サルとヒトザルの大きな違いは、足裏にあり、素では歩き回れないようにヒトザルは
出来ている。従って、指輪物語のホビットは、ヒトザルよりもサルに近い。
ヒトザルの足底の保護具を「靴」という。
革とは、なめし皮のこと。
よって、靴素材は様々であるが、あえて「革靴」という物言いは、
馬から落ちて落馬し、女の婦人に笑われるようなものである(笑)
しかし、日本の気候には皮の靴は不向きである。
高温多湿だし、一日中靴を履いていれば確実に水虫になる。
公務員に多いらしいが、執務中はサンダルに履き替える・・・
合理的にはあるが、ある種無粋とも言える。
屋内では靴を脱ぐ文化とは、けだし日本古来の・・・って言いたいが、
探せばなくはないみたいです。
保護具に過ぎない割に、長い歴史性からかどうかは知らないが、
人格を具象するものと扱われる。
中近東では、靴を投げつけるのは最大の侮辱行為らしいし、
相手の地位や財力なんかを推し量るには「足元を見る」という。
映画的あるいは文芸的も暗喩としての靴のエピソードあるいは小道具に事欠かない。
主人公は、NYの下町の靴修理職人。
店の四代目だが、あまりうだつが上がらない。
有る時、屋根裏部屋の古風な修理機で靴修理を行ったところ・・・・
なんともファンタジックな出来事がおきるおとぎ噺。
たわいないだけが取り柄ですが、なんだか嬉しくなるような・・・・
靴そのものが重要な小道具・・・マクガフィンとなるケースは多々あるが、
靴修理職人が主人公は、実に珍しい。
靴磨きが登場する映画も、世界全体が貧しい時代の産物だ。
修理と言う職業も段々それに近くなる。
しかしである。使い捨てとは工業製品のこと
真っ当なファッションは修理をしながら長く使うものであるが、
そういう感覚はある種の贅沢感でもあるのです。
南洋装店(繕い裁つ人)の長年の顧客である老人はいいます。
長く着ている内にお直しをし、生地とかが体に馴染んでくる。
そういう感覚がわからないお前たち(孫とその友人)は、ファストファッションで十分だ
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