秋の和歌は、、、秋風のオンパレードやら「飽き」を裏読みさせたり、本当に下手が詠めば陳腐でしか無いって、子規の罵倒もある面で当たっています。
秋の気分ならば、こんな風情の方が、、、、
はるかなる唐土(もろこし)までも
ゆくものは
秋の寝覚のこころ なりけり(大弐三位 千載集)
作者の母親はレディムラサキ。彼女は歌人としては貶められていますが本当は歌才豊か。あまりに小説が素晴らしすぎるからですよ。
娘さんは和歌しか詠まなかったから、才能が一点に凝固したような、、、
素直なよい和歌ですから、ことさら現代語訳なんかめんどうなんですけど、、、
夜長の物寂しい秋
目が冴えて眠れない、、、あれこれ想いを馳せるひとのこころ
いつしかはるか遠い唐土までワープなんかしちゃうだもん
藤原俊成激賞の一首であり、彼もわざわざ本歌取りまでしていますが、この本歌も紀貫之の本歌取りだと言われています。
でも、ちょっとややこしくて、
大弐三位の曽祖父主催の飲み会で、誰かが「人の心ははるかなるもろこしまでも行くものなり」と言った事に貫之が反応して一首を、、、と詞書(古今集)
詞書も和歌の一部と考えますから、この貫之の和歌が「始まり」とされるのです。
この一首を大弐三位が恋慕の和歌(だと解釈するのが普通)に作り変え、さらに俊成は立春の和歌へ
数百年を超えて、天才たちの詩想がつながっていくのが王朝美學

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