2017年5月8日月曜日

正中(しょうなか)



一休宗純は室町時代、南北朝統一から応仁の乱の頃を生きた天皇ご落胤である。
当時的には長寿でしたが「老いてもなお盛ん」ってことよりも、頓知噺しで人気がある。
しかし、あのライブラリーは江戸時代のものらしく、たぶんにフェイクニュースだ。
有名な「コノ「はし」ワタルベカラズ」 なんてどう考えてもおかしい。


能舞台とは能楽堂全体を意味することもあるが、狭義には三間四方の本舞台をいう。
この舞台を九等分し、真ん中を正中という。
何故か重箱読みですが、理由は知りません。

この正中という表現は、橋や参道にも使うようで、この場合は「しょうちゅう」というらしい。
神様や貴人の通る場所だから、一般者は忌避するのが作法とされる。
能舞台の橋掛りも、囃子方は正中を避けるのが正しい。
シテの通る場所であり、シテとは、人ではなく多くの場合は、霊である。

高杉が松陰師を埋葬するため、千住から豪徳寺まで荷車で運んだ際
どっかの御成橋の真ん中を通り、番人から咎めを受けたらしい。
将軍だけが真ん中を渡れるというルールらしいが、
傍若無人な高杉さんですから、勅命である!とかなんとか言い放ちだんびら振りかざして押し切った。


そんな作法は無意味で根拠がないと書き散らす向きがあるが、如何なものかねえ。
理屈の上で正しいことが良いことでもあるまい。
中国の古典に「晏子の御」という逸話があるが、道の真ん中を横柄に歩く様は見た目にも心地よいものでなく、
謙譲の美徳とは無縁である。
今時流行らないと言って仕舞えばそれまでだが、知って行う様と知らずにでは天地ほど違う。

高杉晋作は確信犯であるが、一休さんは、この頓知噺が事実であれば、単に無知ってことであり、
ありえないことだと・・・・



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