2020年4月17日金曜日

セム族一神教のこと



三兄弟である「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」
親子も兄弟も他人の始まりだから、仲良く出来ないこともあるだろう。
一神教なるもの、信じる事で選民意識と排他性が高くなり、
異教徒への愛情表現が「愛の鞭」となるのが迷惑。

しかし、一番難儀な存在と思われるイスラム教って
歴史を斜め読むに...しごく凡庸な宗教であり、あの過激性は
どこからきたのだろう?

以下昔ながらの表現を使いますが....
マホメットは生涯平凡な商人であった。
偶々アラーの神の啓示を受け預言者になった。
妻が最初のお弟子であり、最後は何人めかの若い妻の膝枕
基本教典のコーランはマホメット逝去後暫くして作成された。
ほぼ同時代的だから、煩雑な神学論争もなく
異端裁判や宗教戦争も経験していない。

コンテンツは優れて単純です。
六信五行...たった六つのことを信じ、五つの行いをするだけ
まるで、仏陀の
四苦(生老病死)脱却の為に八正道(八つの行い)を!
のようなもの。


世界宗教になろうとすれば、寛容で分かり易いのが必要条件
十分条件は、もちろんセールスのテクニック。
キリスト教のパウロのような才覚ですよ。


そんな平和な宗教から偏狭な過激集団がどうして生まれるのか
まだ解らない。
出口治明さんは、信仰に起因するものでなく
ユースバルジを良い方向に導く政治的指導の問題だと言います。
正解かどうかは分かりませんが、
未来展望が閉塞すれば絶望から過激か諦観のいずれかの
道を選ぶ...というのはその通りだけど。

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