2017年5月4日木曜日

台灣が好きですか?





好きです!!
理由はさまざま。

統治に人を得た歴史故か親日感情が豊か
中華文明の正統な後継者(正統漢字を国語としまた台北故宮の存在)
軽めのエスニック感な料理がお好み
なんちゃって、台灣ニューウェーブ映画へのレスペクト


クーリンチェ少年殺人事件


四半世紀ぶりの劇場公開だし、プロパテント問題からDVDは未発売
四時間の長丁場に気力、体力が持つかどうか....
いま、見逃せばあの世で、楊徳昌監督に合わせる顔がない。


どこの国の映画史にも「新しい波」なるものがある。
台灣映画史のニューシネマは、80年代から90年頃
それまでの台湾映画って見たことがないが、想像するに、
国策プロパガンダか大衆娯楽のみの一時の慰安なり享楽だけのたぐいにちがいない。

つまるところ、社会の矛盾なり不安を直視し写実性を重んじて映画つくりを行うという当たり前のことに真摯であったという
ことがニューウェーブの特徴だということ。


チンピナグループの烏合離散といさかいのなかで、不順異性交遊の果ての餓鬼っぽい痴情のもつれからの衝動殺人


しかし、これだけの素材で4時間の長丁場は持たない。
台湾という歴史的背景から来るいささか難儀な社会背景から眼を背けない立ち位置が奥行きなり広がりをもって時代を描ききる。
台湾ニューウェーブの双璧である「非情城市」も同様である。


台湾が歴史的に登場するのは17世紀以降のこと
大航海時代のなかで一時期オランダの植民地であり、明朝崩壊の中で大陸から逃れた鄭成功一派が建国したものの
早々に統治に失敗。
清朝の時代は、支配されるというよりも「化外の民」としてその影響下にあった。
その意味で、中国の一部というのであれば、朝鮮ほどのことではない。
日清戦争で、日本に「割譲」されたが、当時の清朝としては痛くもかゆくもなく、
列強にとっても地政学的にさしたる存在ではなかった(だから三国干渉のような軋轢もなかった)

第二次世界大戦後、大陸での政権抗争に敗退した蒋介石派が乗り込んできてから
台湾全土の社会秩序が大きく変わり複雑になった・・・・ということはどの歴史本にも書いてあるが、
実のところ、内省人と外省人との軋轢を皮膚感覚で理解するのは相当に困難であり、
当時の悲劇的な出来事は長く(実は今でも)タブーの扱いであったようです。

残念ながら、その後の台湾映画さしたるものでなく、才能はアメリカにわたり、アンリーのように
ハリウッドで成功するにとどまる。







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