2016年1月28日木曜日

思想体系(1)



1970年代から80年代にかけて「思想体系」なる浩瀚な全集が刊行された。
気負い感たっぷりだし、全巻保有しているなんて、よっぽどの書痴に違いない。
蝸牛庵は当然なから、でも目録だけは、いじらしくも捨てずに(苦笑)
ながむるに、倭国のフィロソフィーの系譜とは、かようなものか!




三教というが、神道に関しては、古事記と中世神道、江戸末期の国学系だけ。
思想としての風景は貧相です。
理性や論理で語るものではないからかもしれません。

仏教は、空海、最澄を頂点に鎌倉仏教で思想体系的には死滅・・・と言わんばかり。
明治以降の法華経の影響は無視できるものではないが、この全集が扱う分野ではない。
つまるところ、最大勢力は、所詮解釈学に過ぎない近世儒学。
今思えば、家永、石母田等傾向的な学者が編纂したから歪んだのかと邪推する。
そういえば、傾向的な学問体系とは、マルクス理論を無謬至上として公式的あてはめ解釈学なんだなあ。

その他、芸論、洋学・・・まあ、あしらいである。




こんな傾向主義者たちに壟断された体系なんか
・・・って、幼かりし蝸牛庵が、浅学菲才ながら毒饅頭だと忌避したのであれば、たいしたものだ(笑)
日本人のこころの歴史は、そんなものではなかろう。


唐木順三さん的に言えば、季節美観の変遷こそが、日本人のこころなのです。
言い換えれば、自然信仰以上でも以下でもなき世界です。
プリミティブだと嘲るのは勝手だが、素直なことが一番。
思弁性の高さには敬服も感銘もあるが、鬱陶しい(笑)





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