2016年3月6日日曜日

長屋は花見だって


江戸前落語
舞台は「上野の山」・・・は普通に考えればありえない。
文人墨客が桜を愛で散策程度はいいだろうが、徳川歴代の御廟所がある以上、どんちゃん騒ぎなんかできるわけがない。
史実に厳格に言うならば、向島か飛鳥山。
飛鳥山は 吉宗の時代にできたものだが、いささか遠い。
向島は、百花園といえば常識的だが、玉ノ井の駅(今ではそういうような風情ある駅名ではなくなった)から歩くし
どうせなら「桜茶ヤ」のオバケがいい(苦笑)


別に「花見」といえば「桜」って無条件反応をすることもなかろう。
花は桜木っていわれるのは、平安以降の王朝和歌の影響。
大和魂の権化ってことで本居なんかが持ち上げるから、戦後まなしは、あちこちで桜並木の伐採が・・・
なんとも、振幅の激しいこと(苦笑)
桜木には何の罪もない。


そう言うのが理由でもなかろうが、陋屋界隈には桜狩りの名所はない。
春の花見と言えば

田圃一杯の蓮華
梅林
桃林

と決まっていた。ある意味で実用的な花ばかりかも(笑)
ある種の中華好みですが、どちらも、花を愛でる暇があれば、さっさと花を摘む。
でないと、実が大きくなりません。
チューリップの球根だって、そういうような「栽培方法」をするそうです。
花愛する姫君よりも虫は・・・ともかくとしても実利を愛するのは善きことなのです。




梅の花、今盛りなり、思ふどち、かざしにしてな、今盛りなり

春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ乙女




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