2019年3月31日日曜日

暦法とか紀年法



混乱して用いられます(アタシも錯乱していました)
暦法とは、月や太陽の運行に従って1か月ごとの日数を定め、
一年の長さと元日を定義する技法である。

例えば

第三百三十七号(明治五年十一月九日)(太政官布告)

今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
但新暦鍍板出来次第頒布候事
一ケ年三百六十五日十ニケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事
時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ニ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事
時鐘ノ儀来ルー月一日ヨリ右時刻ニ可改事
但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱来候処以後何時ト可称事
諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事
太陽暦 一年三百六十五日 閏年三百六十六日四年毎ニ置之

一月大 三十一日 其一日 即旧暦壬申 十二月三日
二月小 二十八日閏年二十九日 其一日  同  癸酉 正月四日
三月大 三十一日 其一日  同 二月三日
四月小 三十日 其一日  同 三月五日
五月大 三十一日 其一日  同 四月五日
六月小 三十日 其一日  同 五月七日
七月大 三十一日 其一日  同 六月七日
八月大 三十一日 其一日  同 閏六月九日
九月小 三十日 其一日  同 七月十日
十月大 三十一日 其一日  同 八月十日
十一月小 三十日 其一日  同 九月十二日
十二月大 三十一日 其一日  同 十月十二日

この勅令が廃止になっていませんから、
倭国の暦法は明治天皇がお決めになったのです。
しかし、まことに恐れ多い事ですが、
綸言汗の如しとは言え、間違いは正すべきであり...


明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件)

神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ
百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中
更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

これでやっと正確な暦法となりました!
この明治31年勅令には、当たり前のように紀年法が
記述されています。

紀年法とは、年を数えたり記録する技法のことてすが、
法令上の根拠は

第三百四十二号(明治五年十一月十五日)(太政官布告)

今般太陽暦御頒行 
神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付
其旨ヲ被為告候為メ
来ル廿五日御祭典被執行候事


つまり、明治五年に暦法と紀年法を革命的に同時に改め
今日に至るのです。
この布告の有効性には疑問があり、
布告の本旨は「祭典開催」である。
しかし、明治31年勅令は有効とされますから、
未だに皇紀暦も公式の紀年法

ともあれこの二つのシステムで時の支配が行われます。

紀年法には様々な方法があり、
なんとも倭国は雑食の民

皇紀暦(無限暦)
元号(有限暦)
干支(循環暦)

を適当に併用している珍奇な味わい深い文化を
守っています。


さてさて、法的に定められた紀年法は、皇紀暦です。
元号法は、日本国の紀年法を元号とすると定める
実定法ではなく、単なる手続法
慣習として長年有限暦を使っていたところに
西洋かぶれな無限暦を持ち込んだところで定着するわけがない。
干支に至っては、俗習のたぐい
だから、未だにうろ覚えだ(^.^)


明日は「新元号」の公表です。
慣習の世界の話ですから、騒ぎ立てるほどの事で話はない。
五月一日に、新しい天皇に代替わりしますが、
皇紀暦2679年にはなんら変わりない。
さる皇紀2600年には官民挙げての大祭典をやったらしいが、
次はどうするのかな?

少なくとも、明治150年よりは味わい深い。

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