2017年1月20日金曜日
明治150年にふさわしい国家事業
かようなことを祝祭の対象とすべきかどうかには疑問あり・・・というか国民的な共感を呼ぶのかどうか?
官邸が力瘤を入れているわけには「盛り上がり」ってどうなんでしょうかねえ
あと二年ありますから、かの「進撃(する広告)の巨人」が汚名挽回で大キャンペーンを打つのでしょう。
さしあたり、天皇の「譲位」の仕組みができるようですから、当然に譲位=新天皇後即位=改元の運びとなります。
本来は別物ですが、機運の盛り上げに「利用」しようとする意図はありげです。
であればあるほど「恒久的制度」にしないと平仄が合わないのですが、その点は・・・まあむにゃむにゃ(苦笑)
明治という時代にスポットライトを当てて、良い時代だったといえば言うほど「江戸時代は暗黒時代」という
ステロタイプの刷り込みになる。
そういう時代認識批判は半ば定説化しており、当然ながら「光と影」を公平に評価しないといけないが、
そのような意図があるのかどうかは「公式文書」を見る限り定かではない。
なんちゃって、明治維新の最大の意義は「西洋帝国主義の毒牙に国土が蹂躙されなかった東アジア圏の唯一の国家」であったことだが、
それに直接の焦点(何故日本だけが近代化に成功したのか?)をあてるつもりもなさそうです。
まあ、ここんところを掘り下げれば、近代化できなかった近隣国の恥部に触れることになりますから、
政治的にはよろしくないってことは子供でもわかる。
西国雄藩の末裔たる地方公共団体は、我田引水的にお国自慢キャンペーンを打ち出しつつありますが、
かような視野狭窄症的な施策はあまり感心しない。
官軍といわれる連中が、長岡や会津若松でやったことは、その辺の血に飢えた蛮族と代わるところがない。
文科省はいち早く「趣旨に合致する映画制作費補助事業」なんて打ち出してますが、
プロ映画鑑賞家の視座からすれば「国威高揚国策映画」にしか資金が回らないのが見え見えだし、
そんな映画は後世の鑑賞にも耐えない。
やるならば、過去の名作のデジタル4K化のほうが気が利いている。
例えばですが・・・・
明治天皇と日露戦争
明治天皇・皇后と日清戦争
稀代の山師大蔵貢が苦境にあえぐ新東宝社の社運をかけての超大作が、前者
未曾有の大ヒットとなり、二匹目の泥鰌が後者(こっちがどの程度当たったのかは知りません)
知らなかったが、三匹目の泥鰌だか鰻までいたそうである。
第二作目で天皇役のアラカンが皇后役の高倉みゆきに不満たらたらで、大蔵貢に面と向かって・・・
昭憲皇太后(理由は定かではないのですが、明治天皇の奥様は皇后ではなく皇太后というのが正式名称)様は、
おまはんのオンナみたいな下品で蓮っ葉なお方やないわ!
と言い放ち、大喧嘩になったって事くらいしか知らないが・・・・
なんせ、女優さんをテゴメにする常習犯だったらしいが、
女優を妾にしたのでなく、妾を女優にして何が悪い!と
言い放っただけの事はある。
いまなら大事件ですが、おおらかな時代だったらしい。
その後大蔵貢は、大蔵映画の社主となったが、ろくでもない「部分天然色映画」を量産してました。
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