり妓な事は書きたくなかったが、ヒカル君の暇つぶしの相手として
色々登場はしますが、遠景に過ぎない。

最後は配偶者か(^^)
確かに!
葵上も女三宮も疲れる相手だよなあ。
明石の上もあまり感情移入ができない。


ここでツッコミ(笑)
紫の上って一体なんなんだ!?

レディパープルがこの成語を知っていたかどうかはわかりませんが、
当時から中華にあったとすれば、あの博覧強記女史が知らない筈がない。
多分造形上の参考にし、そのまま受容するようなモノマネ女じゃないから
大胆なヒネリを入れた!

そうです
人妻よりも拐取したロリコンが更に上!!



普通は「誘拐」といいますが、
暴行脅迫等の直接的手段の場合は、略取
偽計誘惑等の間接的手段だと、誘拐
あわせて「拐取」が正確な表現です。

拐取の罪の法定刑はチョットどうかと思うのですが、

未成年の拐取は最高で懲役7年
営利目的(性目的を含む)は同じく10年
身の代金目的になれば最高は無期

当時の世論(吉展ちゃん事件)が法定刑体系をおかしくした。
カネ目当てと性交目的で軽重がありますかなあ?
今なら多分違う判断になる。


さておき、ヒカル君がやった事は営利目的の誘拐です。
その後やったことは、角田版はまだ読んでませんが、
原典を素直に読めば凖強制性交等あるいは監護者性交等に
該当しそうですなあ。
でも、ヤングパープルは諦観しちゃいましたから、
非親告罪化されたとはいえ、和姦かな?


ミカドの奥様を寝とるのも大罪ですが、
これはこれで結構酷いことなのですがねえ.....






2017年10月2日月曜日

一寸先は闇とは言え



渡り鳥のように次から次へと会社を転々とステップアップしていく人がいる。
他方会社都合で(意に反して)名刺の社名が変わって行く人がいる。

◯◯産業

◯ト◯ン

◯◯物産

◯鉄◯◯物産

譲渡、買収、合併、吸収、統合と表現は様々でも、お互いにとって幸せな「結婚」は
多くはなさそうだ。
対等の精神なんてプレスリリースする事自体なんか「やましい」のです。
その程度で騙されるほどサラリーマンと言えど愚かではない。
かつては労働条件はええとこどりだったが、最近は甘くない。
それでも統合される側全員が雇用されるならまだまし。
もっとも、これは雇用関係にある場合であり、委任関係だとコレ幸いって....(^^)


政党と所属議員の関係は当然雇用ではないし、委任関係でもない。
そもそも政党は任意団体である。
但し政党交付金の交付に際して法人格を付与される程度のもの。
個々の議員の選挙等政治活動互助会だと思っておけばいい。
ナンチャッテ政党政治と言われながらも憲法に規定がありません。


従い、全議員を合流したいとかさせるべくとか、奇妙な議論としか
思えない。
所詮は「票数」でしかないと思わざるを得ないその程度の存在という事になる。


アチコチわたり歩かざるを得なかった御仁と酒を酌み交わしたい事がある。
ご本人に罪科はなく、経営の失態によるものだが、火の粉は被らざるを得ない。
その当時は、某社に合流出来るかどうかが最大の関心事
興味を示してもらえなければ其れまで。
なんとも水面下の醜い策動が有ったようで、、、、
昔話とは言え、文章にするのは憚かる。


身を捨てて 浮かぶ瀬もあれ ◯◯◯◯◯


国会議員たるもの個人事業主みたいなものなんだし
その責務において出処進退くらいは弁えているでしょう。
大義のための変節を罵倒揶揄はしませんが、
突然に

改憲推進
安保法制賛成
消費税率改定凍結
原発ゼロ

はないだろうと思いますよ。
誰かが、合流した候補者の主張の新旧対比表をネットに掲載してくれるのを待ってます。
本来は大メディアの責務ですがね。
新有権者のためにも必要な情報共有です。





2017年10月1日日曜日

いはで思ふぞ言ふにまされる




和歌の下の句めいていますが、上の句はありません。
大和物語(平安時代初期の歌物語)の有名な説話

平城天皇が大事にしていた鷹を担当者が逃してしまった。
叱責覚悟で奏上したが、帝は特段なにも仰らず、
ただこのように呟かれた。

歌物語ですから、この下の句の上の句はどんなんだったと詮索がましいが、
実は.....と言うオチである。


口に出して嘆くような哀しみはその程度でしかない...
倭の心象風景らしいエピソードです。
今風(と言っても昭和だが)になぞらえれば

男は黙ってなんとかビール!(視聴者に麦酒泡吹きかけるって失礼だよね)




今時のグローバル世界では通用しないが、
殊更にけたたましく言挙げしない事がゆかしいと考え、
それが様になる民族がいたっていう事です。
だから変に肩に力入れたメッセージ性の高い藝術品は空回りする。



この世界の片隅で
夕凪の街桜の国

意識高い系二番館としては満足げなカップリングだと思います。
だから然程暇でもないが、脚を運ぶ素浪人もいる。
感想はと言われれば、ならのみかどのように答えてもいいが、
亀井文夫さんの傑作くらいはお勉強された上での渾身の一作かなって。


亀井さんの戦意高揚映画「たたかふ兵隊」こそ
大袈裟に言挙げしない事で最大の厭戦映画となり得た。
ふてぶてしいことに、製作費は軍の予算なのです。
映像と字幕と音楽のみで、つまらないセンチメンタルな言葉は排除。
戦後の数ある反戦映画がつまらないのは、行間にグリーンゾーンに体をかわした
ヘイワ主義者の矜持のなさが垣間見える事
彼らって一旦事あれば、簡単に且つ極端に偏向するのよ。
例をあげればキリがない。


その辺が色濃いのが後者
ゲンバクをテーマに据えると湿度たっぷりになるのは我慢してもいいが、
誤解を生みそうだが、無定見的被害者意識タップリに描かれると違うだろう!って。
無能な戦争犯罪人と迎合した連中による戦争の犠牲者だと断じないのであれば
情緒的なイデオロギーめいたものをサブリミナルのように持ち込むものではない。
今の日本映画の一般水準からすれば佳作ではあるが、与しようとは思わない。

引き換え前者は実に素晴らしい。
映画でなくアニメなのが残念ともいえるが、アニメだから定型的反戦映画の縛りから解放されたのだろう。
日常性に埋没しながらも棘に刺さるような日々を薄墨色に描くのはアニメの特権。

淡々と今日を生きる。明日も生きる。


ちなみにどちらも原作は、こうの史代さんの漫画です。
勝手ながら憶測すれば、後者の実写化は悔いてませんか?
前者のように描けば良かったのにと、原作を読み嘆概する次第

昨今は漫画原作映画の大量生産ですが、
キラリと光る秀作もチラホラです。