2019年11月7日木曜日

流転する悲劇....






倭国では古来より、冊子や巻子の一部を短冊にし、
凝った表装のお軸にしたり、襖絵に見立てたりする
藝術フォーマットがある。
西洋でいうコラージュの原型のようなものである。
しかし、仮にだがピカソのオイルやデッサンを切り刻んで、新しい絵画を
作りあげれば...それは暴挙とも冒涜と言われる筈だ。


大物経済人だとも大茶人とも畏怖尊敬されるが、
益田鈍翁のやったことは、まさにそれである。
巻物二巻がそのままの形であれば、国宝間違いなし
切り刻まれた残簡の多くは重文指定を受けている。


国営放送のドキュメンタリーは観てません。
何冊かの書籍には目を通したが、
ふれていない事について妄語を書きなぐってみよう。



佐竹本三十六歌仙絵巻物
現在の貨幣価値で40億円くらい
一人で買い取るだけの財力のある富裕セレブがいなかった..
と言われるが、如何なものか
益田だと買えたと思うが、別の思惑があったに違いない。

オークション..といっても、指し値が決まっていましたから、
籤引きでどの切り絵かが決まる。
一体籤引きに参加した貴紳富裕セレブはどうやって
決まったのだろう。
錚々たるメンバーだと言われるが、岩崎、安田、大倉の名前が
見当たらない。
想像するに、益田の茶会仲間や出入りの道具屋から選んだに違いない。
最初から転売目的の参加者もいたというから、推して知るべし。

絵巻物のままならば流転もせず、道具屋の商売にはならないが、
切り刻めば何度もビジネスチャンスがある。
凝った茶軸にしてここぞとばかりに茶会で披露して
仲間の称賛を浴びたい。
道具自慢で鼻を高くしたい....
当時のセレブのお遊びは、能楽やらお茶
別に高尚でもない
昭和のサラリーマンの「ゴルフ・カラオケ・麻雀」である。
益田にとりいるためにお茶のお稽古に精だす成り金は
ゴロゴロいたと聞く。


不幸にも、この絵巻物は切り刻まれる運命にあった。
家運の傾いた佐竹家から絵巻物を買ったのが、
山本某なる成り金。
それがケチの付き始め...
成り金が破産に瀕し、真に藝術の守護神ではない益田に相談したのが運の尽き

住友家の御当主に何故頼まなかったのかなあ?
十五代吉左衛門は、教養人だったと言われ、
茶道にも憧憬が深かったようだ。
籤引きにも参加していますが、引き当てた切り絵を
茶軸にはしたが、茶会に使った事はないそうである。
一世紀にわたり京都鹿ヶ谷の旧宅の蔵箱に秘蔵されたままだった。

泣きつけば買ったと思いますし、
仮にもそうであったならば、今頃は、
泉屋博古館蔵という事で、数年に一回くらいは
絵巻物のまま展示博覧されたものを....

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