2020年7月6日月曜日

縦書と横書



自然科学系は言うに及ばず、社会科学系も横書の軍門に下った。
人文科学系も時間の問題かも知れないが、
文藝の世界はしつこく頑張っている。

横書の古今和歌集なんかは、ネット索引で慣れてることもあり
そんなに違和感がない。
とは言え、縦書本と横書本の選択となれば論を待たない。


デイスクレシア


ある種の学習障碍であるが、日本語文化圏での認知度は低い。
識字障碍あるいは読書障碍は、日本語では起こりにくいからだろうか?
かような仮説はあまり聞いたことがないが、
あるとすれば、縦書と表意文字の有意差だと容易に想像がつく。


速読(斜め読み)は縦書に限る。
要するに、ブリティッシュレジメンタルスタイルに眼が動く。
個人差かどうかは知らないが、
右上から左下に川の流れのように認識が流れるのですよ。
大脳生理学として正しいかどうかは判らないが、
アタシ個人的にはそうだと言うこと


縦書か横書か...なんて不毛の論議であり、
アタシには止揚した素晴らしいアイデアがあります。


全く目にしなくなったので知らないが、紙新聞って
大見出しは「横書」で本文は「縦書」なんですかなあ?
戦前からの踏襲...なんてそれは大錯覚!
戦前の新聞は一切が「縦書」でした。
毎度の鬼面人を驚かす狂言綺語ではない。

あれは「一行一文字の縦書」

実に合理的です。
だから、扁額は右から読むのが決まり事
左から書いてあるのは書き手が痴愚魯鈍なんです。



かかるが故に未来の倭語の書物が須くそうなり、
縦書と横書の表面的な区分を超克する事を願っている。



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