2020年4月22日水曜日

女帝考



差別的イメージな用語だと思うが、メディアも平然と使う。
少なくとも好意的な表現ではない。
原武史氏の「皇后考」を再読しています。


牝鶏晨...という古めかしい成句があり、
メスザルが権威をかさにきて出しゃばると世の乱れ..を意味する。
なんちゃらを揶揄しているわけではないし、
少なくとも女帝とまで呼んでもらっていない。
めんどりがなくのは、おんどりがだらしないって理由があるとも
歴史は教えます。


太古の昔から万世男系一統の大原則なんて、誤解も甚だしいことを
改めて教えてくれました。
十代八人の女性の天皇がおられたことは確定的な歴史的事実。
他にもいただろうと思うが、
驚天動地なのはその第一級記録的証拠であろう皇統譜が確定したのが、
なんと大正期!
この結果、飯豊青皇女や神功皇后を天皇とは認めないとされ、
南朝の長慶天皇の即位を認めるとされ、現在の皇統譜が完成した。
多少バツが悪いのか皇后でも摂政にはなれるように皇室典範の設計は
なされているが...
どうして摂政ならば女性がなっても差し支えがないのだろう?
雅子皇后陛下は実質第二順位(常陸宮が第二順位だが任に耐えない)の
の御立場です。
神武以来のDNAを全く継承しない民間人が、
ミカドの全権受任者になるのですよ



ここらあたりは、初読の際にも面白いと思ったが、
明治の王政復古の際、看板に何を担ぐのか?の大論争があったことは
すっかり忘れていた。

神武天皇
建武の中興

天孫降臨の瓊瓊杵命を国の始まりにする説はなかったらしい。
天壌無窮の神勅を掲げて天空から舞い降りる様なんか
絵になると思うし、当時の知名度からすれば、
神武天皇なんか無名の存在。
即位するまでの波乱万丈の事績はともかくとして、
即位後はまったく中身がない。
神功皇后の方がはるかに行動的だし、伝承も残っている。

しかし、建武の中興は天皇失政の代名詞だし、
看板にはならないと判断したのだろうか?
実際には、無能な堂上貴族が偉そうに振舞う事の愚を
排除したかった。

たまたま、前者を担いだのが岩倉具視
後者が三条実美...だから政治力の差だけかも


原先生の労作は、大正天皇の奥様が「女帝」で
あらせられたことを、神功皇后や光明皇后と比定しながら
活写しています。
さまたるや、かなりルナティックで実に面白い。
文献的証拠を駆使しての論証ではないが、
かの皇后は「摂政」になりたかった...らしい

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