自然科学系は言うに及ばず、社会科学系も横書の軍門に下った。
人文科学系も時間の問題かも知れないが、
文藝の世界はしつこく頑張っている。
横書の古今和歌集なんかは、ネット索引で慣れてることもあり
そんなに違和感がない。
とは言え、縦書本と横書本の選択となれば論を待たない。
デイスクレシア
ある種の学習障碍であるが、日本語文化圏での認知度は低い。
識字障碍あるいは読書障碍は、日本語では起こりにくいからだろうか?
かような仮説はあまり聞いたことがないが、
あるとすれば、縦書と表意文字の有意差だと容易に想像がつく。
速読(斜め読み)は縦書に限る。
要するに、ブリティッシュレジメンタルスタイルに眼が動く。
個人差かどうかは知らないが、
右上から左下に川の流れのように認識が流れるのですよ。
大脳生理学として正しいかどうかは判らないが、
アタシ個人的にはそうだと言うこと
縦書か横書か...なんて不毛の論議であり、
アタシには止揚した素晴らしいアイデアがあります。
全く目にしなくなったので知らないが、紙新聞って
大見出しは「横書」で本文は「縦書」なんですかなあ?
戦前からの踏襲...なんてそれは大錯覚!
戦前の新聞は一切が「縦書」でした。
毎度の鬼面人を驚かす狂言綺語ではない。
あれは「一行一文字の縦書」
実に合理的です。
だから、扁額は右から読むのが決まり事
左から書いてあるのは書き手が痴愚魯鈍なんです。
かかるが故に未来の倭語の書物が須くそうなり、
縦書と横書の表面的な区分を超克する事を願っている。
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