猥褻の定義は、かの有名な「最高裁判決」の三条件があります。
著名なチャタレイ裁判や悪徳の栄え事件で最高裁判事が学識を大上段に振りかぶった判決ではなく、かなり先行するたかがカストリ雑誌事案にある判決の表現です。
たかが、カストリが、、、とも思うのですが、出版者の矜持なのか最高裁まで(^^)
その後「藝術性は猥褻を凌駕する」と論争を挑んだが、あえなく敗退。
因みに、猥褻図画に厳しい東アジア圏の諸国では猥褻物には知的財産権すら認めないらしい。すなわち「猥褻物は芸術作品ではない」という単純な理屈。倭國はまだ寛容だ、、というか「芸術と猥褻は排他的でなく両立」すると考える
しかし、時代は変わった。
一般館で上映出来ると言う事は、映倫の審査ではお咎めがなかったのだ。
思えば、2015年頃、永青文庫(肥後細川家ゆかりの美術館)で、日本初の春画展が理事長の英断で開催されたことがあるが、それに続く美術館は皆無。
善男善女貴賤都鄙数多押しかけ、、、無論アタシも目白まで脚を運びました。
しかしなあ、、、、
上気した頬の若い女性や熟女の熱っぽい吐息に囲まれて鑑賞するのは居心地が悪い(^^)
法外なお値段の図録を買い求めそうそうに退散。
先行した開催された大英博物館の春画展同様に観客は女性の方が多かったと記憶している。
鳥居清長の「袖の巻」の部分図です(復刻版)
横長で、構図が大胆なまでに斬新
オリジナルの方が遥かに彫師も摺師も腕が上だったと思えば、芬々たる藝術性だったに違いない(これも実物は見てませんが素晴らしい)
江戸期の絵師は、必ず春画を手を出している。
贅沢な多色摺が出来るのは禁製品(猥褻ではなく贅沢禁止)だけだったから、芸術家としての創造意欲やら、相応に実入りにもなったのだろう。
近代以降も、アンダーグラウンドでの需要はそれなりにあったし、ウワサでは高名な日本画家が金持ちに目の前に札束を積まれ、、渋々(内心嬉々として)秘画に手を染めたことも、、、、
いまや、一部からは「再評価と静かなブーム」の到来、、、とかなんとか(^^)
メディアに氾濫する品位なき猥褻的な図画への細やかな反抗だというならわからなくはない。
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