2014年6月17日火曜日

正しい「歴史認識」



歴史とはつまるところ「闘争」であり、
経済政策に対するイデオロギー的対立である。
その対立が、学理上の純粋理論闘争にとどまっているだけならばいいのだが
既得権とか利権とかがからみ、様相をおかしくする。
資本主義対共産主義みたいな不毛な争いとも二重写しになる。
  
 
華美壮麗な衣装をまとい贅沢にうつつを抜かし、
民草を顧みない貴族に対する農民反乱(当時は兵農分離ではないので、武士=百姓)で
出来上がったのが鎌倉政府。
百姓の利益(つまり土地の権利)を守るために政治を行っているうちは武士団=支援団体です。
しかし、経済の発展は、新興農民(商業兼営の「悪党」と言われる)を生み出し、
その対立を利用し、抵抗勢力から阻害された連中(賎民のたぐい)が担いだのが後醍醐天皇。
言い得て妙ですが「異形の王権」である。
建武の中興とも新政とも言われますが、
所詮は王族・貴族の利益しか守らなかったため、あえなく瓦解。
従来通りに武士団の利益擁護をマニュフェストにした足利政府が出来上がった。
しかし、その後の中国との「国交回復=朝貢貿易」は、貨幣経済のうねりを
もたらし、更なる商業の発展の機運を高めたのである。
 
 
足利政府以降の政治(経済)問題の論点整理を簡単に言えば「農業基盤か商業基盤」か
ということにつきる。
時代の発展過程において、商業(=流通)を無視しては経済は語れないのですが、
儒教以来の伝統で「商人賎民論」が根強く残っており、
孔子様が、あきんどを卑しんだ(らしいので)、結果「士農工商」と
いう身分秩序が与件のものとされた。
 
 
全ての「商品が貨幣に恋をする時代」においては、
商業基盤でないと経済政策運営ができないはずなのですが、
どうも、脳髄にこびりついた儒教思想が邪魔をする。
お江戸の三大革命とは、すべからく「反」革命であり、商業弾圧・農業復興
を志向するものでしたが・・・それでもキャラバンは進むわけであり、
ことごとく頓挫し、政権の寿命を短くしただけであった。
西洋史の流れに従えば、農業基盤政権は、封建武将のバランスの上に
成り立っており、その後は商業の発展に目をつけ、重商主義政策(商業重視)から
絶対的権力政権(絶対主義)に移行するはずなのです。
さすれば、明治維新政府ではなく、徳川絶対政権が出来ていた可能性は
ないではない(笑)
 
現代政治風に言えば農村票を基盤とする政権与党みたいなものであり、
衰退・敗退は歴史の必然というものです。
お江戸の「反革命」の結果、有意な人材が社会的生命を失い、
今に至る国際的な不利な立場(所謂領土問題)の原点ともなっている。
葵の御紋を振りかざす黄門様も、この春秋の論法からすれば反革命派の手先である。
新規事業を民間活力導入(あきんどとの官民癒着ですかねえ?)で遂行しようとする
代官は、あえなくとっちめられて・・・
 
備前屋、その方、家禄没収のうえ終生遠島
代官某、その方はおっての沙汰があろう  ・・・・ということで一件落着
 


 
最近の学校では日本史は選択科目って本当ですか(驚)
歴史を学ぶことなくしてどうして将来があるのでしょうかねえ?
年号やらマニアックな事象の丸暗記教育とかなにやらが、
歴史嫌いを産んでしまったのです。
最近は「歴女」なる方々がおいでになるようですが、
それが話題になるようでは悲しいし、
どうも彼女たちの「歴史への興味」は心騒ぐアイドルを過去に求めている程度としか思えない。
 
  
さて、身の回りに必要な究極の三点セットなるものがある・・・・
 
 
銅(鏡)をもって鑑となせば衣冠を正すべく、
古(歴史)をもって鑑となせば興廃を知る
人(友人あるいは側近)をもって鑑となせば得失を知るべし。
 
 
朕(唐の大宗)かつてこの三鑑を持って己の過ちを防ぐ。
いま魏徴(側近)逝き、一鑑を失う


 
 



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