社会心理学の概念だそうです。
概念としては知らなかったが、経験則的にそうなんだろうなあ、、、とは思う。
発端は、、、
Wikiではかように書いてしますが、悲劇である事は間違いないが「都会人が他者に冷淡」だからかどうかは疑問だと言われる。
講学上は、
なんかが相まってそんなつもりはなかったのだろうが、傍観者として悲劇を生み出してしまう。
この理論がただしいのならば、傍観者を非難しても事は解決しないが、じゃあどうすると言われてもねえ。
誰もやらなかったんだから、やらなかった俺一人責められる事ないだろうし、、逆に余計な事したって言われたら嫌だし、、、
ありげな話だが、別に都会だけの事でもない。
教科書的には「このような事にならないような社会システムの形成が肝要」だとさ(^^)
しかし「互助」に冷淡な事を罪に問うわけにはいかない。
しかし「保護者責任がある立場」の場合、、、会社の同僚数人で酒盛りをやり、泥酔した一人を置き去りにして帰宅。翌朝になって彼は道端で死亡していた。
これはまずいですよ、、、刑事事件になり、誰かが介抱すると思ったからって通用しないだろうなあ
孟子の時代は簡単だった。
人皆忍びざるの心あり(惻隠の情)
しかし、心で思うことが即行動につながるとは、孟子は仰っていなかったと思う。
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