仏教というビジネスモデルの巧妙さに改めて感じ入ったのは先日のこと。
知人が、田舎の先祖代々の菩提寺を引き払うに際して多額の「離壇料」を支払ったらしい。
浅学菲才にしてかような金品の請求があるとは知らなかったし、
知る必要もなかったのだが・・・
日本仏教は、本来の仏教(上座部仏教)とは似て非なるものであると思っており、
その根源は、檀家制度と妻帯の容認だと思っている。
妻がいれば、子供が生まれる。
悟りを開いたはずの仏教者は、世俗の煩悩から開放されているはずだが、
子供以上の宝はこの世に存在しないと思えば、
なんとか財産なり地位なりを継承させたいと思うのは世の常。
親鸞聖人は偉大な仏教者なんだろうし、妻帯の有意差も考え抜いた上のことだろうが、
凡俗の後継者は、その意図を正しく理解しなかったようだ。
江戸時代の檀家制度とは、まことに巧妙な人民統治のシステムである。
お寺の檀家として登録されることにより、その「寺請証明」は戸籍証明そのものである。
百姓は、土地に縛り付けられたとされるが、むしろお寺さんに縛り付けられた。
妻帯制度とあいまって、お寺の住職とは「世襲の戸籍吏」で末端公務員に位置する。
土地という所有権は売買ができるが、檀家からの離脱は難しい。
先祖代々の墓石と骨壷を人質にする統治のメカニズムである。
お寺と檀家で構成される「団体」はある種の社団法人である。
寺の住職はその代表者の一人に過ぎない。
自然人であろうと法人であろうと存続のための原資がいる。
拝観料
お賽銭
法事供養料
その他サイドビジネス 等々
観光仏教寺院として食っていけるのが本当にごく一部
サイドビジネスだって、地の利とか・・・まあ才覚が必要なのである。
全国津々浦々、数万の寺院の多くは檀家の財布を当てにした「法事供養料」や
檀家の労務提供(お寺の掃除とか諸々の勤労奉仕)で維持されている。
檀家の物心ともどもの援助の対価が住職の宗教活動。
祖霊に対する毎日の読経とは、基本的には有償なのである。
いろんな説があるのですが、檀家が二百軒とか五百軒程度ないとお寺はやっていけないらしい。
しかし、地方の疲弊で寺院経営は苦しい・・・というか社団法人として瀕死の状態。
檀家がその寺院から離脱するのは「信教の自由」に照らし、とやかく言われる筋合いはない。
しかし、改葬を行う際には、お寺の「実質同意」がいるような法運用になっており、
ここに付け込み、法外な離壇料を請求する坊主が横行するようである。
社団法人の構成員としての義務不履行相応の金員を請求されるのは
ある種の債務不履行の履行請求で理解できなくもないが、
そうでない場合でも・・・NETの相談サイトを見るに
数百万とか一千万円以上の請求があるそうです(苦笑)
祖霊は、あの世にいるはずであり、骨や墓石は単なる偶像崇拝の代替物
礼拝の対象物がないとなんか手持ち無沙汰と思えば、自宅に仏壇と位牌がある。
毎朝花や水を供え、自己流で般若心経をつたないながらも唱えれば、それはそれで祭祀の形といえる。
高野山奥の院には名だたる歴史上の有名武将の墓石が並ぶが、毎度お掃除に子孫が
こられるのは、信州真田家くらいのものらしい。
観光資源としての意義はありげであるが、崇拝や祭祀の対象ではない。
所詮その程度と割り切れば・・・散骨がブームとなるのは理由がある。
墓所や墓石はどうでもいいが、お寺には「過去帳」を握られている。
これは困ったことで、生存する個人の情報を特定するに足る情報だとすれば
お寺は「個人情報取扱事業者」のはずである。
まあ、そんな高度なセキュリテー意識があるとも思えないが、
この理解が正しいのであれば、離檀の際にはまずこの情報を取り返さないといけない。
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