2017年1月14日土曜日

変節の何処が悪い・・・「天皇の世紀」傍論



君子豹変
下愚不移

頑迷固陋に意見立場をかえないのは、愚かしいと言うことである。
村山社会党だって、自衛隊容認(合憲)論に一夜にして転じたではないか。

変節漢と言えば唾棄すべき存在のように悪しく思われるが、
ジョセフ・フーシェを見ればいい。
政治的カメレオンとは彼のこと。フーシェなぞらえられる事はある意味で政治家としての賞賛だと
思うのですが、倭国では「日本のフーシェ」と異名をとる例は聞き及ばない。
せいぜい・・・政界渡り鳥




江戸時代末期に諸外国が様々な理由で通商を求めてきたが、頑として受け入れず・・・
しかし、その理由が薄弱で、憲法九条の文理解釈みたいなものだし、何よりも国史の知識の著しい欠如が背景にある。
理性・論理・教養のないトップとそのスタッフばかりだと国論を過つのもけだし当然ですねえ。

統治はせず君臨するだけのミカドに意見を伺うなんてどうして愚かなことをしたのでしょうか
有識者会議なんかで意見を聞くと言うのは、自分の意見の補強手段にしか過ぎません。
あるいは本当に自分の意見がなくて専門家のアドバイスが必要なら、黙って従うべきですよ。
毎度言う「使いては疑いなかれ」とはそう言う事です。


尊皇攘夷を旗印に、幕府を攻めつけた薩長土肥連合軍って、世紀の変節漢です。
勝てば一夜にして「開国」に転じる。
鎖国攘夷なんか出来っこないし不合理だって最初から分かっていて、スローガンとして掲げると錦旗になると
知っていたのですよ。
アメリカ軍基地撤去とかオスプレイ配備反対なんかもその類い・・・・って(独り言ですがね)

そうは言っても、高度な策謀を理解していたのはごく一部の上層部
嘘の錦旗を信じた草莽の民草って驚天動地だったでしょうねえ。

鎖国攘夷から開国友好

明治維新=裏切られた革命と思わない方がどうかしている。
真面目な人々は、失意のまま故郷に帰りサイレントマジョリティとなり、血の気の多い一部はテロリストとなった。


半可知な歴史マニアは、幕末の動乱とりわけ、寺田屋事件や池田屋事件がなかりせば、明治維新はもっと早く・・・
って言いますが、トンデモナイ。
一時の衝動で跳ね上がる極右分子を早めに新撰組さんなんかが始末してくれたおかげで
明治維新は比較的平穏に成し遂げられたのだったと考える方が歴史の流れに叶う。



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