2017年10月8日日曜日

路地裏のショーウィンドウ(2)




似て非なるもの、西洋の紋章と倭国の家紋。
どちらもその起源を詳らかにしないが、このような場合は
複数要因に決まってますから殊更に絞り込む必要はない。
封建時代のはじめ頃より発展するとされますから、
よく似た時代背景が後押しをしたのだ。

家紋学なんて学問領域は聞き及ばないが、紋章学ともなれば、
究めれば文学修士クラス。
相当に難度も高く尊敬もされるようだが、あくまで保守本流の学問だとは
思われていない。
つまり、路地裏のショーウィンドウに相応しい。
翻って倭国ですが、沼田頼輔先生が日本紋章学を究めたといわれますが、
いま現在、家紋学を教える大学があるのかなあ?


家紋と違い紋章には複雑な約束事があり、勝手気儘に自由設計する訳にはいかないらしい。
一族の歴史を抽象的に体現したものだから、格調も高い。
構造化された紋章の体系図は学に相応しい。

家紋はなんでもありだから、家門の誇りや歴史には無頓着。
秀吉の家紋は五七桐紋ですが、これは関白になった際の拝領紋
若い時代は瓢箪紋を使っていたと思われますが、これは武功にちなむ。
徳川の三つ葉葵にしても、その辺の野草のモチーフ。
だいたいにして、優しげな花鳥風月がお好みな家紋に対して
獅子やドラゴン、ユニコーンが必ず登場し、武張っているのが紋章。

やっぱり文化精神史的に別物に見えます。
倭の武士なる存在は武装百姓であり、優れて集団化された存在であるが、
騎士団なるものは、集団であるものの個人の存在に対する強烈な主張がみられる
とは、樺山紘一先生のご説。
つまり、家紋は家門の標識だが、紋章は個人の標識でもあると言う。


批評すべくもないが、戦場での名乗りと一騎討ちなんかは
源平合戦のシーンに過ぎないと思えば、家紋が個を封じたのか?

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