2017年9月20日水曜日

やめるにヤメラレナイ..だろうなあ






倭国の叙勲の場合、本人の功績、行状はもとより出身母体の身体検査結果も
問われます。
叙勲後の本人のスキャンダルもしかり。
フリンの場合は知りませんが、刑事罰に相当するような場合は
確実にアウト!で取り上げられるらしい。


翻って最高の栄誉らしい「あの賞」は貰ったもの勝ち(^^)
うろ覚えですが、今となっては倫理的に如何かと思われるロボトミー手術に
医学賞が授与された筈だが、その後剥奪したとも返上したとも聞いていない。
まあ、科学技術の場合は必ず光と陰がありますから、
軍事利用なんかを咎め出せばきりがない。


しかし平和賞だけは当たりハズレというよりハズレ外れの山ではないか。
業績の評価なりには時間がかかる。
何にだって、まことの花と時分の花がある。
とりわけ平和賞は「歴史の審判」を受けないと評価のしようがない。
受賞者一覧を眺めるに、団体としての受賞者は良いとしても
個人の受賞者は大抵が失礼ながら紛い物、、と言って悪ければ金鍍金。

キリスト教徒が運営しているのだから、法王庁の聖人選抜のメカニズムを
知らないわけはないだろう。
昨日今日にすんなり貰えるわけはなく、長い風雪に耐えてこそ。


晋書劉毅伝に有名な言葉がある

蓋棺事定(棺桶の蓋を覆いて初めて評価が定まる)

普通「ガイカンジテイ」と四文字熟語として使われますが、
漢検二級レベルの言葉。
しかし、含蓄深い言葉である。


本当は平和賞なんかやめちゃったら良いのですが、
創設者の意思からすればそうもいかないだろう。
せめては生存者は除外し、死後受賞だけにされては如何ですかなあ。
愚かしい政治的策謀も多少は減るだろう。


受賞リストを見ていてアレレとおもいましたが、
過去の二度の大戦中は受賞者がいなくて、終結した際に赤十字が貰っています。
複数回受賞した稀な例。

世界規模でドンパチのさなか、牧歌的に平和賞でもあるまい、、と言う意味かどうかは知りませんが、
ある種の示唆に富みます。
そうそう、冷戦最盛期も二年続いて対象者なしだった。

いまだって「テロの戦い」最前線ですよ。

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