2022年5月18日水曜日

承前(法制審議会)

 数年前の惰日記のある部分








伊東ひとみさんの著作の受け売りなんだが、漢字の読み方として何処まで許容するかという問題、、、つまり表意文字の表音性の限界論議であり、その議論の立ち位置は「漢字文化なり歴史へのリスペクト」にあると言うのが伊東さんの立場だし、アタシも激しく同意します。


その意味で、、、文化なんだから歴史の積み重ねに委ね過度にとやかく口出ししないのが一番

多少どころか激しく非難されかねない言い方をすれば、、、キラネは


アホな親が子に付けて虐待をする

虐待から生き延びてもマトモな会社には就職出来ない


早晩この仮説は定説になるから、自然と淘汰、、、それでもアホな親はキラネをつけかねないから命名権は子供に渡せ!とアタシは主張するし、真っ当な国語教育(古文や漢文を含めて)さえやっていれば良い。


今回提示された案のなかでは、広範囲にキラネを認めるような案には賛成しかねるが、漢字文化に知見の乏しい法学者だからしかたがないのでしょう

が、狭く定義する案にしても、かなり難度が高い。



2)漢字の音訓や慣用的な読み方に限る

3)2案を漢字の関連性や正当事由ある場合まで拡大する。



まずは3案批判から、、、

海を「マリン」とよんでもいいとかや

ならば、メール、メーア、マーレ、マルもありだ!って言われればどうする。それなりの言語人口のある言語で海という意味です。

正当性ある事由まで拡大って、、それこそなんでもありですよ。ピカチュー(光宙)も可らしい

要するに現実の錯乱した命名実体の追認に過ぎないから、何も規制しないと大差なく、窓口の戸籍吏が苦労するだけ。


ならば、、、一番厳しいと言われる2案だが

常用漢字の音訓は文科省の役人が決めた極めて狭い範囲でしかない。現実の命名等に於いてはそれをかなり逸脱しているから「一」はハジメとは本来なら読めないが、それは慣用的な読み方ってことになるのだろうし、現実に違和感はない。


西渡、、、でなんと読ませる? カタブキとかなんとか(^^)

人麻呂の有名な和歌の万葉仮名表記ですから知っている向きは多いから「慣用的な読み方」だと言えなくはない。

さらに例をあげる


清和帝のお母様、、、藤原明子(あきらけいこ)とよむらしいが、、、まず無理

講学的に言えば有職読みって難解。なお明子は「さやこ」とも読ませた例があったはずだ。

ここまでを「慣用的」と言うかどうか、、、



言葉は長い歴史のなかで変化も進化もし豊穣な文化をつくりあげるのだが「慣用的な読み方」なる縛りはそれを歪めてしまいかねない

0 件のコメント:

コメントを投稿