2018年3月18日日曜日
須賀敦子さんのこと(2)
会う事も稀になった悪友達との当時の会話のひとつが
小松左京さんの悪口。
ある種の反語なんだが、本音でもある。
彼は帝大のイタリア文学科の出身。
多額の国費を費消したんだから、売文の徒にならずに
世界史に影響を与えそうな現代イタリア文学の翻訳紹介こそ
天命...とかなんとか(^-^)
彼の為すべきことをかたちをかえて代わりにやってくれたのが
二人のブルジョアジーのお嬢様。
似て非なるお二人ですが、遠いイタリアを間近に感じさせてくれる。
性質の違いが何処に起因するのかは知らない。
しかし、二人の父上は共通してとんでもない読書人であったらしい。
松山巌氏の「須賀敦子の方へ」をよみはじめたのですが、
冒頭に、鷗外が登場する。
父君曰く、渋江抽斎を読みなさい....
確かにこの父君の言に激しく共感します。
須賀さんの全集を読んだはずだが、エセーの端くれはスッカリ忘れていた。
鷗外の真髄は、史伝にある!とおもうのは蝸牛庵の確信
即興詩人、舞姫、高瀬舟なんかを有難がってはいけない。
が、鷗外の史伝はあまり人気がなくて、婦女幼童のレベルでは歯が立たない。
これは、石川淳氏の発言の引用であって、蝸牛庵の意見ではない。
話は変わります。
整理整頓の悪い知の大伽藍が、とんでもないことを思い出させた。
塩野七生さんのエセーにも鷗外が登場したことがある。
このたぐいの引用が皆無な女史ですから、
よくおぼえています。
歴史そのまま歴史離れ
中身はあまり覚えていませんが、この鷗外の随筆は青空文庫にもあります。
紫清に並び立つ賢女と才女(どっちがどっちとも断じません)が
同じ文豪を切り口は違いますが、ネタにしていることに
プチ感動。
実のところ、この賢女と才女が大好きな理由も
こんなところにあったとはなあ...
お陰様で、松山巌さんの評伝を読むより、
斯様な想念に取り憑かれている時間の方が長い。
さらに続く
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