2015年6月9日火曜日

死シテハ護国ノ鬼トナリ・・・





多分に戦意高揚虚報記事のなせる「冤罪」だと思う。
少なくとも適正手続による裁判ではないが、勝者の裁判は予定調和で終わる。

はたして原本はこの通りかしらって疑問がないではないが、
全体の文脈からすれば違和感のある唐突な表現で彼の遺書は終わる。


日本刀なるものは、人斬りの道具としては不適切である。
武士の魂なんていうところからしても、過渡の精神性のみが強調され、実用性に乏しい。
戦犯で「百人斬り」の罪状で死刑になった彼がどんな日本刀を保有していたかしらないが、
軍刀の出来栄えの悪さには定評があった。
日本刀と名がついても、正宗や兼光クラスなんかまずお目にかかれない。

戦犯として処刑された彼は、法律上の取り扱いは「法務死」ですから、
靖国に神として祀られているに違いない。


改めて思うに・・・
戊辰以来の戦役で死亡した軍人や軍属は靖国に祀られる(賊軍は対象外)
合わせて民間人であっても、遺骨の引き取り手がいない場合は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に安置される。
一方で各地に「護国神社」があり、靖国と重複して祭祀を行っており、
大きな違いは、戦後の殉職者(自衛官、警察官、消防士)をも祭神とする点にある。

つまり、戦後の英霊顕彰は、個別に慰霊塔を建立するような場合を除き、
地方レベルでの各神社で篤志家の善意でささやかに行われており、
維持管理ができなくなった護国神社は廃絶の憂き目を見ている。

高野山の奥の院の墓苑では、名だたる製造系の大企業がその企業のために殉難した
社員の供養塔をお持ちであるが、それに引き換え・・・・

生存している個人(あるいは団体)が「自己の危難を顧みず人命の救助に尽力」した場合には
紅綬褒章が与えられるが、どうも民間人だけが対象のようです。
でも、尽力の結果逝去されると他の栄典はあるのでしょうが、褒章には与らない。
素朴にも、これが殉難の霊を遇する道かなあって思う次第。


仄聞するに、
海外派遣で殉難された自衛官の「処遇」に関して、内々のルールがすでに定められているらしい。
いかようなるものか「国家に殉じたものの処遇が如何にあるべし」って安保法制と並行で
国民的に議論すべきものだと思うが、
ややもすれば「派遣するから人が死ぬ」という倒錯した論議になるし、
不吉なことは言挙げしないって言霊思想が冷静な論議を妨げる。

後顧の憂いなく任務に邁進するには、

残された家族の生計は大丈夫か
国難に殉じた俺をちゃんと顕彰してくれるのか(犬死じゃないよね)
経験と歴史を後世に役立つように評価検証してくれるか

ってことをちゃんとやる仕組みがいるんですが、過去の派遣の結果
任務との因果関係は定かではないが、相当数の自殺者が出ていることを思えば、
やはり、メンタルヘルス対応の強化と「処遇」をきっちりと定めておかないと・・・

身を捨つるほどの祖国・・・・って、

海の霧深き頃、燐寸するつかぬ間にも寺山さんに指弾されますよ。




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