2016年3月14日月曜日

神に通じる「窓」


真っ当な・・・・別に特定の価値判断を意味するものでなく単なる形容詞程度の意味ですが・・・
宗教では偶像崇拝は禁忌である。
偶像とは、固形物による宗教的対象を形取った像の事である。
イスラム教が一番厳格だと思われるが、ユダヤ教もキリスト教もまたしかり。
いずれもが、アブラハムの宗教であり、カノンである旧約聖書の十戒に定められている以上、
当然の如く崇める神を可視化してはならないのです。

クラシックギリシアやローマは偶像崇拝的であり、ヒンズー教もそうだ。
神道もそれに近いが、対象物がヒトザルを模していることではないことが異なる。
仏教は、そもそも的には・・・本来の原始仏教という意味ですが、偶像崇拝は禁忌。
仏像なんかとんでもない話であり、かろうじて「仏足石」という目印が許されたにすぎない。

どっちがまともかという議論ではない。
教義論争ほど無意味なものはない。
しかし、キリスト教の宗教施設には必ず、イエス様の偶像や聖人像、一番人気なマリア様と事欠く事はない。

教義上なぜ許されるのか?
これは論争ではなく解釈であるが、二千年間弁舌で喰ってきた連中のロジックは凄い(笑)


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聖像は神そのものではなく、神を見る「窓」である。
聖像を崇拝しているように見えるが、実のところ像を通じての神を崇めているのです。
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絶対に想定問答集があって、不信心な天邪鬼の愚問にたじろぐ事はないのだ。
しかし、この程度の質疑応答で感心するようでは、知の大伽藍も程度が知れる。
敬崇なクリスチャンにとっては、常識以前ではないかって、宮下規久郎さんは言うのですが・・・どうなのでしょう?




ここで、話しは大きく飛躍する・・・というか、今までは単なるマクラに過ぎない。
文科系IT技術者の真髄とは・・・・

ビルゲイツさんは、真面目なクリスチャンだそうですが・・・
彼が、マイクロソフト(MS)から発売するOSにどうして「 Windows 」と命名したのか・・・積年の疑問が解けた!
っていうか、ある種の解釈が出来た。
同時に、画面上の記号をアイコン(イコン)と呼ぶ理由も明らかとなった。


彼は、エヴァンジェリストだってことはよく言われますが、
神に通じる「窓」を通じて、様々な聖像(イコン)を配置する宗教施設的なる世界がコンピューターの世界なのです。
教会とは単なる箱。
神の家というのは詭弁であり、それ自体に意味がないのは偶像と同じ
OSという窓から神に通じるヤコブの階段(ジェイコブスラダーっていいます)を登りなさい・・・・これがMS教の教義の真髄。


宗教画の寓意だか暗喩を調べているとトンデモナイことに遭遇した(笑)
宮下さんのおかげです。




ささやかではあるが「発見・・・ユリーカあるいはエウレカ」とはこういう事なのだ。
あちこち探しましたが、言葉の由来に触れているものは探せなかった(宮下さんはどこからヒントを得たのだ?)
正確に言えば、あるにはあるが、テクニカルな説明で琴線にふれるものではない。
この「仮説」なんだが、哲学性があって・・・・スマッシュヒットだっておもうんですが(笑)


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