2014年6月21日土曜日

地上の楽土なるものに・・・行ってみたい

 
 
この世は穢土に決まっている。
いかなる権力や財力を持ってもいかんともし難い。
だから・・・仏教的には、厭離穢土・ 欣求浄土なのです。
そういう意味での宗教というのは平明で正直である。
 
しかし、イデオロギーなのかマヌーバーなのか
この世の天国を説く・・・敢えて言いますが・・・「詐欺師」がいる。
偉大なる将軍様っていうよりも、お先棒を担いだペンごろとかいろいろ。
 
しかし、絶対を夢想する者たちは、宗教は阿片だと思っている、
実のところは、近親憎悪にすぎないのですが、
行きがかり上もあり、この世に楽園が実現すると信じている。
 

言ってみれば・・・

彼岸の楽土を志向すれば、宗教者
此岸の楽土を希求すれば、革命家

 
しかし、仲の悪い双子の兄弟ですが、なかには一卵性のシャム双子もいる。
宗教的革命家というか革命的宗教者というか・・・
 
そう・・・「ひのもと救霊会」
 
あり得ない夢想に向かって暴走し、挙げ句の果てには
冒険主義的一揆で、土崩瓦解してゆく。
末路哀れってレベルじゃない陰惨な終末。
 
  
別にモデル小説ではないが、
自ずと、京都のハズレの弾圧された新興宗教団体を彷彿とさせる。
多分に迷惑な話でしょうが、作者は、碩学吉川幸次郎の愛弟子。
漢文人としてのアウトサイダーとして、
小説なんかに手を染めたもんで、師はいたくご立腹されたらしい。
そんじょそこらの芥川賞作家が束になってもかなわない筆力にもかかわらず、
文学賞と無縁だったのは、きっと師匠の差し金
あるいは、勝手に忖度した出版社の思惑だろう。
 
 
彼、高橋和巳さんは、大学で、大島渚と同期生だったらしい。
お友達だったかどうかは知りません。
一人はペンで、今一人はカメラで「絶対を夢想」した。


彼岸の地で再会されたのでしょうが、そこって浄土ですか?
あなた方が夢見た「愛と希望の楽土」を見つけましたか?
穢土で、泥水安酒にどっぷり浸かっていた連中の成れの果ての住処が、
とても「楽土」とは思えませんが・・・


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むかし、山梨県の寒村で、宗教の皮をかぶったテロリスト集団が、手入れ受けました。
不謹慎ながら、その時に思い出したのが、この「邪宗門」だった。





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