2019年7月10日水曜日
糺ノ森に狂女は舞う
また来るからね
それまで待ってておくれ
それまではコレを僕だと思って....
月日が流れ、指折り数えても彼は帰ってこない。
いつしか待ちわびるこころには狂気が宿り
いまどきは「待つおんな」なんて非現実的なんだが、
花筐や扇子に待たされるおんなの情念を化体させる
能楽お得意の技法
班女
オリジナルも素晴らしいが、ミシマの翻案劇も然り。
政治なんて狂気に憑かれなければ偉大な文学者として
尊敬されたのでしょうが....
近代能楽集は、オリジナルの能楽を原型をとどめないまで
再構成された戯曲集。
彼の才能の冴えは小説よりも戯曲だ。
岐阜あたりの風俗嬢だった花子さんは、
待ちわびるオトコからのプレゼントの扇子を抱きしめ
ながれ流れて、下鴨神社あたりでやくざな暮らし
かつては今の何十倍も広かった糺の森。
神仏のご加護で、二人は再会し...長くしあわせに暮らしました
ってハッピーエンド(これじゃ近代的と言えないから、ミシマ版では狂気の淵に沈んだまま待ち続ける)
能は基本二幕の二役一人芝居で、この世の人間とあの世の霊を
演じ分ける。
しかし、この演目は背景説明を適当に端折って
ひたすら現実の花子の狂気の情念だけを演じる。
再会して...なんてメロドラマの山場もサラリと付け足しの感。
継体天皇と越前に残してきた愛人との再会話が「花筐」なんですが、
小道具の設定としては扇子の方が様々寓意的。
王朝文学のお約束としては、
あうぎは「逢ふ」ぎ
扇子は秋になると暑さ和らぎ捨てられる運命
オトコのこころは秋の風
扇子の表面は優しく愛していても裏面では冷たく邪険
揺れ動くおんなの心の深層を巧みな詩草で謡いあげる。
逆に言えば、主上のおこころを疑ってはならない
だから小道具に扇子を使うわけにはいかないから...との
読み筋もあります。
たかが小道具...されど小道具
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