2014年9月13日土曜日

「政治哲学」の真髄

四千年の治世の哲学や要諦、更には異民族との戦乱で鍛えられた連中は 基本的に骨格が違う かつての治世者のように「中国史や古典の素養」があればまだしも 世間っていうか世の中一般と同様に教養がない御仁が多いもので いささか未来が心配になる。   中国古典である五経の中に「書経」なるものがある。 その中の「洪範九疇」の中に「八政」という有名なくだり。 この「洪範九疇」は、伝説上の聖帝「夏の禹」が 天から授けられた「治世の要諦の一部」である。 曰く「八政」こそが重要な政治課題(責務) 責任者を決め、官僚機構を整備し、ルールを定め、 組織的に対応しなさいって・・諭します。   括弧内は、多少の誤解を恐れずに今風の言い方をすれば   一曰 食 (食料自給率の確保と食の安心安全) 二曰 貨 (健全な財政基盤構築) 三曰 祀 (祭祀) 四曰 司空(治山治水等国土強靭化) 五曰 司徒(教育) 六曰 司寇(法と秩序の確立) 七曰 賓 (毅然たる外交) 八曰 師 (祖国防衛) 


至極当たり前ですが、そのアタリマエのことが、
有史前から、規範として存在していた(・・・らしい)事実に畏怖すべきである。
こんな隣国を持ったことが幸せか不幸せかはつきあいかた次第である。
夜郎自大でもなく、叩頭媚中でもなく・・・

この順番は、多分に優先度を表すと思うのが自然でしょう。
衣食足らしめ後に礼節を知らしめる・・・とは、まさしく基本的な治世の要諦
最近の民度の荒廃は、まさしく・・・鶏卵議論は知りつつも、
まずは今と未来が安心して三度三度のオマンマが食べれるようにと・・思わせないと、
それ以降の理の勝ちすぎたり、武張った議論はそれこそ空理空論である。
それができれば「国威・国力」はあとからついてくるってもんです。
戦争と外交には流血の有無以外の差異はない。
内が収まってこそ外へ・・・家内がゴタゴタ状態でうってでることはあってはならない。


ところで、お役人様の倫理観って特段の明記がありません。
東洋的政治風景とは「袖の下は当たり前」ってことだし、
そもそも、政治は道徳から解放されたものです。
野次や暴言・失言如きをあげつらう暇があれば、やるべきことはいくらでもある。




中国史においては・・・
清廉潔白な役人ですら、地方の知事を三年やれば孫子の代まで栄耀栄華・・・だった。
いわんや、貪官汚吏ともなれば・・・・苦笑

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