2020年7月20日月曜日
自粛よりも萎縮
お芝居の興行によりクラスターが発生したらしい。
一定の確率で起こり得ることであるから、萎縮して
興行の再開自粛なんて....過剰反応
公演の状況を詳らかにしないが、
所謂「三密」状態であったならば、リスクは高い。
興行主がどの程度まで対策を講じたか?という事に尽きる。
興行場法の規制やガイドラインなりを徹底していればまだしも
規制なりの不合理性もあるかも知れない。
昨今囁かれる「空気感染」なんて言い出すと、いろんなことが無意味になる。
こんな法律があるんですよ。
換気空調の詳細は条例の定めによるので都道府県により
違いがある。
単なる「小屋」じゃなくて、結構重装備
本当にちゃんとやってるのかなあ?って素朴な疑問
最新の施設ならば大丈夫だろうが、
すべてはそうでもなかろう....
天邪鬼なアタシだって
満席興行には行かない(経験値から座席定数一割程度だけ)
歓声なんかがあがる興行には行かない(ライブなんかとんでもない)
演劇、声楽系は前列には座らない(だって飛沫のリスク)
愚昧げな客筋とは同じ空気を吸わない
とかなんとかアタシなりのリスク回避基準がある。
興行主が相応のリスク対応を行なっているならば、
そんじょそこらのもらい事故のほうに遭遇する可能性のほうが
高いかも...って思うんですがね。
ここで、おはなしは突然変異します。
千葉雅也さん(哲学者さま)の著作の勝手でバイアスある引用です。
⬛️ヒトザルの不安について
何かが失われるから人は不安になるのではなくて、
何かに近づきすぎて『欠如がなくなる』から不安になる。
人間にとって欠如は悪いものではなく、
むしろ欠如が維持されている状態が重要なのだ。
しかし、無限に欠如が広がった状態もまた不安も引き起こす。
欠如を一定に区切る工夫が肝要。
現代社会は情報が多すぎて、あらゆるものと距離を取るのが難しい。
欠如が不足しているので不安になる。
接続過剰な状態から逃れるツールも必要。
接続過剰なツールも情報収集のため必要だが、
その中に切断可能な「小島」を作ることが大切...
つまり「何でも欲望を叶えてくれるような多機能なものは、
かえって欲望を閉塞させてしまう。
機能を限定することこそが、むしろ欠如の余地を広げるという意味で、
欲望を活性化させてくれる。
そして閃いたこと
最近アマゾンプライムはつまらない!ってそう言うことなのか
ラインナップがリッチになるほどつまらない。
ダウンロードした傑作もまず観ない
やっぱりアレコレ不自由を感じながら、回避しつつ
小屋に通うか
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