2014年6月9日月曜日
反音楽論
オペラ(歌劇)とは、演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。
一方で、ミュージカルは、音楽、歌、台詞およびダンスを結合させた演劇形というのが
物の本の定義である。
芸術形式の優劣を論じるのは、本意ではないが、
音楽においては、未だにクラッシクが頂点で、あとは二流芸術らしい。
確かに、時分の花とも真(まこと)の花とも言う。
いっとき人気があっても、あっという間に賞味期限が来る作品は、
その程度でしかない。
長い時間と風雪に耐えてこそ、真の芸術・・・といえばそれらしい。
しかしである。CATSは、80年代初期以降から連続(あるいは断続的)に
上演がなされ、
ロンドン:9000回程度
NY :8000
日本 :8000 ・・・の上演回数である。
日本での年間300回公演を20年余り継続している事実からすれば
それでも「時分の花」ですかねえ?
一方、一番人気のカルメンを、これほどの上演をすればどうなりますか?(笑)
まあ、お値段の関係もあるのですが、同一料金だとしても一ヶ月ももたないように思えます。
芸術のリピート耐久力なんてあるのでしょうか・・どうもよくわかりません。
ちなみに、お能は、一期一会ですので「連続公演がありえない」が決まりごと。
とはいうものの所謂「古典派」が大好きで、ドイツロマン派(とりわけ後期)を受け付けません。
それにグールドのエキセントリックな演奏が好きです。
キース・ジャレットの即興演奏も好きです。
古典派のモーツァルトさんと一緒で、その即興曲がスコアとなって残ってます。
カルメンを毎日 はいささか敬遠しますが、彼らのピアノ曲だと毎日流れていても大丈夫。
--
・・・ここまで書いたところでイメージが胡散霧消し、しばらく放置していたのですが、
最近石井宏先生の「反音楽史」を読んで、元気が出ました。
これは(山本七平賞受賞作らしい)痛快で刺激的で反語的なのです。
刷り込まれた天動説みたいなものから距離を置いて冷静に音楽を見つめることができます。
さて・・・(先生のご高説をベースに)
①音楽史は、作曲家史であっていいのですか?
譜面は、それ自体設計図に過ぎず、出来上がった構造物=演奏物こそに価値がある。
先生は、記譜のことを「音楽の骸骨」ってまで言い切ります!
グールドが弾くからこそゴルトベルクは名曲であり、手前どもだと漬物が腐る
悲しい酒もまちぶせも、名曲たる所以は、ひばりさんやひろみさんがカバーしたからです。
涙の連絡線は、都はるみさんの歌って誰も知っていますが、作曲家は誰?
②高踏音楽と低俗音楽って誰が分類したの?
バロック時代や前期古典派のころまでは、そんな区分はなかったと
言われています。流麗で楽しい旋律は、生活の一部でした。
デイベルテイメントって・・・まあ食欲増進薬や睡眠導入剤の代替物だったのです。
みんなが楽しめる音楽こそが本流であり、
難解な精神性のみを追求するのは大衆を困惑させ、遠ざかるだけ。
変にお薬にたよる現在よりもはるかに健康的ですが、
逆に音楽家の地位って、その程度でもあったそうです。
あの世界中から愛されるヴィヴィルデイだって、20世紀に「発見」されたんですよ。
たまたま、LP盤が開発されて、収録素材の多様化が求められた結果らしい。
モーツアルトさんも、生誕・没後が百年で三回きますから、そのたびに新しい発見が行われます。
彼って不幸なことに昔は「♪♪お母さんと一緒学派」と貶められていたのです。
③記譜通りに弾かないとだめなのか?
少なくとも、コンクールでは絶対に駄目です。しかし即興演奏ってありますし、
自己流のコロラテイーナ(装飾音)をいかに駆使するかで技量を問われることもあります。
技量はあっても、創造性にかける音楽家もいたらしく、
モーツァルトさんはそれようの楽譜を書いてあげたそうです。
特に声楽では、18世紀では3オクターブは当たり前の技量だったらしく、
その即興性もすごかったんでしょうねえ。
夜の女王のアリアだって「たった2オクターブ半で」歌いこなせます。
表現に関する記譜符号については、演奏家は作曲家の奴隷ではない・・と思うのですが
ここんところは、プロ演奏家と意見を異にするでしょう。
厳格且つ権威的な正統的音楽教育を長年受けてきた「プロ」の呪縛ですなあ。
④ドイツが音楽の保守本流なの?
音楽用語の多くはイタリア語ですので、
源流は、他の文芸同様に古代ローマ以来の芸術の伝統を基盤としています。
18世紀での一流(とされる)の音楽家は、イタリアン人であり、
ドイツ人であれば、いくら優秀であっても二流とされました。
だからそれなりに認知されようと思えばイタリア留学の看板が必要だったそうです。
モーツアルトさんの悲惨で不幸な人生の多くの理由は、その人種性と学歴にあったとされます。
ライバルといわれたサリエリってイタリア人だったのですね。
才能がはるかに凌駕しても、駄目なのは駄目なんです。
門閥とか学閥みたいですねえ。
⑤声楽と器楽はどっちがうえなの?
人類にとって最初の「楽器」は、自前の声。
そして、究極の楽器。
なんと、女性の高音を男性のような強くたくましくうたうために
カストラーデ(去勢歌手)まで作り上げてしまった。
声楽に適した言語はイタリア語の右に出るものはない(らしい)
けだし、イタリアオペラこそがオペラの頂点であったのは、それも理由のひとつらしい
ロッシーニ・ベルデイ・プッチーニ とその系譜は音楽史そのものではないか。
しかし、いまや、どっちかといえば器楽 それも交響曲が上位を占めるのが社会通念化している。
どうも、声楽の技量が衰え、器楽の楽器の性能が向上したのも技術的要因ともいえます。
石井先生の説によれば、これはドイツ人音楽評論家の陰謀らしい。
ドイツ語は、思弁するとか論理を語るには適しているが、愛や恋には不向きである。
同じ「苦悩」であっても苦悩の性質が違い、異性に対する憧憬もその様相を異にする。
どうあがいても、イタリアオペラを凌駕出来ない以上、下等音楽のレッテルをむりやりに張ったということである。
⑥正しい「歴史認識」とはなにか
ヨーロッパの文芸がルネッサンス以降イタリアが本家&元祖で、
それがフランスに移植され・・・ゲルマンの地は最後まで蛮族の文化はつる辺境の地であった。
それが当然でしょう。
ドイツが発展するのは、19世紀以降の軍事的勃興以来であり
普仏戦争で頂点に立ち、第一次世界大戦の敗北で徒労に終わった。
その間の、観念性豊かに厳格・堅牢・権威主義なドイツ文化は、日本に多大な影響を与えた。
最近は患者さんのことを「クランケ」って言わないらしいのは慶賀の至り(笑)
ともあれ、50年間の権力主義的な時代は終わったのですが、
長年の刷り込みは簡単にはぬぐえない。
音楽史において、ベートーヴェンさんは分水嶺です。
だって、それまでの音楽家は、みなさん鬘に金粉と半ズボン。
彼以降ですねえ・・地毛振り乱して・・・ちょうど音楽界のサンキュロット派です、
フランス革命って音楽にもとんでもない影響を与えたようです。
音楽は楽しい。楽しいから音楽を聴く。
高い精神性も、それを楽しめるからである。
カルメンやマダムMのクライマックスで泣くことのない蝸牛庵も、
グリザベラが天上に上るCATSのエンデイングでは毎度泣くのです。
たかが大衆音楽ですが、感動を与えられない芸術はクラッシクであってもそのうち死滅します。
えっと、誤解を恐れずに言えば、音楽にどのように「楽しみ」を得るかはそれぞれです。
崇高な精神性に涙し、その権威性にひれ伏し、かの難解性に打ちひしがれる・・・楽しみ方も否定はしません。
でも、音楽にはやはり、南欧の陽光がお似合いだと思うのです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿