2026年9月24日木曜日

秋和歌の絶唱

 


秋の和歌は、、、秋風のオンパレードやら「飽き」を裏読みさせたり、本当に下手が詠めば陳腐でしか無いって、子規の罵倒もある面で当たっています。



秋の気分ならば、こんな風情の方が、、、、



はるかなる唐土(もろこし)までも

ゆくものは

秋の寝覚のこころ なりけり(大弐三位 千載集)



作者の母親はレディムラサキ。彼女は歌人としては貶められていますが本当は歌才豊か。あまりに小説が素晴らしすぎるからですよ。

娘さんは和歌しか詠まなかったから、才能が一点に凝固したような、、、

素直なよい和歌ですから、ことさら現代語訳なんかめんどうなんですけど、、、


夜長の物寂しい秋

目が冴えて眠れない、、、あれこれ想いを馳せるひとのこころ

いつしかはるか遠い唐土までワープなんかしちゃうだもん



藤原俊成激賞の一首であり、彼もわざわざ本歌取りまでしていますが、この本歌も紀貫之の本歌取りだと言われています。

でも、ちょっとややこしくて、

大弐三位の曽祖父主催の飲み会で、誰かが「人の心ははるかなるもろこしまでも行くものなり」と言った事に貫之が反応して一首を、、、と詞書(古今集)

詞書も和歌の一部と考えますから、この貫之の和歌が「始まり」とされるのです。


この一首を大弐三位が恋慕の和歌(だと解釈するのが普通)に作り変え、さらに俊成は立春の和歌へ


数百年を超えて、天才たちの詩想がつながっていくのが王朝美學







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