剣道の判定には詳しくないもので、以下はまったくの受け売り(亡父の師匠であったナントカ流の宗家の言)
剣の世界は「残心」とやらを重要視する。
単に一本入ればいいってもんじゃなくて「よしやった!」なんてガッツポーズをやると取り消されるとか・・・
まるで旧態然とした高校野球です(^^)
もう少し実際的に言えば「七人の侍」の名場面を想起すればいいが、実は柳生十兵衛のエピソードに由来
旅の武芸者と木刀で立ち会う久蔵(宮口精二さん)
見た目相打ちで終わるのですが、久蔵は「拙者の勝ちだ」相手は憤然として真剣の立会いを望む。
見物している勘兵衛(志村喬さん)・・・・・「勝負は見えている」
要するに、真剣であれば相手を切り殺したか、切り殺せたかという事が一本の勝負の判定判断
例えとして実にわかりやすい。
防具をつけた竹刀での鍛錬とは、真剣勝負の擬制である以上当り前と言えば当たり前
しかし、人切庖丁をもったこともない、あるいは唐竹や麦藁を切った事があるかどうかも定かでない者がわかるものなのか(ありていに言えば、竹刀剣法しかやった事がないなら論外)
ささやかな経験からすれば、碁盤の角にすえた二尺の太竹や麦藁を斬るのは大変なことだ
太刀さばきが華麗だから、構えが凄そうだから斬れるってものじゃない。
この世界の業界人がすべからく勘兵衛さんほどの眼力を持ってとは思えないし、それは審判という立場でも誤差はあるまい、、、と素人ながら思うのです(名選手が名審判になれるかどうかもよく知りません)
個人的にはビデオ判定には懐疑的なのですが、、、
判定とは神の領域に近い。
間違いも含めて、それが競うってことだしその結果が理不尽であっても神の気まぐれだと言うこと。
競技に限らず、世の中全般が太古の昔から理不尽なものと決まっている。司馬遷は「天道、是か非か」と悲痛にかつ諦観を込めて言い切ったのはそう言う意味。
しかし、神の域に多少は近いヒトザル審判がどれだけ居るのか?って考えれば、、、
更に、スポーツがエリートの趣味から巨大ビジネスにかわってしまった以上判定結果に多額の金員が絡むようになった。
そう諦観ばかりもしていられないのが世間の流れだから、もはややむを得ない。

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