2014年10月6日月曜日

散華という最高に美しい言葉には・・・・



命は鴻毛より軽く
生きて俘囚の辱めをうくることなく・・・

でも、身を捨てるほどの祖国はありや?


戦争とは理性による論理的な行動であるべきであり、最高の国家行為だと
すれば「特攻」ほど愚かしい行為はない。
一身を国家に捧げた若者の行為は崇高であっても、
立案し、実行し、命じた者たちの心根の薄汚さ。
敗戦時、責任をとった将星は、片手でお釣りが来るほどの少なさ。
多くは、生きながらえて、軍人恩給を貪り、老残の身を晒した。

日本精神の見事な発露と持ち上げる向きは多い。
それが、ネトウヨ程度ならともかく、知性のある外国人まで・・・となれば
従軍売春婦と性奴隷の混乱あるいは錯乱と同程度。


戦争は、国力の総体で行うものであり、当然に戦う強固な意思あるいは精神力も必要であるが、科学技術と装備がついてこないと話にならない。
特攻とは、そのバランスの崩れた結果の不合理な外道の策以外のないものでもない。

そもそも成果はあったのか?
攻撃成功率には様々な数字があり、なんとも言えない。
アメリカ軍に精神的なショックを与えたとか、更に二千万機の特攻機を飛ばせば
勝機は我にあった・・・・とは妄言に過ぎない。

奇襲戦法が、功を奏するのは最初だけ。
練習機すらそこざらえの状態で、製造工場の生産機数はゼロに等しい状態だったと言われており、事実を直視した見解でないことは明らか。


わだつみの声は、涙なくして読めないが、涙でかすれた行間に見えるのは
書いてはならないホンネ・・・

負けることは哀しいし、負けるならば戦争・・・自衛であってもやらないことだ。
三国干渉の悔しさに耐えた日本ほど崇高なものはない。
博打で負けがこんで、乾坤一擲の大勝負で更に傷口を広げる(笑)
そんなことは誰でもわかる・・・くせに特攻を持ち上げる奇妙さ。


若者の純粋な精神の後ろでほくそ笑む醜いオトナの本質を見抜くことが
自分の頭で冷静に考える・・・哲学する精神。









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