2022年5月31日火曜日

綺弁、奇弁、忌弁、危弁、稀弁

 論理的思考(ロジカルシンキング)は素晴らしくて、詭弁は外道の芸....



確かにその通りには違いないが、学校やビジネススクールなんかでディベート形式で鍛えられると、、、言ってみれば「真空地帯での純粋培養された思考力」みたいなもの。

言い換えれば、人間関係(国際関係)なんかの非対称性の中では明晰な論理よりも力の論理(詭弁と脅迫や威嚇)が優先することを骨身に染みているはずだ。

だっから、尖閣等への領土侵犯、南沙諸島の不法占拠、新疆ウィグル民族弾圧は正当な論理を百万遍叫んでも止むことはないのです。

身の蓋もない物言いをすれば、、、「論理的思考力とは弱者の当てにならない護身術」とはなかなか美味い定義ではなかろうか(^^)

しかし沈黙は外道の振る舞いの間接黙認

だから「詭弁とレトリック」による絶えざる糾弾を



そんなことに汗流すよりは「レトリック」を学ぶ方が有意差がある。レトリックで真理は探究できないし、正しい論証も出来ない。しかし論破出来なくとも説得........誑かしとか混濁ができるかもしれない「強者に対する弱者の最終兵器」なんですよ。




多少補足をすれば、ロジカルシンキングに自信あり!という方々もややもすれば無意識の誤謬に陥ります。

例えば「発見と根拠付け」の混同

ある事実なり情報が得られた方法なり手段とその事実なり情報の真偽は別だということ。

正しい事柄でもその事柄の利害関係者が口走れば、なんだかいかがわしい、、とか

もうひとつは、一見正しく思える事を敢えて疑いの目でみる(ここ迄は誰もが到達する思考のレベル)が、明らかに間違いと思われる事の「間違い」に疑念を持つ事はしない、、、はずだ。



To be continued 



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