2015年2月19日木曜日
西行を語る
俗名佐藤義清。
23歳の若さで出家。
弓矢の達人にして高名な歌人。
文武両道を絵に書いたような人気者で、アチラコチラからもお座敷がかかる。
その人気は、いまでも衰えることなく・・・
死に様においては「この如月の望月のころ」だし、
旅に生きては「命なりけりさよの中山」だ。
しかし、俗世間を捨てて出家したくせに、腥さは消えず、
権門の間をうまく渡り歩き・・・
逆に言えば、天皇家のSPごときの立場で一人前に世渡りしようとすれば、
外界人となるのが一番である。
実は、彼の本拠地は蝸牛庵の故郷の一角である。
出家の理由はよくわからない。高貴なる女性への失恋、
あるいは・・・
高貴な女性とのデートの後で「阿漕ヶ浦」って言われたんだけど、
意味が分かんなくて、愛想つかされ、その後意味を知り、恥じいり、出家した・・・
だと絵になります。
--参考の古歌
伊勢の海、阿漕(あこぎ)が浦に引く綱も「度重さなれば顕れ」ぞする
昔のデートって大変なんですねえ。
上流階級とのお付き合いには教養がいる(今はどうなんでしょうか・・・笑)
大田道灌みたいに「山吹」の意味を知らなくて、
貧しくもうら若き乙女に馬鹿にされるのも嫌だしねえ・・・
もっとも、本拠地での土地争いに疲れはてて・・・って説もありますが、
多分これが正しいようだ。
まあ、財に執心することは精神衛生上宜しくありません。
起きて半畳寝て一畳、、、天下獲っても二合半って、これは真理です
吾唯足ることを知るのみですよ・・・笑
まあ、西行さんにはいまでもファンは多い。
非難めいたことを言えば、カミソリでも送りつけられそう(苦笑)
桜をめでて、旅に生き、名所旧跡で平明正調な歌を読み、「願わくば」と
設計図通り(パフォーマンス)に死んでゆく。
古今以来の正統派ですから、狂言綺語的な新古今の世界の清涼剤。
新古今集で最多登場回数。94首
全体で二千首弱ですので、露出度大です。
しかし、一時の熱狂だったのか、後鳥羽は、隠岐に流されたあとも、
新古今の編纂に情熱を傾けましたが、その隠岐本では、西行をばっさりと・・・
出家名もあざといですよ。西に行く・・・
西方浄土を目指しますってしおらしい(一見・・・笑)
いろいろ不穏な噂もあるのですが、心のおくそこには、なにやら葛藤もあったようです。
どこまで本心かわかりかねますが、新古今集の最後の歌は西行さんの絶唱
闇はれて 心のそらに すむ月は 西の山辺や ちかくなるらん
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