2018年3月28日水曜日
分割し統治せよ
本願寺は二つある
実際はさらに...であるが、有名どころは
浄土真宗本願寺派(西)
浄土真宗大谷派(東)
信者からすれば異論はあるでしょうが、親鸞以来の
法灯の保守本流は、西
東は、家康の宗教政策から勢力をえたようなもの。
寺請檀家制度の下本家を凌駕したが、佐幕派のレッテルが明治以降の衰退を招く。
京都は言うに及ばず、大都市には宗門の出先大伽藍が競い合う。
大阪は、北御堂、南御堂。正式な名称は知りませんが、
お近くに仲良く(そうに)隣接します。
神戸は、西の神戸別院が街中にそびえ立つ。
東は神戸市内のどっかというが、蝸牛庵感覚だと
あそこは播磨国。摂津ではない。
この神戸別院は、古代印度様式ですが、大正モダニズムの
風韻を感じさせます。
築地本願寺(西のお寺)に似てますが、建設タイミングからすれば
神戸の真似を東人がやったということ。
他方で、東の江戸拠点は、浅草の西で上野のお山の東
当時感覚ならば、上等な場所でしたでしょうが、
いまや、寺の敷地も減り観光的でもなく、
資源開発的な経営努力も見えず、インバウンド景気の蚊帳の外。
権力の庇護にあぐらをかいていた報いでしょう。
ちなみに、西は堀留あたりにあったが、幕府から追い立てをくらい
今でこそ一等地ですが、当時の新興埋立地の外れにおいやられた。
けだし禍福は糾える縄の如し(^^)
明治維新や廃仏毀釈は宗門の大危機。
東はひたすら、政治献金で新政府の歓心を買い、あまつさえただ同然で
地方官会議会場を誘致しました。
前年に教科書にもでてくる有名な「民選議会設立建白書」が公表され、
自由民権運動がツナミのような広がり。
さすがに無視もできなくなり、フランス革命前の三部会もどきな
全国知事会を開催。
画期的なイベントだとはおもうのですが、歴史は冷ややか(^^)
官製の県令とは言え、それなりのレベルの人物が就任してます。
しかし、民選派と官製派の意見が対立するし、
近代的な議会運営なり討議になれていない。
会期は1ヶ月あまりだったが、さしたる成果もなかった...
違います!
当時の民度からすれは、普通選挙は夢のまた夢。
制限選挙であっても、しばらく時間が必要ということが
明白になったというのが、冷静な見方。
その後の血で血を洗うような自由民権運動が、
地方の富裕層を始めとする読書階級を鍛えなおしました。
歴史は様々なことを教えてくれますが、
歴史から何を学ぶかはその人次第だと言うこと。
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