2015年2月28日土曜日
折◯博◯の「それから」
当時は飛ぶ鳥落とす勢い。
特異な経歴もあいまって、異能の経営者って持ち上げる向きも多く、
誰でも知ってる有名政治家とのツーショット写真なんかが出回り、
金で買った・・・という言えば言葉が過ぎますが、褒章まで頂戴し、
某経営団体の理事まで・・・あの若さでねえ。
しかし、当時のヒステリックなマスコミ論調によれば、介護保険の不正請求と
派遣労働者の生き血を吸うような手口と、ド派手な私生活をかきたてられた結果
凋落敗残の身。
小器用に海外逃亡を行い、優雅な老後らしいが、日本での復権はまあありませんねえ。しかし、瑣末な不正を叩きまくって、一時の溜飲を下げても、内在する本質問題は悪化こそすれ、なにも改善出来ていないってことにフォーカスを当てないから
大マスコミは尊敬されない。
そんな義侠心・・・かどうか知りませんが、エンタメの力で肉薄しようとしたのが
このオトコ・・・かな
ハナマカアキ・・・・ペンネームでしょうが、性別不詳(笑)
ちょっと話題になった、まあミステリー仕立てな「ロストケア」
映画化の噂は聞いてませんが、この起承転結では、話にしにくい。
内容的には、タイトルの通りケアビジネスの闇の部分。
かの経営者を彷彿とさせる介護ビジネス会社の幹部社員
その同窓生で「正義」の代紋を背負う検事
介護現場で肉体と神経をすり減らして行く従業員
介護されるものとするもの
最後に・・・被害者と加害者
見たくもない現実を見せられるが、そんなことは分かっている。
必要なのは現実解としての解決策
法律は無力だし、神の言葉だって、気休めかも・・・・
あのような「解決策」にも、一定の合理性は、口に出してはいけないが
あるって、心の片隅が囁く。
未だに行きつ戻りつの「リビングウィル」レベルでも救済はできない。
だって、いま議論されているレベルとは、生命の末期状態で如何に人間らしく有るべきか・・というテーマであり、問題は肉体的には末期状態でなくとも、精神的に崩壊した状態が、人間的存在で有るかどうかって議論である。
植物状態である場合はまだしも答えは簡単かもしれませんが・・・・
認知症状態って、肉体的にも精神的も崩壊しているかどうかって
判別が難しい。
2015年2月27日金曜日
合衆国の一番長い日
青島くんが力説しても、事件は現場じゃなくて、やっぱり「会議室」で起きるのです(笑)
スポーツビジネスあるいはシステムとしてヒトザルが持ち得た最高峰がNFLの「格差解消システム」である。
トマピケティ先生も驚愕するに違いない。
スーパーボウルに進むあるいはロンバルデイトロフィを勝ち取る秘訣は、
均等にしかなりようがない戦力を効果的に鍛え上げ、バックオフィスの知力で勝ち上がるしかない。
この巧妙なドラフトシステム・・・過度にショーアップされている感じがしないでもないが、
駆け引きとネゴ・・・GMやスタッフの知力が試される世界である。
籤運がいいとドラフトで有力選手をゲットできるなんて・・・長閑な倭の風景(笑)
これでは、熾烈な国際社会の謀略戦に勝てるはずがない。
アメリカンフットボール映画の最高峰は「ロンゲストヤード」
個人的には「ネバーギブンサンデー」が大好き。
これらはいずれも現場のお話
しかし、会議室のバトルを素材にする映画とはねえ・・・・本当に脱帽します。
映画人の至高の職人技。
オスカーには縁遠いが、歴史に残る印象作です。
主人公は、クリーブランドブラウンズのGM
このチームは、フットボールの歴史そのもので有り、弱くてスーパーボウルに出れないが、
熱狂的な地元ファンに支えられている。
弱いがゆえにドラフトの指名順位は上位。
選り取り見取り・・・なんですが、かかるが故にオーナーも含め外野がうるさく、
GMの心労は極致に達する。
NFLのルールでは、チーム間でドラフト指名権の交換ができる。選手のトレードを絡めても構わない。
今年の一巡目指名権の代わりの来年の一巡目指名権とこの選手を売り飛ばすとか・・
オーナーの圧力に負け、GMは、下馬評第一位の人気QBを一位指名するために不利な交換条件に応じるが・・・
彼は土壇場で、予想外の「意中の守備の選手」を指名し、全米がパニックになる!
以下、なんだかんだの駆け引きが有り、GM冥利に尽きるような有史以来最高のパフォーマンスとなった。
さあ、シーズン開幕
会議室の勝利が現場の勝利につながるかどうか・・・
--
興行的に惨敗したようです。
あまりに趣味的で予定調和的で、加えてNFLの宣伝臭さが前に出すぎたか?
本当のところは、頭脳戦って映像になりにくいのですよ。
比較的うまく描いたと思うのですが、観客の知的水準を読み違えた。
2015年2月26日木曜日
此の世をば ほなおいとまを センコウの 煙とともに ハイ さようなら
吾未だ生を知らず、況や死・・・・
孔子さまのお言葉
解釈は様々。
リアリストのチャイニーズですと「現世利益」しか興味がないから、
死後の世界なんか話題にしても宗教として受けるはずがない。
しかし、涅槃図を見るに・・・
釈尊の死に場面では、山川草木生きとし生けるもの全てがまわりに集まり
嘆き悲しむではないか?
苦の根源である輪廻からの解放の様なのに、悲しんじゃいけませんよね(苦笑)
斉の国の桓公(戦国の五覇)は、亡くなったあとで跡目闘いの結果、
いつまでもお葬式を出してもらえず、蛆虫だらけになったらしいが、
これはこれで末期としては見苦しい。
倭人は、悲しんでいるかどうかは知らないが「誰かに看取られながら死んでゆく」確率が
高いらしい。つまり病院での死亡率が高い。
自宅死の多い西洋と一線を画す。
どうも末期医療についての立ち位置の差が大きく影響しているようです。
さて、最近話題になるのが・・・
孤独死(イメージが悪いですなあ)
孤立死(これまた同様)
自立死(こう言えば、主体性を感じます)
尊厳死(ここまでくれば崇高な感じさえする)
安楽死(なんか評価しにくい・・・言葉)
どうも、倭人は「涅槃図」の呪縛の中で、一人で死んでゆくことをネガティブに捉えるようだ。
誰かに看取られながらって、そんなにいいもんですかねえ?
一人で死んでゆくこととどんだけの違いのあるのでしょうか?
しかし、ヒトザルは社会的存在なもんで一人では行きてゆけないが、
唯一「死ぬときだけは独り」である。
三途の川を渡る際には、最初の恋人が手を引いてくれるって・・・単なる中世説話である。
なんせ、普通一度しか経験できないことだから、どっちがより自分の人生の幕引き場面に
相応しいか・・・よく考えておこう。
2015年2月25日水曜日
身を守るのは契約書でもセキュリテイ対策でもなく・・・
下級審ですが、実に面白い判決が出ました。
事案は・・・
原告は、ネット通販会社
被告は、原告と業務委託契約を締結しているITベンダー
脆弱なセキュリティ対応に起因する顧客クレジットカード情報の漏洩により、
なんだかんだと一億円程度の損害が発生した(・・と原告は主張)
被告は、そもそもそのようなユーザー仕様(要件定義)は不知であり、
債務認識がない以上、債務不履行に該当しない。
一連のシステム開発での受託金額は数百万円のレベルであって、
仮に損害賠償事案であっても、その上限は受託金額までと定められている。
真っ向からの対決ですが・・・
裁判所の判断は、三割程度の被告の過失相殺を認めた上で、二千万円強の損害賠償を命じました。
さて、判決内容記述からすれば順不同ですが、広範囲な「損害」が認められています。
顧客への謝罪関連費用
顧客からの問い合わせ対応関連費用
本件に係る調査費用
会議費用(出席のための交通費まで)
認定可能な売上損失
以上合計額の七割相当(三割は上記過失相殺)
原告の請求の半分以上は売上損失。クレジットカード決済ができなかったことにより
喪失した売上高の論理的な証明ができなかったために、請求の10%以下となってしまったところが
代理人の腕の悪さ(苦笑)
それを除けば、ほぼ満額勝訴(過失相殺は別として・・)
次に「損害賠償額の上限規定」ですが・・・
これは毎度受託者と委託者の間で論争になる内容ですが、
不可解一方的な経済産業省のモデル契約書なる存在が物事を複雑にしている。
損害賠償に特段の合理性のないキャップをはめることは公序良俗違反である。
過失程度ならば、交渉に応じる場合がありうるが、
故意重過失だと青天井!を譲らないというのがIT社長の立場です(キッパリ!)
今回の事案では、面白くって、やはり「上限規定」があります。
ところが、契約書全文を見ないと、判断しにくいのですが、
25条 ・・・本契約内容に違反すれば・・・すべての損害を賠償する
29条 乙(今回は被告)は故意または過失により・・・個別契約の定める契約金額の範囲内において・・・
なんとも奇妙なんですが、賠償条項が二つもある(笑)
ありうる話としては、一般的な場合は「上限付き」であるが、特定の義務違反は青天井。
そうであれば、明晰に書けばいいが、どうも粗雑な企業法務屋が作ったみたいです。
本当にそう読めるのかどうかは別にして、裁判所は、情報漏洩に関しては「青天井」と
判断しました(・・・どうなんでしょうねえ?)
次に裁判所は、故意または重過失の場合にまで「上限規定」を適用することは、
著しく衡平を害するって断じています。
その上で今回の場合・・・重過失に該当すると判断しました(29条が無効ということ)
これは、当然の判断です。
契約書に書いてあれば、なんでも通るって思うのは馬鹿な法務屋とIT屋だけです。
さて、本論です。
いったい何が「原因」で情報漏洩が起きたのか?
どうやら「SQLインジェクション攻撃」を受けたらしい。
事件が発生した時期には、この手のハッキングは大流行だったらしく、
当然ながらディフェンス対策も一般化しており、常識的なセキュリティ対応さえしておれば
なにも問題が起きなかったと推認される古典的な事案である。
要するに、被告(ITベンダー)は、機微な情報(クレジットカード情報)を取り扱う以上
それにふさわしい適切なセキュリテイ対策を講じたアプリを提供するのが債務の本旨に合致する
履行だと裁判所は判断するのです。
これまた当然の判断です。
ところが、ケチな委託者がまともな開発費を払ってくれないケース。
当然やるべきことをやろうとしても原資がない。
そういう場合には、きっちりと「費用をかけて装備しないと危険です!」って
説明(できれば文書で)しておかないと、自分の身が守れないってことです。
今回は、原告サイドに多少の危険認識があったので三割程度は過失相殺がされましたが、
この程度じゃ身を守ったことにはならない。
色々とためになる「事件」です。
東京地裁ともなれば、ちゃんとした裁判官もおいでになるようです。
残念ながら、かような名裁判官には遭遇したことがない。
まあ「名裁判官」って、一般的には「勝訴判決」を書いてくれる判事のことですがね(笑)
ところで、これって確定判決でしょうか?
ボクならば・・・絶対に控訴ですよ。結構物議かます判断があります。
2015年2月24日火曜日
相変わらずな「周回遅れ」に加えて毎度の「ある傾向」
◯●■バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
◎--アメリカン・スナイパー
◎-■6才のボクが、大人になるまで
◎--グランド・ブダペスト・ホテル
◯--イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
◯--セルマ(原題)
◯-■博士と彼女のセオリー
◯-■セッション
最初の・・・
◯:日本公開予定(あるいは予定未定)
◎:日本公開済
次の●は、オスカーの作品賞受賞
最後の■は「主要部門(監督・主演俳優・助演俳優)」の受賞作
さて、今年のアカデミー賞ですが、毎度の予定調和な結果に終わりました。
エキセントリックな役柄(病的あるいは病人・精神疾患等)が、俳優賞の近道って今回も健在です。
ベストアクター :ALS患者
ベストアクトレス:認知症患者
ベストサポートアクターも「病的に暴力的な音楽家」って設定になっています。
これを思えば「ロザムンド・パイク嬢のサイコパスキラー」なんかカワイイものです(笑)
残念ですが、捲土重来を期待しましょう。
作品賞の評価は・・・半分は見てません(・・というよりこの段階で毎年恒例の未公開)ので
なんとも言えませんが・・・
公民権運動を背景とする「セルマ」は、昨年「それでも夜はあける」なんかが
作品賞に輝いたもんで・・・二年続けてニグロものはないわなあ。
6才のボク・・やセッション、グランドブタペストホテルは、映画の骨格的に作品賞になじまない
西海岸は「青い州」ですので、アメリカンスナイパーは、共和党的ってことで
嫌われたんですよ。
・・ということで、消去法的に行くと、こういう時に有利なのが「バックステージもの」
まさしく予定調和で「バードマン」になった。
特に、落ちぶれた役者の話って好きですからねえ・・・
ところで「日本アカデミー賞」ですが・・・
ここは、ノミネートされるだけで「優秀賞」と呼ばれる。
その「優秀賞」のなかから「最優秀賞」を選ぶって仕組みらしい。
なんだか、インフレ化したお手盛りの「賞」のバラマキみたいですなあ。
ちなみに、その「最」の発表は、二月二十七日でNTVでライブ放送されるらしいが、
誠に僭越なものいいですが、貴重な電波の無駄使い・・・・だと思っています。
2015年2月23日月曜日
まさか本当に変えるとは思わなかったねえ(笑)
まさか本当に変えるとは思わなかったなあ・・・(その1)
---
民法第404条の規律を次のように改めるものとする。
利息を生ずべき債権について別段の意思表示がないときはその利率は当該利息が生じた最初の時点における法定利率による。
法定利率は、3%とする。
法定利率は、3年ごとに、3年を一期として・・・変更される。
中略
商法第514条を削除するものとする。
---
百年に一度の「大改正」ともなれば、懐かしい「民事法定利率とか商事法定利率」という言葉を
死語にしてしまった。
特段の当事者合意等がなければ、民事は5%、商事(商取引)ならば6%って利率が
3%に統一され、なかんずく三年ごとに見直されることとなる・・・らしい。
いつからかは分かりませんが、細かい端数はつかず、2%とか4%になったりする。
どうして「5%」という法定利率を明治の賢人たちが決めたのかは知りません。
しかし、トマピケティ先生の「r(資本収益率)=5%」という仮定・・・
正確に言えば、19世紀の資産家の資産平均利回りがその程度であるということは、
西洋的常識であったことに起因し、その知見がお雇い外人からもたらされたと思われます。
江戸時代の高利貸しは更に高利で運用していたようですので、その辺との折り合いが
商事法定利率(6%)という制度設計になったと勝手に想像します。
しかし、彼の「r>g」の煩雑な説明によれば、
r=5%という仮説は、21世紀でも通用する経験則的公理らしい。
そういう文脈の中で、民事商事の統合も含めて、法定利率改正の意義はあるのでしょうか?
改定ルールの詳細は省令で決まるのでしょうが、委細は不明。
日銀の貸出金利リンクって案があったようですが、多分市中実勢金利なんかをベースにするのでしょうが
法定利率の利率を「貸金の金利水準リンク」だけで決めていいのかって言われれば疑念もある。
そもそも、金利の定めのない金銭消費貸借って稀であり、
事実上の適用事例は「法律の規定により利息が生じる債権」に限定される。
例えば・・・
金銭債権の債務不履行による遅延損害金
不当利得の悪意の受益者の利息返還義務 等々
返済すべき債務を長々と払い渋り、長期の裁判でやっと勝利し、その間の6%の遅延損害金金利なんか
もせしめると・・・企業法務戦士は代理人と夜を徹して祝杯をあげたものですが、
その喜びが半減する。
債務を早期に回収しておれば、それが次のビジネス原資となり、それこそ「r=6%」の
収益を生んだはずなのですよ。
それが半減してしまうって・・・・釈然としませんよね。
まあ、契約書に想定される「利息の生じる債権」全てについて、約定金利を明記するしか
対応策はないか(苦笑)
---
民法第404条の規律を次のように改めるものとする。
利息を生ずべき債権について別段の意思表示がないときはその利率は当該利息が生じた最初の時点における法定利率による。
法定利率は、3%とする。
法定利率は、3年ごとに、3年を一期として・・・変更される。
中略
商法第514条を削除するものとする。
---
百年に一度の「大改正」ともなれば、懐かしい「民事法定利率とか商事法定利率」という言葉を
死語にしてしまった。
特段の当事者合意等がなければ、民事は5%、商事(商取引)ならば6%って利率が
3%に統一され、なかんずく三年ごとに見直されることとなる・・・らしい。
いつからかは分かりませんが、細かい端数はつかず、2%とか4%になったりする。
どうして「5%」という法定利率を明治の賢人たちが決めたのかは知りません。
しかし、トマピケティ先生の「r(資本収益率)=5%」という仮定・・・
正確に言えば、19世紀の資産家の資産平均利回りがその程度であるということは、
西洋的常識であったことに起因し、その知見がお雇い外人からもたらされたと思われます。
江戸時代の高利貸しは更に高利で運用していたようですので、その辺との折り合いが
商事法定利率(6%)という制度設計になったと勝手に想像します。
しかし、彼の「r>g」の煩雑な説明によれば、
r=5%という仮説は、21世紀でも通用する経験則的公理らしい。
そういう文脈の中で、民事商事の統合も含めて、法定利率改正の意義はあるのでしょうか?
改定ルールの詳細は省令で決まるのでしょうが、委細は不明。
日銀の貸出金利リンクって案があったようですが、多分市中実勢金利なんかをベースにするのでしょうが
法定利率の利率を「貸金の金利水準リンク」だけで決めていいのかって言われれば疑念もある。
そもそも、金利の定めのない金銭消費貸借って稀であり、
事実上の適用事例は「法律の規定により利息が生じる債権」に限定される。
例えば・・・
金銭債権の債務不履行による遅延損害金
不当利得の悪意の受益者の利息返還義務 等々
返済すべき債務を長々と払い渋り、長期の裁判でやっと勝利し、その間の6%の遅延損害金金利なんか
もせしめると・・・企業法務戦士は代理人と夜を徹して祝杯をあげたものですが、
その喜びが半減する。
債務を早期に回収しておれば、それが次のビジネス原資となり、それこそ「r=6%」の
収益を生んだはずなのですよ。
それが半減してしまうって・・・・釈然としませんよね。
まあ、契約書に想定される「利息の生じる債権」全てについて、約定金利を明記するしか
対応策はないか(苦笑)
2015年2月22日日曜日
繕い裁つ・・・・
かつてZUKAの大劇場にベルばら(池田理代子作)が翻案上映されると噂が出た時の
ファンの動揺・・・・
たかがマンガが・・・
時代は変わった。
エンターテイメント系の小説が映画素材になることはあっても、
純文学系・・・言ってみれば「芥川賞作品」にはまずお声がかからない。
やせ細った歪み骨格な私小説風では、食指が動かないし、
昨今は心理の襞や葛藤を巧みに描いてくれるコミックに事欠かない。
いまや文芸の大空位時代であり、小説がふたたび君臨することは期待しがたく
むしろ、コミックの時代なのかも・・・
けだし「クールジャパン」なのです。
繕い裁つ人
作者の池辺葵さんは存じ上げない。
作画が匠とも思えないが、そこはかとない味わいを感じないものでもない。
ヒロインは、南市江
祖母(志乃)の洋裁店を切り盛りしているが、仕事の大半は、祖母の仕立て品のお直し
古くからの顧客が三々五々井戸端会議風に訪れては、仕立て物を頼んでいく。
市江の新作は、友人の洋装店で販売されるが、一品物。
それに目をつけたデパート(原作は丸福百貨店)のバイヤー
ブランド化をシツコク勧めるが、ファッションへの姿勢の違いは、永久に交わらない
平行線。
しかし、異化同化作用のなせる技・・・いつしか
この辺のオンナとオトコの機微
名女優の中谷美紀さんは問題ないのですが、三浦百恵さんのご長男には荷が重い。
監督もよくお分かりのようで、原作にはない車椅子の女性(実はバイヤーの妹)が
登場する。
市江は、彼女のウエディングドレスを誂えるという冒険に挑むのです。
このウエディングドレスを美しく着こなした女性を演じるのが・・・黒木華
・・・本当に安心して見れられるなあ
原作は、時代も場所も不明
別に阪神間(神戸)である必要はないし、117から20年たった今である必然でもない
監督が、関西屈指のお嬢様女子大のご出身というだけで、そういう背景設定をしたんでしょう。
そういえば、南市江は「神戸女子学院大学」出身という原作にない設定です。
母校の図書館もロケシーンに登場したらしい。
一品物を仕立て、一生涯お直しをしながら着こなすっていうソフィケイティッドな
スタイルは、阪神間の山の手には似つかわしい。
この映画の最高のシーンは・・・
かつての多くの顧客が、志乃の仕立てた一品物を身にまとい、南志乃の野辺送りに参列するシーン
これが、脚本家と監督の創作によるものであれば、日本映画界の未来も安泰ですが・・・
残念ながら、原作にも登場します。
しかし、コミックのコマ割りよりもはるかに美しく映像化されていたことだけは付言しておきましょう(笑)
2015年2月21日土曜日
蝸牛庵はどうして狂言綺語なのか?
蝸牛庵
かぎゅうあん・・・と読みます。
とある方から「牛鍋庵」さまと返事が来た際には、さすがに絶句(笑)
単に勘違いと言うより、失礼ながら無知なんだと思いましたねえ。
蝸牛とは、内耳にある聴覚を司る器官の名称ですが、
カタツムリに似ていることが由来らしい。
一般には、幸田露伴先生の雅号として有名ですが、本名は幸田成行。
露伴も号の一つであり、ほかにもたくさんお持ちのようだ。
ヤドカリのように転居を繰り返し、それにちなみ・・・といわれるが、
一番有名な東向島蝸牛庵には十年ばかり住んでいる。
正確な引っ越し回数は不詳であるが、北斎のように生涯で百回近くってことでもなさそうです。
その旧宅は、明治村に保存されていますが、ヤドカリっていうからには
方丈庵程度と思いきや、二階建ての立派なお住まい。
Google検索をかけると・・・
大阪の喫茶店
幸田露伴のウィキペディア
蝸牛庵狂言綺語録
なかなか認知度が高いブログなんです(笑)
そうそう、蝸牛庵日乗というブログを連載しておられる方もおられます。
日記でなく「日乗」をお使いのところが教養です。
永井荷風に「断腸亭日乗」って大部な日記があります。
さて「狂言綺語」ですが・・・四文字熟語辞典なんかだと
道理に合わない言葉や、巧みに表面だけを飾った言葉。転じて、虚構や文飾の多い小説・物語・戯曲などを卑しめていう語
と解説しています。
出典は、白居易「香山寺白氏洛中集記」らしい。
原典を読んでませんが、孫引きによれば「狂言綺語の過ちを転じて、讃仏の因・・・・」とかなんとかと書いているらしい。
虚構・文飾の道からでも仏道にたどり着けると言うのは、いささか個人的な主義主張・趣旨に反する。
ここはそれ、菩薩十善戒に従い、ブログ名の変更を思案中
蝸牛庵妄語綺語悪口両舌録
って、どうでしょうか?
https://m.youtube.com/watch?v=cZnrL8_kFzc
かぎゅうあん・・・と読みます。
とある方から「牛鍋庵」さまと返事が来た際には、さすがに絶句(笑)
単に勘違いと言うより、失礼ながら無知なんだと思いましたねえ。
蝸牛とは、内耳にある聴覚を司る器官の名称ですが、
カタツムリに似ていることが由来らしい。
一般には、幸田露伴先生の雅号として有名ですが、本名は幸田成行。
露伴も号の一つであり、ほかにもたくさんお持ちのようだ。
ヤドカリのように転居を繰り返し、それにちなみ・・・といわれるが、
一番有名な東向島蝸牛庵には十年ばかり住んでいる。
正確な引っ越し回数は不詳であるが、北斎のように生涯で百回近くってことでもなさそうです。
その旧宅は、明治村に保存されていますが、ヤドカリっていうからには
方丈庵程度と思いきや、二階建ての立派なお住まい。
Google検索をかけると・・・
大阪の喫茶店
幸田露伴のウィキペディア
蝸牛庵狂言綺語録
なかなか認知度が高いブログなんです(笑)
そうそう、蝸牛庵日乗というブログを連載しておられる方もおられます。
日記でなく「日乗」をお使いのところが教養です。
永井荷風に「断腸亭日乗」って大部な日記があります。
さて「狂言綺語」ですが・・・四文字熟語辞典なんかだと
道理に合わない言葉や、巧みに表面だけを飾った言葉。転じて、虚構や文飾の多い小説・物語・戯曲などを卑しめていう語
と解説しています。
出典は、白居易「香山寺白氏洛中集記」らしい。
原典を読んでませんが、孫引きによれば「狂言綺語の過ちを転じて、讃仏の因・・・・」とかなんとかと書いているらしい。
虚構・文飾の道からでも仏道にたどり着けると言うのは、いささか個人的な主義主張・趣旨に反する。
ここはそれ、菩薩十善戒に従い、ブログ名の変更を思案中
蝸牛庵妄語綺語悪口両舌録
って、どうでしょうか?
https://m.youtube.com/watch?v=cZnrL8_kFzc
2015年2月20日金曜日
インバウンドマーケティング
倭国に来訪する外国人の数は1300万人強。
仏蘭西国の8000万人にはおよびもつかないが、
極東の島国ってことを思えば関係者の不断の努力・・・っていうより、為替の影響かも(笑)
いくら円安でも、コンテンツに魅力がないと、ヒトザルは集まらない。
円安が下支えしているうちに、より良いコンテンツ開発をやらないと、潮目が変わった時が恐ろしい。
いまや、経済効果は2兆円とも試算されます。
傍若無人で嫌われやすいチャイニーズだって、240万人も来訪。
爆買金額は、3000億円以上とも・・・
背に腹は変えられない。
それに一時の慰安や享楽しか提供しないギャンブルやゲームが支える経済よりは
はるかにマシである。
いまや「インバウンドマーケティング」こそが、国内消費の大きなトレンドである。
しかし「お買い物」しかコンテンツがないのも哀しいことだ。
メディカル・ツーリズムって・・・今の医師会の岩盤規制下じゃ、展開のしようがない。
観光遺産も代わり映えがしない。
自然遺産は劣化の一途
文化遺産は・・・失礼ながら、あの連中の知的水準には似つかわしくない。
クールジャパンで、コミックやヨシモトに頑張ってもらうしかない。
ちょっと古い統計がありました。
都道府県別観光ランキング(2009年)
1 北海道 78.1
2 沖縄県 65.2
3 京都府 64.0
4 東京都 53.6
5 奈良県 52.4
6 大阪府 47.1
7 長崎県 46.1
8 福岡県 44.3
9 長野県 43.6
39 徳島県 30.6
40 鳥取県 29.9
41 福島県 29.7
42 滋賀県 29.2
43 佐賀県 28.7
44 栃木県 28.4
45 群馬県 27.4
46 埼玉県 21.8
47 茨城県 21.5
まあ、さもありなんって感じです。
ただ言えることは、資源の有無・大小もさることながら「やる気とか意欲」です。
外国人観光客の来訪頻度と概ね連動します。
ダメなのは「北関東」ってすっごく共感しますなあ(笑)
上方知的人とはいえ、群馬と栃木の位置関係に相変わらず確信が持てず、
その確信のなさが関西人の共通意識・・・って、土壌をなんとか打破したいって気持ちが
感じられない以上は、まあこの惨状が続きます。
2015年2月19日木曜日
西行を語る
俗名佐藤義清。
23歳の若さで出家。
弓矢の達人にして高名な歌人。
文武両道を絵に書いたような人気者で、アチラコチラからもお座敷がかかる。
その人気は、いまでも衰えることなく・・・
死に様においては「この如月の望月のころ」だし、
旅に生きては「命なりけりさよの中山」だ。
しかし、俗世間を捨てて出家したくせに、腥さは消えず、
権門の間をうまく渡り歩き・・・
逆に言えば、天皇家のSPごときの立場で一人前に世渡りしようとすれば、
外界人となるのが一番である。
実は、彼の本拠地は蝸牛庵の故郷の一角である。
出家の理由はよくわからない。高貴なる女性への失恋、
あるいは・・・
高貴な女性とのデートの後で「阿漕ヶ浦」って言われたんだけど、
意味が分かんなくて、愛想つかされ、その後意味を知り、恥じいり、出家した・・・
だと絵になります。
--参考の古歌
伊勢の海、阿漕(あこぎ)が浦に引く綱も「度重さなれば顕れ」ぞする
昔のデートって大変なんですねえ。
上流階級とのお付き合いには教養がいる(今はどうなんでしょうか・・・笑)
大田道灌みたいに「山吹」の意味を知らなくて、
貧しくもうら若き乙女に馬鹿にされるのも嫌だしねえ・・・
もっとも、本拠地での土地争いに疲れはてて・・・って説もありますが、
多分これが正しいようだ。
まあ、財に執心することは精神衛生上宜しくありません。
起きて半畳寝て一畳、、、天下獲っても二合半って、これは真理です
吾唯足ることを知るのみですよ・・・笑
まあ、西行さんにはいまでもファンは多い。
非難めいたことを言えば、カミソリでも送りつけられそう(苦笑)
桜をめでて、旅に生き、名所旧跡で平明正調な歌を読み、「願わくば」と
設計図通り(パフォーマンス)に死んでゆく。
古今以来の正統派ですから、狂言綺語的な新古今の世界の清涼剤。
新古今集で最多登場回数。94首
全体で二千首弱ですので、露出度大です。
しかし、一時の熱狂だったのか、後鳥羽は、隠岐に流されたあとも、
新古今の編纂に情熱を傾けましたが、その隠岐本では、西行をばっさりと・・・
出家名もあざといですよ。西に行く・・・
西方浄土を目指しますってしおらしい(一見・・・笑)
いろいろ不穏な噂もあるのですが、心のおくそこには、なにやら葛藤もあったようです。
どこまで本心かわかりかねますが、新古今集の最後の歌は西行さんの絶唱
闇はれて 心のそらに すむ月は 西の山辺や ちかくなるらん
2015年2月18日水曜日
確か、新宿の裏街にあったような・・・
喰い物系のコミックやドラマは得です(笑)
つまんない話でも、美味しそうな料理が出てくれば、これだけで場面はほころぶ。
天地の心を動かすのは・・・けだし「喰い物」
決して、うたごころではない。
深夜食堂
寡聞してコミックが原作とは知らなかったが、作り方からして連作深夜ドラマ風である。
冒頭に「孤独のグルメ」の松重豊が登場するのは、洒落かと思ったが
深夜放送時代からの常連キャストだったらしい。
常連客はTV時代からそのままで、三つのエピソードの重要な役者さんだけが
ゲスト的に登場する。
高岡早紀+柄本時生
多部未華子+余貴美子
筒井道隆+菊池亜希子
どうも最後のエピソードだけが、役者に「華」がない
黒木華か満島ひかりでももってくれば、画面が締まったのにねえ・・・
それに、それぞれのエピソードが独立してしまうのが、脚本家の腕の悪さ
常連の狂言回市でそれを補っているつもりだろうが成功していない。
冒頭と最後の「置き忘れた骨壷」のモチーフを、田中裕子の長セリフで大向うを
うならせるつもりも芝居が臭くなっただけ・・・
日本映画の水準とはこんなもんだって言いたいようなレベルですなあ。
これがTVドラマならば、出来の良い部類ですが、お客様からオアシを頂戴できるって
もんじゃない。
まあ、遅くまで残業仕事で帰宅し、缶ビール片手にお夜食なんかのさいに、
オンエアーされている限りは、ほんわかいい気分でしょう。
2015年2月17日火曜日
不真面目にインセントタブーを論じる
もう半世紀前のこと。
友人の先輩達と称する連中との宴会に、洛中百万遍あたりを訪れた。
人生の苦悩を一手に背負ったような文学士
宇宙の成り立ちを解明しかねない物理学修士
とかなんとか畏怖の念なくしては・・・って思ったのもつかのま(笑)
ただの飲んだくれだった。
宴もたけなわになると、始まったのがこの「宴歌」の大合唱
ここは山科 京都の外れ
京都名物 キョウダイシンジュウ ♩♩
キョウダイ・・・って言えば
京大
兄弟
兄妹
姉弟・・・は、キョウダイとは言わない。
どうも、京大と兄妹を掛けた禁断の恋物語らしい。
最後はシンジュウですので、予定調和的な結末です。
まあ「春歌・猥歌」の類いですが、そもそも的にカラッとしたもの。
暫らく忘れていたところに、山崎ハコのレコードで見つけたのが、この
兄妹心中
https://youtube.com/watch?v=YAFJsd0wobU
オリジナルとは、かくも陰惨なものなのか!
三面記事的には・・・
痴情のもつれ
三角関係の清算
と言うんでしょうが、この手の展開は、平安古典のエピソードにもある
正統的な物語展開。
正確に言えば・・・文覚上人出家譚。
ほんまとも思えないが、まあ文学的にはそういうこと。
インセントタブーについては、レヴィストロースの学説に詳しいが、そんなことを思い浮かべながらも、
ちょっと驚愕したのは・・・・
枯木灘・・・中上健次の大傑作を読んでいた際に
部落の盆踊りでは、この「兄妹心中」が、踊り歌として登場する。
物語のモチーフとして引用したに過ぎないのか、実体験なのか・・・は判然としない。
ほぼ全曲の歌詞を書き連ねているところに、作者の怨念が垣間見える。
オリジナルは、宴歌ではなく、艶歌でもなく、怨歌。
ここから民草のルサンチマンの爆発を読み取ることはむつかしくはない。
友人の先輩達と称する連中との宴会に、洛中百万遍あたりを訪れた。
人生の苦悩を一手に背負ったような文学士
宇宙の成り立ちを解明しかねない物理学修士
とかなんとか畏怖の念なくしては・・・って思ったのもつかのま(笑)
ただの飲んだくれだった。
宴もたけなわになると、始まったのがこの「宴歌」の大合唱
ここは山科 京都の外れ
京都名物 キョウダイシンジュウ ♩♩
キョウダイ・・・って言えば
京大
兄弟
兄妹
姉弟・・・は、キョウダイとは言わない。
どうも、京大と兄妹を掛けた禁断の恋物語らしい。
最後はシンジュウですので、予定調和的な結末です。
まあ「春歌・猥歌」の類いですが、そもそも的にカラッとしたもの。
暫らく忘れていたところに、山崎ハコのレコードで見つけたのが、この
兄妹心中
https://youtube.com/watch?v=YAFJsd0wobU
オリジナルとは、かくも陰惨なものなのか!
三面記事的には・・・
痴情のもつれ
三角関係の清算
と言うんでしょうが、この手の展開は、平安古典のエピソードにもある
正統的な物語展開。
正確に言えば・・・文覚上人出家譚。
ほんまとも思えないが、まあ文学的にはそういうこと。
インセントタブーについては、レヴィストロースの学説に詳しいが、そんなことを思い浮かべながらも、
ちょっと驚愕したのは・・・・
枯木灘・・・中上健次の大傑作を読んでいた際に
部落の盆踊りでは、この「兄妹心中」が、踊り歌として登場する。
物語のモチーフとして引用したに過ぎないのか、実体験なのか・・・は判然としない。
ほぼ全曲の歌詞を書き連ねているところに、作者の怨念が垣間見える。
オリジナルは、宴歌ではなく、艶歌でもなく、怨歌。
ここから民草のルサンチマンの爆発を読み取ることはむつかしくはない。
2015年2月16日月曜日
モルデカイは倭国で活躍するか^_^
犯罪に軽重・・・・罰の大きさではなく、エレガント差の優劣はやっぱり有ります。刑務所では詐欺犯は尊敬されるそうだし、結婚詐欺にあって相手の詐欺女性に暴力をふるって収監なんかされるとバカにされるらしい。
これはさもありなん(笑)
よくある窃盗犯でも、釣り銭やお賽銭をくすねてもリスペクトはされないが、高額な美術品ともなれば、大向こうを唸らせる。
リュパンの人気ってそういうもんです。
日本の犯罪映画・・・とりわけ美術品盗難テーマほど貧相な世界はない。
怪人二十面相
ルパン三世
いずれもが、西洋の借り物風。
リアリティのある美術品盗難テーマは、ついど映画素材にはならなかった。
そもそも、美術をテーマにすることすら「苦手」なのです。
所詮は芸術大国ではないと言うことか?
映画素材になるのは・・・
利休
北斎
これまた悲しくなるほどの貧相な風景
映画の作り手の芸術理解力がその程度だと言うことで、日常風景的に、リビングに
ゴッホやセザンヌを飾っている普通の家庭の出身者が、たまたま、叔母さんの遺産で映画を撮って大当たりって世界とは程遠いのですよ。
ジョニーデップの新作。
評論家の評価はボロボロ。
確かにねえ・・・
職業に貴賎は有りませんが、土木作業員とダイナーのウエートレスを両親に持つと
美術商って、ちょっと辛いですよ。
妻役のグイネスパルトローは様になりますが、これはやっぱりってことかな。
親の職業がどうのってことではなく、美術品に対するセンスってこと。
ジャックニコルソンは、美術品収集家としても有名で、レンピッカの作品を
何枚か持っているようです。
いずれも、趣味がいい。センスってことですね。
2015年2月15日日曜日
光の王国
小説「ハンニバル」によれば、元介護人のバーニーは、フェルメールの最後の一枚を鑑賞するために、アルゼンチンを訪れるが、
元FBI捜査官のクラリスと遭遇・・・・
しかし、これはトムハリスの捏造であり、フェルメールの作品は、欧州と北米にしか存在しない。
あまつさえ、「合奏」という作品は、アートテロの結果、未だ行方知れずである。
そもそも、正確な作品目録すら存在しない。
作品数は35枚とも36とも・・・・
二十一世紀に入り、37枚目の真作が、オークションに登場。
なんと、三十億円強で落札。
個人蔵とされるが、氏名不詳である。
あの小品で、あの値段ならば、人気作品の少女の肖像画や、世界で一番美しい風景画「デルフト眺望」ならば・・・・桁が一つ上がってもおかしくないが、そもそも、個人所有はなく、売買の対象にならない。
マウリッツホウス美術館の最上階の小振りな展示室には、この二枚だけが対面展示されている。
あの真珠の首飾りをした少女のまなざしは、あなたのこころの奥底を
見つめて・・・じゃなくて、かの風景画を見つめている(笑)
ウイルデンシュタインという画廊がある。
東京にもお店があると思います。
大金持ちの超老舗だが、本業よりも、度重なる整形醜悪妻とのスキャンダルで有名になった。
ド派手な離婚裁判では、百億ドル以上の美術品を所有していることが暴かれたらしい。
もしかしたら、38枚目のフェルメールが出てくるかも・・・・
2015年2月14日土曜日
行列をしてまでも・・・・・
所詮は、希少性に話題性。
それを価値と思うかは其々の価値観。
関西人は行列が嫌いなはずだが、時代は変わった。
しばらく前までは、行列の仕方が下手くそというか習慣がないもので、
例えば、列車が到着するまでは、三列でそれなりに並んでいるが、
ドアが開いた瞬間・・・我れ先と(笑)
最近、このような風景は、春節で帰省する農民工の集団でしか見かけない。
しかし、
日本初上陸の・・・
アイスクリーム
ポップコーン
関東人は飽きずに並びます。
特段美味しいわけでもない。
表参道のアイスクリーム屋さんは、味覚音痴の経営者の手になる商品で
あっという間に行列が無くなる・・・どころかお店自体がなくなった(笑)
さて、話題の珈琲屋さんが上陸。
なんと、清澄という辺鄙な場所。
珈琲豆の焙煎工場片隅のちっちゃなカフェというしつらえ
メインはテイクアウトのようです。
それが、なんとこの寒空の下、二時間程度の待ち行列だとか。
確かに、豆の鮮度と一杯一杯ハンドメイドで若者がドリップ式に珈琲を
入れる。
ちょっとしたマスターのいる喫茶店と同じ入れ方ですが、
いまどきそんな喫茶店は絶滅危惧種。
勝手に見捨てたくせに身勝手なものである。
お値段は・・・450円以上
高いか安いか分かりません。
NYでは、三ドル程度らしいので、なんか外資にむしられているようにも
思えます。
量が分からないので単純比較はむつかしいが、一般にアメリカンのほうが、
大振りである。
確かに話題性はある。希少性もある。
どっちも、うつろいやすい春の雪
近々、青山と代官山にも出店するらしいが、その頃には少なくとも希少性はない。
肝心のお味がどうなのか?
アメリカンの味覚感って全く信じてませんので、期待もしてません。
世界一わがままなクライアントに鍛えられたコンビニの百円珈琲のほうが
パフォーマンスが上のように思えますが、どんなものなんでしょう。
話題性もなくなった頃に、飲みに行ってみよう。
2015年2月13日金曜日
国家の背骨とは・・・・
税制の基本は・・・
公平
中立
簡素
消費税は「資産の譲渡・貸付、役務の提供」を事業として対価を得て行う場合に
負担させるものである。
そうでないものは「不課税取引」とされるが、結構「非課税取引」もあるのです。
社会政策上の配慮という表現でくくられますが、
当時の経緯からすれば、結構「腕力」の世界であったようです。
・出産費用及び埋葬費用
・保険医療
・授業料とか教科書代 ・・・なんとなく想像がつきます。
子供を産むのに税金を払うのですか?!ってヒステリックに騒いだ女性議員の剣幕は
まだ覚えています。
非課税取引の存在も「税率」が高くなるとなにかと矛盾点が炙りだされる。
例えば・・・
町医者の収入の多くは保健医療。
仮受消費税は前述のとおり発生しないが、原価を構成する様々な要素費目には
仮払消費税が発生し・・・言ってみれば借受と仮払の相殺ができずに払うだけ。
そもそも、消費税の最終負担者は消費者のはずだが・・・
その分は診療報酬の水準是正で補填されていることになっています(?)
制度を複雑にするとろくなことがない。
軽減税率の対象範囲で侃々諤々の議論が起きそうです。
本命は「食料品」
しかし、食料品の定義って何でしたっけ?
琵琶湖のもろこ
四万十の落鮎
下関のトラフグ ・・・なんかの税金が安くなると嬉しいですねえ(笑)
高級食材を使った美酒乱の懐石料理がお安くなるはずです。
でも、趣旨的になんか可笑しいですねえ。
知に税金をかけるな!(本音は新聞代金の軽減税率適用だと言われています)
なんか、もっともらしい。
しかし、知に価値を認めて対価を支払おうとする者は、あまり値段を気にしない(・・はず)
知の価値を金銭換算するのは非常に難しい。
超ざっくり言えば・・・書籍の原価構成比(%)は
印税(実質の知の価値):10
書店取り分 :20
取次ぎ取り分 :10
歩留まりロス :20(あるいは10)
直接製造(製本)原価 :40(50)
大型書店をうめつくす大量の書籍の中で、本当に「知の価値」を認めうるものが
どれだけあるのでしょうか?
一時の慰安や享楽の道具にしかすぎないものに「知の価値」は認めがたい。
今日刊行された書籍の中で、古典として後世に伝えられるものがどれだけあるのでしょうか
新聞だって「社会の木鐸」なんて上から目線でのたまうことに疑問を抱かなかった世代は
遠い昔。
そもそも的にいまや「シルバー産業」
若者は(・・・でなくともIT社長さんですら)紙新聞は読みません(笑)
あんまり、政治的な妥協で事を運ぶと経済活動に歪みを生じ・・・
詰まることろ「税の三原則」を土崩瓦解させてしまう。
大げさに言えば、完備された徴税システムこそが近代国家の背骨なのです。
2015年2月12日木曜日
神話的世界
小説なんかについてはある意味で最高の「褒め言葉」である。
神話を素材とするから神話的な世界が表現できるものでもない。
しかし「神話」とはつかみ所のない物語世界であるが、
言ってみれば「ヒトザルと社会・・あるいは世界の成り立ちの根源あるいは存在意義の証明」
のようなものである。
虚実を論じるものではない神聖な存在であるので、宗教性をも帯びている。
思い浮かべるに・・・・
GGマルケスの世界(百年の孤独とか・・・)
クトゥルフ神話世界(ラブクラフトの一連の小説群)
ユリシーズ(ジョイス)
失われた時を求めて
日本だと・・・思いつきませんねえ(苦笑)
壮大な神話的世界を持ち得なかった民族だからでしょうか?
古事記、日本書紀を日本「神話」と思うから・・・というか西洋的な神話世界とは
いささか程遠い建国の「かむよごと」
万世一系の天皇家支配の正統性立証文書だとか「黒幕」である藤原一族の代貸し正当化文書とも
言いようは様々ですが、日本人が持ち得た大きな文化遺産であることには間違いはない。
中上健次という作家がいる。
正確には「いた」
残念なことに、アルコールの大量摂取とかの破滅的生活で命を縮めた。
享年46歳
夭折する芸術家とは短い人生であっても生涯でなし得ることも短期間で成し得てしまう
存在だと思うのですが、彼の場合は、まだまだなすべきことをなさないまま
死んでしまった不幸な(彼にとっても読者にとっても)人生だと思われます。
枯木灘
戦後最大の日本文学の収穫とべた褒めする向きもあります。
確かに、中上ワールドの頂点。
彼以降、ろくな芥川賞作家はいないと突放つ評論家もいます。
これに反論も難しい。
一連の作品の{第◯編」として読むべき作品であり、単体で読むにはもったいないというか
人物関係を含めてよくわからない。
大河小説の部分的切り出しである。
紀州熊野とは、まさに神話的風土を有する地帯であり、そこで生まれ育った原体験が
彼の一連の自画像的作品となっている。
息苦しくなるような世界で、楽しく読めるものでもないが、我慢の果てに見えてくるものは
倭人が初めて手にした「神話的世界」の小説である。
2015年2月11日水曜日
末世に流行るもの
インターネット世界にも、面白いサイトがあるものです。
例えば「蝸牛庵狂言綺語録」なんて極私傾向主義的の極みのようなサイトがあったり
極め専門性の高いブティックのようなサイト・・・
弁護士と闘う
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii
かようなサイトが人気を集めるのも、末世の現れかもしれないし、
ICT環境の進化かもしれません。
警官が人殺しをする有り様ですので、倫理観の高い専門職である弁護士だって様々です。
自由と正義を上から目線で言い放っても「子供の躾」がちゃんと出来ない長崎の有名な
弁護士もいました。
これは弁護士業務とは関係がないから、懲戒請求の対象にはならないが、
このサイトは「弁護士の罪と罰」をいち早く一覧性をもって伝達するのがウリである。
弁護士社会は「高度な倫理観にもとづいての自治」が認められており、
懲戒請求の結果、処分がくだされば、業務停止はもとより資格剥奪に至ることもある。
がしかし・・・企業社会だと懲戒免職になりそうな事案でもこの程度の処罰か(苦笑)
民事上の賠償責任や刑事罰は別にあるとはいえ「身内に優しい世界」という感じがします。
一般に、社会正義の最後の砦のように思われていますし、そういう立派な先生も存じ上げていますが、
どこも世界にも不逞の輩はいるものだということです。
つらつら眺めていますと「前科◯犯」みたいな弁護士もいますねえ。
貧すれば鈍すかな?
数が増えても事案(マーケット)は大きくならない。
なにかあれば、医者と弁護士に頼ることのある物騒な社会。
くれぐれもワルな弁護士(腕の悪いってことも含みます)を代理人にしないことです。
お医者さまの場合は、この専門分野の名医は・・・って(情報の精度には難ありですが)
情報は出回っていますが、弁護士や税理士は・・・?
今や標準報酬制度はなくなりましたから、腕が良ければ依頼料も高い。
このサイトは趣旨が違うが、逆張りだと思って眺めればいい(笑)
2015年2月10日火曜日
r>g
シェイクスピアを愛読する医者の手で死にたい・・・
医者の手で死にたくもないが、そういう医者ならあきらめもつくという比喩である。
経済学者だってある程度「文学者・哲人・歴史家」であるべきだとは・・・ケインズの言葉らしい。
なんとなく平仄が合う。
トマピケティの「21世紀の資本」が売れるってそうことも要素なのだ。
難解な数式はまったくなく、19世紀を代表する文学書の引用とか・・・
スリリングな史書を読んでいるような気分にさせる。
さて・・・
資本主義を死においやりかねない「格差社会の台頭」もあってだろうか、
OECDや更にオバマまで「トリクルダウン理論の破綻あるいは脱却」を言い出した。
つまり・・・
お金持ちが潤うとその恩恵は貧乏人も及ぶって理屈ですが、
実際には格差は広がるばかりである。
確かに、上位1%が世界の富の半分近くを占有し・・・と言われれば、
正常とは思いがたいが、実数で言えばたかだか80万ドル程度の資産保有者
問題の本質は上位1%のなかの「格差」にある。
資本主義(自由主義経済)とは、成長のフロンティアがあってこそだと思えば
次なる「新々・新興国・・・アフリカ諸国」が成長してしまえば、
地球上では発展余力はなくなる。
その前に環境容量的にこの地球が持たない。
ピケティがいうように偶発的な事象(二回の大きな戦争とか大恐慌)で「リセット」すること
しか策はないのかもしれません。
そういう意味で言えば「不可解な神の摂理」と諦めるほうが良い。
彼の主張する「没収税制」が最善の解決策だとも思えない。
そもそも、世界共通の税制なんて世界政府をつくる以上に困難を極める。
資本収益率が恒等的に成長率を上回るというものの、処方箋は難しい。
健全なる中産階級の形成が戦後税制の背骨であったとは某氏の発言。
その健全な中産階級の没落を招きかねないような制度改正自体が「くにのかたち」を揺るがす。
天文学的な経営者報酬を胡散臭いとおもう健全な金銭感覚が残っているうちに
倭国としては「成長率」をあげるほうが方策としては理にかなっている。
ピケティによれば・・・、
成長率=人口増加率×生産性向上度・・・つまり「少子化対策×岩盤規制改革」
課題設定なり解決の方向性には間違いはないが、総論に反対はなかろうが、
個別具体論がねえ・・・
実現の強固な意思に全てがかかりますよ。
2015年2月9日月曜日
何事にも節度が必要です。
上映禁止国があるらしい。宗教的理由に加えて、史実に反するのが理由とされる。
出エジプト譚が、映画化されるのは4回目。二回目のチャールトンヘストンとユルブリンナー版が一番有名。
今見ても特撮技術には眼を見張る。
しかし、いまどき、モーゼかねえ?
思惑はよくわかりませんが、作家主義で創れるシロモノではない。
なんか意図が有るのです。
今の時期、中近東ものってリスクです。
壮大なスペクタクルの合間のちょっとした部分が垣間見せるシオニスト的な匂い。
そんなことよりも、絶対にやってはいけない「預言者の偶像崇拝化」
つまり、モーゼもイスラム教の重要な預言者とされますので、
風刺画は言うに及ばず、映画にも登場してはならない。
英雄的に描かれていますから、テロルの心配は少なかろうが、戒律に違背する。
勝手知ったるスペクタクルなので、興味は本編よりも別のところに
飛んでしまう(笑)
マホメッドを主人公とする「唯一正統派」の映画を思い出そうとしています。
76年のアメリカ映画
実のところは、オイルマネーで出来た映画らしい。
アンソニークィン、イレーネパパスとか国際級の名優が出演。
当時は、アメリカとイスラムの緊張も少なかったのか、節度ある作り方。
主人公のマホメッド(ムハンムド)を誰が演じたか・・・?
これが世紀の謎(笑)
画面上、主人公の顔形姿は一切登場しない。
タイトルロールの主人公が登場しない演目って・・・珍しくはない。
レベッカ(ヒッチコック映画)
ジュリアスシーザー(シェイクスピア)
定家(謡曲)
もっとも、この映画のタイトルは「ザ・メッセージ」
まさしく、姿形は必要がないってメッセージです。
出エジプト譚が、映画化されるのは4回目。二回目のチャールトンヘストンとユルブリンナー版が一番有名。
今見ても特撮技術には眼を見張る。
しかし、いまどき、モーゼかねえ?
思惑はよくわかりませんが、作家主義で創れるシロモノではない。
なんか意図が有るのです。
今の時期、中近東ものってリスクです。
壮大なスペクタクルの合間のちょっとした部分が垣間見せるシオニスト的な匂い。
そんなことよりも、絶対にやってはいけない「預言者の偶像崇拝化」
つまり、モーゼもイスラム教の重要な預言者とされますので、
風刺画は言うに及ばず、映画にも登場してはならない。
英雄的に描かれていますから、テロルの心配は少なかろうが、戒律に違背する。
勝手知ったるスペクタクルなので、興味は本編よりも別のところに
飛んでしまう(笑)
マホメッドを主人公とする「唯一正統派」の映画を思い出そうとしています。
76年のアメリカ映画
実のところは、オイルマネーで出来た映画らしい。
アンソニークィン、イレーネパパスとか国際級の名優が出演。
当時は、アメリカとイスラムの緊張も少なかったのか、節度ある作り方。
主人公のマホメッド(ムハンムド)を誰が演じたか・・・?
これが世紀の謎(笑)
画面上、主人公の顔形姿は一切登場しない。
タイトルロールの主人公が登場しない演目って・・・珍しくはない。
レベッカ(ヒッチコック映画)
ジュリアスシーザー(シェイクスピア)
定家(謡曲)
もっとも、この映画のタイトルは「ザ・メッセージ」
まさしく、姿形は必要がないってメッセージです。
2015年2月8日日曜日
加治将一なる存在
彼って「本業」はこっち(コイン収集家)なのか?
10年単位で蓄財(資産保全)に最有力なのは「クラッシクカー」
しかし、有事にもって逃げるわけにもいかず、そうなれば
アンティークコイン
切手(スタンプ)
宝石(ジュエリー) なんかに軍配が上がる
価値があるのはみんなが価値があると思うからであって、趣味嗜好が将来とも
変化しないことを祈念します。
どれもこれも興味が無いが、コインには「古美術的な価値」は感じないわけではない。
地金型金貨なんか面白くもなんともないが・・・
彼的には、アンティークコインが一番らしい。
彼のもうひとつの顔は「陰謀論的歴史小説家」
最近刊行された(文庫化された)シリーズ物を眺めながら・・・沈思黙考するに
○○民族って言葉
なんか危険なエモーションを書き立てる言葉。
言葉は神とともに最初にあり、理性に訴える。
加えて、視覚(国旗とか)聴覚(国歌とか)なんかのセットとなれば
冷静な治世や論理でも抗しがたい。
しかし「民族」とは意味不明な不可思議な概念である。
特別に人種区分があるわけではなさそうだ。
遺伝子レベルで定義するよりも「我々意識」で決まる問題である。
日本人の定義といえば「日本国籍を有するもの」なんでしょうが・・・
理性がそう思っても、感情は別のことを考える。
イスラエル国の「帰還法」では、ユダヤ人の定義は・・・
ユダヤ人の母から産まれた者
もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者 とされる。
けだし、日本民族の定義(一般的にイメージされる)もそれに近い。
まずは「日本教」を信じるものが日本民族なのですよ
ブラックホールのように膨張する漢民族のことを考えています。
蝸牛庵的には中国文明とは
漢文
唐詩
でおしまい(笑)
簡略体で表記された中国の文物は、中国文明とも文化とも呼ばない。
思えば、春秋戦国時代とは「異民族抗争」の時代である。
純粋な「漢民族」なる存在はどこにいたのか?
逆に言えば、民族意識があって初めて民族が勃興する。
有史以来初の統制的全国政権である秦国(始皇帝)による様々な統一施策が「漢」民族を
作り上げた。
そもそも的には、秦は「西戎」と呼ばれる異民族系の国家であった。
中国史においては、歴史の太宗は異民族支配であって・・・ということは間違いではない。
しかし、ルーツは異民族であっても、漢族らしく振舞っている限りは漢民族である。
漢風な名前をもち、風俗に親しめば、それは漢民族なのである。
中国人(漢族)だと思うものが中国人(漢族)であるというテーゼほど真理はない。
そういう歴史・心情を持てば、逆に「まつろわぬ民」は疎ましいのでしょう。
所謂少数民族(異民族)は一割程度だと言われますが、実際のところはよくわからない。
隠れ漢族がゴマンといるはずだという加治氏の推測は正しいと思われます。
異民族であることを声高に言えば「特権」がもらえる某国と違って
場合によっては「浄化」の対象とされかねないことは民族の知恵として
骨身にしみているでしょう。
思うに「文明の衝突」なるものが何かのはずみで突出することを何度も経験しています。
アジア地区でなにも起きないとおもうほうがどうかしています。
2015年2月7日土曜日
長閑で平和なあたりでも・・・・恐いなあ
蜜柑に梅に茶粥・・・長閑な農業県で突如として「小学生殺人事件」発生
怖いですねえ。
平成の大合併で、紆余曲折の後にやっとできた知名度の低い新設市での出来事。
ついどこんな大事件は聞いたことがない。
管轄は「岩出警察署」でしょうが、殺人事件に手慣れた刑事さんっているんでしょうか?
県警の刑事部が乗り込んでくるんでしょう。
一日も早い解決を祈っています。
なんちゃって、真須美カレー事件以来の出来事です。
この時には、東京のマスコミが大挙押し寄せ、毎晩暇なもんで「和歌山ラーメン」を
食べあるき・・・結果、関東人の舌にあったもんで、全国区的知名度となった。
地元民には、エグすぎる味付けだと思うのですが・・・
つらつら思うにヒトザルの気持ちとしては、安心できる街に住みたい。
つまりは、刑法犯罪発生、とりわけ殺人事件の少ない街が一番。
なもんで、犯罪年鑑なんかを紐解きながら考えるに・・・
発生件数だと規模の格差が出るので人口あたりの換算値が一番有意差がある。
刑法犯罪件数は、ちょっと統計精度が危ないが「認知件数」で判断するしかない。
・・・ってことでランキング処理を行うに、実に面白い。
人口あたり刑法犯罪認知件数ランキング
大阪
愛知
福岡
京都
兵庫
人口あたり殺人事件死亡者ランキング
大阪
香川
山梨
高知
山口
単年度の統計ですので、正しい傾向値(殺人の場合)になっていない可能性が高いし
昼間人口と夜間人口差が大きいと差異もでる。
刑法犯罪認知件数の上位には大都市圏が並びます。
以下、埼玉、東京、千葉・・・
殺人事件は、経年変化をみないとなんとも言えません。
しかし・・・どっちも「不名誉なトップ」はあそこです!
理由は、なんとなく色々ですが、くちにすることを憚ることもある。
あえて言えば、反権力志向とは犯罪に結びつきやすく、気質としての傾向値である。
従って、犯罪の多い社会が悪な世界と断罪すべきことでもない。
正義の戦争と不義な平和のどっちが良いことかと問えば・・・一概には言えないのです。
ところで、今回の悲しい事件の起きた県ですが、どっちもランク10位!!
思うほど「平和で長閑」でもないのですねえ。
2015年2月6日金曜日
食の民度のバロメーター(豚饅か肉まんか・・・?)
詰まらない設問であり、肉まんではなく豚まんに決まっています。
材料は「ポーク」なんですから、ブタを使いながら肉(関西では牛肉のこと)というのは
優良誤認そのものである。
ハマの中華街でも・・ちゃんと「豚まん」と書いていたと記憶しています。
まあ、ネーミングはどうでもいいのですが、このほんわかした冬向きの食べものを
どう食するか・・・が今日のお題
タレなり調味料の嗜好は千差万別であり、その差異が文化である以上、
優劣を論じてもしょうがないが、そうはいいながらも「美学」ってこともある。
ズバリ本場の関西は「醤油に辛子」
しかし、ウスターソース派も相応の勢力がある。
あるいは、油(多分辣油が本流と思われます)をつかったり、つかわなかったり・・・
そうそう、九州の一部だと「酢」をトッピングに使うこともあるそうです。
一般的な倭人の食し方は・・・・
ベースは、醤油またはウスターソース
添加剤に、辛子、酢、辣油
の組み合わせ。
更に醤油とソースのブレンドとか、複数の添加剤のトッピング
食の文化の奥深さである(笑)
餃子だって、蝸牛庵は・・・
辣油の有無に加えて、醤油と酢のブレンド割合を変えたものを幾つか用意して
食べるのを常とします。
しかし、どこにでも外道はいるものだ(苦笑)
ポン酢 (・・・これは我慢しよう)
マヨネーズ(・・・味覚音痴だと思いますし、将来絶対に豚になる)
ケチャップ(・・・アメリカンと一緒で食の民度が低い!)
2015年2月5日木曜日
カジノ解禁にまつわる所謂「ギャンブルの市場規模」
全国津々浦々に、ホールと称する「賭場」があり、公営ギャンブル場とか宝くじ売り場が・・・
世界でも未曾有の「賭博大国」である日本。
なかんずく、ホールの数は12千軒あまりで売上高(貸玉料)が20兆円弱
その他・・・
宝クジ :1兆円程度(東京だけでも三百箇所程度の売り場があります)
公営ギャンブル合計:4兆円程度
マカオやラスベガスのカジノの売上と比較しても、
海外のカジノは見た目華やかですが、
調べた限り「売上高」は1ないし3兆円程度にしか過ぎない・・・
ここで、有識者は拳を振り上げて、これ以上増やしてどうするのかとカジノ反対を!
賛成派は逆にこの程度の増加くらい誤差の範囲だと賛成を!
どっちもあまり真っ当な議論ではない。
法人税率の国際比較の際の議論で毎度思うのが「正確な売上高を前提」に議論しているのか?
実のところ「売上高の定義」とは難しいのです。
事業の性格に着目して売上高を認識する・・・のが正しい訳で
パチンコ事業であれば・・・
パチンコ球を貸し出して「一時の慰安や享楽を提供する」事業であるから
売上高=貸玉料
しかし、実態はギャンブルである以上、
景品相当額は売上原価に算入せずに、貸玉料から控除するのが正しい「売上認識」だと思われます。
面白いことに、宝クジも各公営ギャンブルも全て払戻金は原価として認識しています。
当然ながら、総額認識方式だと売上規模は過大な姿になる。
翻って、国際会計基準だと・・・よく知りません(苦笑)
がしかし、カジノの売上高とは「実額認識方式で、払戻金を控除」したものだそうです。
一般に、パチンコや公営ギャンブルでは80%前後がギャンブラーに還元されるようですので、
国際会計基準に置き直せば・・・・一体どこがギャンブル大国なのか(笑)
ところで・・・・
消費税とは「事業として対価を得て行われる資産の譲渡・貸付・役務の提供に該当」する場合であり、
課税対象の要件を1つでも満たしていない取引は「不課税取引」
従って、宝クジや馬券には消費税はかからない。
しかし、貸玉は「遊戯の対価」ですので、課税取引です。
従って貸玉料=遊戯料金+内税としての消費税ということになる。
20兆円の「売上高」だとして、消費税を1.5兆円も納付しているのか?!
これが、国際会計基準だと大激減してしまいますし、
更に「遊戯ではなく賭博」ということになれば馬券販売並みに「不課税」
これは大変な問題です(笑)
やっぱり「カジノ税」を導入するんでしょうか?
しかし、ホールをギャンブルだと認めたくない方々もおいでになりますし・・・
2015年2月4日水曜日
トマピケティ(21世紀の資本)が克服したもの
毎度恒例ですが、スーパーボウルは、ライブで見る。
熱狂的とも思えますが、このスポーツに詳しいわけでもない。
スポーツビジネスとしての完成度の高さに感じ入るために見ているようなものだ。
NFLのビジネスモデルとは「スポーツの魅力とは最高のレベルで
戦力の均衡したチームが繰り広げる競争状態である」という理念だと言われる。
レベニュー・シェアリング
サラリーキャップ
ウェーバー制ドラフト
戦力や資金力による格差を排除し、フィジカルとメンタルのトレーニングとインテリジェンス・・・
つまりは公平な競争による全体の繁栄の志向である。
結果、常勝は困難。
V9なんてとんでもないことで、連覇だって難しい。
しかし、与えられた条件の中で、地区優勝を繰り返すペイトリオッツ。
シーホークスも絶えず上位に位置する。
条件を同じゅうしても、努力の差は結果につながる。
圧倒的な格差社会・・・格差を一概に悪いとは言わないが、格差が固定化されることはよろしくない。
富める層が、相続によりその富める状態を堅持してきたアンシャンレジームは打破されるべきだろうし、
アメリカンの世界も上位1%が富を総取りする状態が固定化されるようになれば、活力の低下につながる。
NFLのような世界でウォール街も有りたいというのがアメリカンスタイルというのが理想なんでしょうが、
現実は・・・
サラリーキャップ制度により、NFLでのチーム別の報酬格差は最大で1.5倍程度に過ぎないらしい。
MLBが、四倍らしいが、制度導入に際してペナントレースはワンシーズン、ストライキで棒に振った。
綺麗事を言っても、全体よりも個が大事(笑)
大欲は無欲に近いって一体どういう意味なんでしょうか?
全体の繁栄が個も繁栄させるというセオリーは、スポーツチームの資産価値ランクを見れば分かる。
フォーブスの試算によれば・・・
トップ2は、スペインリーグのサッカーチームであるが、
リーグ全体ではダントツにNFL。チーム平均で14億ドル。25チームが10億ドルを超える。
だっからあ・・・なんら仕掛なくしてのトリクリダウンは有り得ないのです。
因みに、ペイトリオッツは26億ドル、シーホークスは、約その半分。
さて、話戻して・・・
前半はそれぞれがTDを二回づつ。ほとんどイエローフラッグが飛ばない端整な試合ぶり。
後半はエキサイトもあり、っていうかエキサイトしない方がどうかしている。
あり得ないドラマで二転三転!ペイトリオッツが勝利・・・っちが勝ってもおかしくない。
不可知な神の御業と称する気まぐれで決まったようなもの(笑)
・・・ということで、ここで映像なんですが(・・・知財の権利に触れますから、こっちを)
熱狂的とも思えますが、このスポーツに詳しいわけでもない。
スポーツビジネスとしての完成度の高さに感じ入るために見ているようなものだ。
NFLのビジネスモデルとは「スポーツの魅力とは最高のレベルで
戦力の均衡したチームが繰り広げる競争状態である」という理念だと言われる。
レベニュー・シェアリング
サラリーキャップ
ウェーバー制ドラフト
戦力や資金力による格差を排除し、フィジカルとメンタルのトレーニングとインテリジェンス・・・
つまりは公平な競争による全体の繁栄の志向である。
結果、常勝は困難。
V9なんてとんでもないことで、連覇だって難しい。
しかし、与えられた条件の中で、地区優勝を繰り返すペイトリオッツ。
シーホークスも絶えず上位に位置する。
条件を同じゅうしても、努力の差は結果につながる。
圧倒的な格差社会・・・格差を一概に悪いとは言わないが、格差が固定化されることはよろしくない。
富める層が、相続によりその富める状態を堅持してきたアンシャンレジームは打破されるべきだろうし、
アメリカンの世界も上位1%が富を総取りする状態が固定化されるようになれば、活力の低下につながる。
NFLのような世界でウォール街も有りたいというのがアメリカンスタイルというのが理想なんでしょうが、
現実は・・・
サラリーキャップ制度により、NFLでのチーム別の報酬格差は最大で1.5倍程度に過ぎないらしい。
MLBが、四倍らしいが、制度導入に際してペナントレースはワンシーズン、ストライキで棒に振った。
綺麗事を言っても、全体よりも個が大事(笑)
大欲は無欲に近いって一体どういう意味なんでしょうか?
全体の繁栄が個も繁栄させるというセオリーは、スポーツチームの資産価値ランクを見れば分かる。
フォーブスの試算によれば・・・
トップ2は、スペインリーグのサッカーチームであるが、
リーグ全体ではダントツにNFL。チーム平均で14億ドル。25チームが10億ドルを超える。
だっからあ・・・なんら仕掛なくしてのトリクリダウンは有り得ないのです。
因みに、ペイトリオッツは26億ドル、シーホークスは、約その半分。
さて、話戻して・・・
前半はそれぞれがTDを二回づつ。ほとんどイエローフラッグが飛ばない端整な試合ぶり。
後半はエキサイトもあり、っていうかエキサイトしない方がどうかしている。
あり得ないドラマで二転三転!ペイトリオッツが勝利・・・っちが勝ってもおかしくない。
不可知な神の御業と称する気まぐれで決まったようなもの(笑)
・・・ということで、ここで映像なんですが(・・・知財の権利に触れますから、こっちを)
2015年2月3日火曜日
恒例の「恵方巻き」の話題
恵方巻きを食べる日です。
伝統的且つ正統的ならざる「恵方巻き」が横行する末世なもんで、
毎度警告を発するが、もう諦めた。
由来も故事来歴も披瀝するのはやめよう・・・・が、しかし(笑)
そもそも「恵方」とはなんなんだ?!
知らずして、巻きずしにかぶりつくようでは、福徳を授かることは難しい。
毎度の極私傾向的な衒学を述べれば ・・・
その年の福徳を授ける女神様(=歳徳神)がおいでになる方向が恵方であり、
毎年微妙に方角が代わる・・・といっても、つましい陰陽道の神様なので
セカンドハウスが仰山あるわけではない。
物の本によれば・・・であるが
年の十干・恵方
----------
甲・己 東北東(概ねってこと、以下同じ)
乙・庚 西南西
丙・辛 南南東
戊・癸 南南東
丁・壬 北北西
略々、東西南北の方向ということである。
今年は、干支で言えば 乙未(きのと ひつじ)なので「西南西」が恵方ってことになります。
正確には、方位角255度あたりですから、西南西より微かに西よりが正しい。
しからば、どうしてそうなるのかと言えば・・・
よく知りません(苦笑)が・・・・
陰陽道では、十干十二支ともども、方位や時刻や季節の運行を区分し表しますから
その文脈だとは容易に想像できます。
なんにしても、女神様が西方のあたりにおいでになるそうですから、
福徳を願って・・・
野暮とバケモノしかすまない地ではまともな恵方巻きが食えませんので、
今年は、イワシでも賞味しましょう。
そもそも、高い精神性から発した風習ではなく、商業主義の賜物
古式豊かに、柊をあしらった高級魚(いまやイワシがねえ・・・)を白木のカウンターで
いただくほうがエレガントである。
2015年2月2日月曜日
トラッシュ
映画鑑賞のプロフェッショナルを自称する以上、いくつかのプリンシプルがある。
大層なものではないが・・・
予備知識のない映画は見ない
子供が登場する映画は見ない
動物が登場する映画は見ない
理屈はない。
個人的な嗜好の世界である。
しかし、原則ってしばしば変更される(苦笑)
なにをどう勘違いしたのか・・・ポルトガル映画だと思っていた。
実際の製作国は「エゲレス」である。
舞台装置は、ポルトガルにあるまじく・・・どうもブラジルのようです。
なもんで、宗主国の映画と錯覚したんでしょう。
主人公は、三人の子どもたち(スラム街の餓鬼ども)
英語もろくに話せないが・・・カタコト英語が鍵になる。
子供や動物が登場すると、多くの場合は湿度100%になる・・・これが嫌い!
今回は、案外明るく、スカッとする。
ある種のB級映画に
マーチン・シーン(名優ですよ)
ルーニー・マーラ(ハリウッド最強のセレブ)
なんてビッグネームが登場するのも、ダルドリー監督の手腕によるものか?
ゴミ漁りで生計を支える子どもたちがとんでもないものを「発見」し、
事件が事件を産み・・・危険が危険を繰り返し・・・
その「発見」した謎を解く過程のカタルシス
明るい明日を信じたくなるような平明さ。
たまには、こんな気持ちになるものいいものか(笑)
彼の監督作品は次の通り・・・・
・リトル・ダンサー Billy Elliot (2000年)
・めぐりあう時間たち The Hours (2002年)
・愛を読むひと The Reader (2008年)
・ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud and Incredibly Close (2011年)
・トラッシュ! -この街が輝く日まで- Trash (2014年)
平均点の高いの作品ばかりのようです。
2015年2月1日日曜日
TOKYO DEEP
平成の大合併の後世への影響は・・・・
少なくとも、歴史由来のありげな地名の大量喪失につながることは確かである。
しかし、馴染みのない新地名もそのうちに座りが良くなるのかもしれない。
日本中どこに行っても・・・「中央区」
かつて、神戸市の生田区と葺合区が合併し中央区になった際には嘆息したものだ。
幸いにして、警察署の名前で生きながらえているが・・・
負の文化遺産としての地名を改変したいって気持ちはわからなくもない。
差別に結びつきやすいが、変えたところで「負の歴史」が消えてなくわけではない・・・
玉ノ井(寺島町)
釜ヶ崎
飛田
山谷
東武伊勢崎線の東玉ノ井駅の看板に、旧駅名の「玉ノ井」を留める程度で、
あとは影も形もない。
一度「山谷」探訪にいきたいと思っていましたが、一体どこにあるのやら・・・
先日の多少うららかな日曜日に、勇んで行ってきました。
どうやら「清川二丁目」界隈のようです。
近くに「泪橋」の標識。
あの「あしたのジョー」の世界です。
なんだか、気分をそそります・・・しかし、普通の中下流な住宅街です。
目のつくのは・・・
簡易宿泊所(旅館とか旅荘ってネーミングで軒を連ねます)
個室カラーテレビ付きで二千円台前半
更に冷蔵庫がついて・・・「+千円」
アパートもあるようですが・・・「日払い可」
海外のバックパッカーに人気とも言いますが、昼下がりに彼らの姿を見かけることはない。
どの程度のスペックかは、実際に泊まってみないとなんとも言えないが、
雨露がしのげれば文句は言えない。
近隣の「玉姫公園」は、かの「三角公園」に匹敵するアングラ感
岡林信康は、長期に山谷に泊まり込んだ体験から、あの「山谷ブルース」を
創作したって言われますが・・・実際のところはほんの数日らしい。
観察力が鋭ければ、半日うろつけば大体の感じはつかめる。
居酒屋はみかけません。
パチンコ屋さんを一軒見つけましたが、閑散としています。
行列ができるのは生活保護費支給日くらいなんでしょうか・・・?
一時の慰安や享楽の提供というサービスも成り立ち難い世界のようです。
ちなみに・・・
玉姫公園のとなりに「玉姫稲荷神社」がある。
年に一度の「靴祭り」には辺り一面善男善女が、靴や鞄の革製品を買い求めにくるそうな
廃棄すべき靴や鞄もそのままゴミに出しては祟がある。
ちゃんと「お焚き上げ」を・・・とは、宮司のお言葉。
11月の終わりらしいので、気が向けば再訪するかなあ
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