2016年3月22日火曜日

自主国歌制定運動



一昨日の積み残し話題です。
戦後・・・といっても、七十年前の「戦後」のことです
あらゆる価値観の転換が叫ばれたわけであるが、どういうわけか

日の丸
君が代

は生き残りました。不思議としか言いようがないのですが、
皇室制度との三点セットで、GHQも手をつけようとしなかったのか・・・・
調べてはいるのですが、よく分かりません。

しかしながら「新国歌」を制定しようという動きは微かながらあったようです。
壽屋さん・・・がラマルセイエーズにならって国民歌を公募したりとか・・・(このエピソードは知らなかった)


何事にせよ組織というのは求心力の担保としてなんらのシンボルが必要とするわけで

代紋(徽章)
テーマソング
シンボル旗

なんかは欠かせない。
毎度登場する神戸の某団体は、代々のトップの讃歌をお持ちのようです。
組織の歌というよりも、演歌調の個人の歌ってところが実に面白く、組織の性格を如実に表す。

さて「君が代」の国歌としての法的根拠が正式に与えられたのは20世紀の末の頃
まことにそっけない法律であり、外国の国章の損壊は刑法犯として処罰されるのに、
倭国の国章は煮て焼いて食おうが御構い無しは・・・・怪しからん(笑)
チャンスを見ては、不敬の行為があれば処罰できるように法令の準備って、鯉口を切っている連中がいるみたいです。

別に「国章」を厳密な意味で定義すれば

日の丸は国旗であって国章ではない(そもそも別物ですが、刑法犯罪的には国旗の損壊も処罰される)
法的根拠のある国章は存在しない(慣例的には、十六八重表菊 とされます)

国旗国歌法を制定するときにどうして国章も定義しなかったのかねえ?
このままでは、日の丸を損壊することは犯罪であるが、天皇御紋はどうでもいいってことになりますよ。
思うに、ライト系って基本的に敬皇意識って有しないただのゴロツキ風みたいだ。


ここからが、本論なんですが、執念深くも自主国歌制定運動を繰り返し、未だにお手盛りで制定した「新国歌」なる
歌謡を事あるたびに歌い散らかす連中がいるとはこれまた知らなかった。
制定したのは、戦後の日本独立の頃
当時の文部大臣の天野貞祐が、君が代歌唱運動を始めた事に対抗するためだとされる。
天野先生は、ドイツ観念哲学の先生だし、ウヨクってわけじゃない。
しかし、素朴な国民感情としての、金メダル・日の丸・君が代の三点セットは、ほかの何者をも
寄せ付けない。

関係者の不毛の努力にも関わらず、芥のように消え去る運命のようですので、
黒歴史の一コマとして、文章に残しておきます。

正式な「組歌」はありますが、新しい国歌の第一候補として制定されたという出自の良さだかなんか知りませんが
公式行事では、こちらの方がよく歌われるようです。
初めて聞きましたが・・・・恥ずかしくて国際社会に出せないって個人的感想(笑)












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