2015年6月29日月曜日

理容と美容




相当に昔のこと
我が部下が、総務・人事部門の強面に呼び出されたことがある。
つまらんことですが、茶髪のカラーリングを咎められたらしい。
吾輩の部下ですから「おそれいりました・・」と素直に恭順の意を表すようなタマじゃない。

茶髪くらい、うちの部長もやってますがな
まず、部長をとっちめてください!

これで一件落着(笑)

オトコのカラーリングが就業規則違反とは知らなかったし、
知ってれば、時代錯誤なルールだねえ・・って揶揄するが、
悪法も法であるから、一応順守はしますが・・・



美容院では「男性のカット」ができないとか、
やってことには大差ないわけですから、つまらん縛りがなくなった(通達の廃止)そうです。
一国の総理大臣が美容室でカットを当たり前のようにやっていたことの
追認ということなんでしょうが、これも最高権力者の役得ってもんですねえ。


いつから、こんな区分規制ができたのか調べるのはわけないのですが、
バカバカしいのでさておき・・・
理容とか美容という職業としての濫觴はといえば、どうも江戸時代にさかのぼるようです。
当時の言い方は「髪結床」
明確に、理容と美容の区分がありませんが、オトコ向きとオンナ向きの区分はあったようです。
つまりは、髪結床とは「男性用のサービス産業」
女性は、自分でやるのが嗜みとされており、遊郭の女郎相手の特殊なサービスに限られていた。
しかし、ゾンバルト先生の言うところの・・・・

資本主義の胎生は、非合法恋愛の合法的な子供である「贅沢」による。

世の中贅沢になると、髪型も複雑になり、プロでないと結髪ができなくなった。
幕府としては何度も禁止令を出した・・・つまり「贅沢の流れには竿はさせない」ってこと。
それに、当時ですから、女性の社会進出っていえば、この程度の職業しかなかった。



規制緩和っていいもんです。
十分の千円カットなんてニュービジネスも登場しました。
男性専用でもないので、まれに女性が時間のかかるカットに来てます。
三十分かかろうとも、おねだんは変わらないが、待ってる客のことを考えない
デリカシーの無さ・・・って、態度顔つきに現れています(苦笑)


江戸時代の髪結床は、株仲間と称するカルテル認可事業である。

ちゃんとしたお店を構えるケース(内床)
橋の袂なんかでの巡回営業(出床)
あるいは、顧客への出張営業(丁場)

いまよりも、営業形態が多彩ですし、
火盗改の御用聞きや消防団の真似事もやっていたようです。
お値段といえば・・・・これまた多彩ですが、通常一回二十八文(天保の頃)

一両=四分=十八朱=六千文 というのが当時の為替レート

天婦羅蕎麦 三十二文
お風呂 八文
握り  同上

と比定すれば、結構お安いですねえ(?)
ウィキだと、この十倍くらいの値段を書いてますが、出典が明らかでないのでなんとも言えない。
こちとらは、権威ある出版社の原典引用(笑)

天保の改革で規制緩和がなされた結果、髪結床が乱立し、
低価格サービスも登場したというのは当然のことである。


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