2017年10月11日水曜日
アイデンティティ
自分のルーツってなんだっけ?
具体的に言えば「日本人」ってなんだっけ?
ユダヤ人は法律的にある意味厳格に定義されています。
イスラエルの帰還法によれば
ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者
をユダヤ人と定義している。
ちょっと解釈が煩雑ですが「ユダヤ人の母」とはユダヤ教を信じる者でないと
論理矛盾を起こしますから、詰まる所「ユダヤ教徒がユダヤ人」なのです。
まあ、そんな鼻の奥に唐辛子をぶち込むような論理的追求をしない倭人には
大体でも良いのですし、能天気に日本国民は単一民族国家で....と口走っても選良になれるのです。
特段国会議員のレベルを難じてはいません。
主権者のテイドがその程度と言う事です。
国籍概念が一般化したのは18世紀以降
今揺らいでいます。
くにのかたちを真剣に考えるなら、近代国家の基本要素に照らし
ゆるがせに出来ないことなのです。
たまたまグラドル上がりの野党党首の国籍問題が議論になったのに
マトモな議論にならなかったのは残念というかキャラ
のレベルがあまりに低かったからか(^^)
スポーツの世界のみならず学芸においても国家の威信がかかりますから
団体でなくともどこの国の個人が栄誉に輝いたかは重大関心事である。
国のサポートを否定はしないが、所詮は個人の資質と努力なんて正論を
吐いてはならない。
思えばどこの国のメダルが一番多かったか?なんてナンセンスなんですが、
オリンピックならば、横長一重瞼の人種みたいに国籍を売れば(実際は逆にカネを出して買って貰っているかも)
いくらでも表彰台に立てます(^^)
中村さんや南部さんのノーベル賞の授賞に際しても
多少は話題になった。
特に日本人のノーベル賞授賞者は文化勲章の栄誉にががやいていなければならない
なんて慣行が出来ちゃいましたから....
南部先生はとうの昔に文化勲章をお持ちでしたからいいのですが、
中村さんは、授賞時はアメリカンです。
文化勲章授賞に国籍のシバリはありませんが、
どうも日本人のノーベル賞授賞者で非文化勲章者に対してはそれを追贈すると言う慣例に
従ったように思えます。
イシグロカズオさんの取り扱いが興味津々なのです(^^)
ノーベル財団はノーベル氏の意思により授賞者を国別に仕訳をすることはしない。
一般的には授賞の時の国籍主義ですが、勝手にやっているだけ。
多重国籍の場合には出生国主義を採用しているみたいな....
つまりノーベル賞の栄誉に輝いた事がないと嘆くよりも、有力候補者を買えば良いのです。
非難轟々だろうが、オリンピックでは横行してますし、国体なら当たり前(^^)
変にナショナリズムやパトリオットがのさばる嫌な渡世
国籍のしばりは軽くする....いや逆かも
今こそ国籍の踏み絵....かなあ
あのパンドラの箱のとじこめられた「手近にあるが手にする事が出来ない」ものを
政党名にするような愚挙をやらかしたアレですが...
外国人参政権反対ってどうなったのかなあ?
ユーキャンだかアイキャンだかに平和賞!を非難はしませんが、
国籍問題に「なるほど」って解決策を提示し活動する団体に平和賞を!
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