2019年3月10日日曜日

付き合いにくい隣人



◯◯人なるものの定義は難しい。
日本人も例外ではないし、国際化の中ではある程度はっきり
させる方がいいのかもしれない...


ユダヤ人を例にとれば...
古典的には「ユダヤ教を信仰する者」なんですが、
無神論者のマルクスでもユダヤ人とされる。
イスラエルの帰還法にユダヤ人の定義が書いてあります。
曰く

ユダヤ人の母から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した者

定義に定義される概念を持ち込むのは、論理矛盾をきたしかねないが、
ユダヤ人の母なる「ユダヤ人」は、ユダヤ教信者であれば誰でも...かな?
結局はユダヤ人とはユダヤ教信者だということにつきます。


寛容による異民族同化を国是としたクラシックローマですら
ユダヤ教徒には手を焼き、嫌悪し、それが現代まで意識の底流に流れる。

割礼は多民族区別
一神教は他の神々への軽蔑
公益奉仕拒否は愛国心の欠如
子沢山は多民族圧迫
偶像崇拝拒否は人間への侮蔑

こんな連中の祭式は陰気で鬱陶しく人生を絶望させる..とまで
同時代人は書き残しているそうです。


山本七平さんは「日本教徒」なる造語をつくりましたが、
言い得て妙。
メディアは、日本人と言ったり、日本と書いたり...
日本民族とは、さすがにライトチックなのか、普通は使わない。
しかし、日本人とは日本教徒なのです。
しかし、ユダヤ教のように経典や戒律がある訳ではなく、
所詮は「らしさ」にすぎないから、分かりにくい..というか説明しにくい。
つまるところ「空気で察してください」と言うことになる。
それが解らないのが、非日本

ひきかえて、分かり易い教徒もいます。

反日教

弱い犬ほどよく吠える...のか知りませんが、
吠える四つ足に同じように吠えるのは愚かしい。
吠え疲れて餌が欲しくなればおとなしくなりますから

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