2017年9月27日水曜日

関節が無音のまま壊れたみたいに、突然にその場に膝をつく。




プロテクト(抗議)の意味で「ひざをつく」という様は違和感とまでは言わないが
意味がよく分からない。
かつてのオリンピック表彰式であったような「黒手袋の拳を挙げる」なら
納得なんですがねえ。

事はホワイトファースト等の差別的言動に対する指導者の言辞に起因するが、
その是非やそれに抗議するパフォーマンスの適否は論じない。
ただそのスタイルの意味だけを追求したい。


ひざをつくという行為は古今東西ありふれた様である。

降伏や屈服の態度として
騎士叙任の際に
プロポーズの定番スタイルとして

どこから見ても「抗議」のスタイルはない。
これはひとえに浅学菲才のなせる技だと思い、アレヤコレヤと調べまくるが
古典的正統的文献だと歯が立たないみたい。
なもんで...不本意ながらサブカルのお助け(^^)


新開誠氏の「君の名は。」
知らなかったが、句点があったのか!
女風呂を空にしたほうには、確かなかったなあ。

立ち読みの最中に眼ざとくも見つけた小説の一節(今日のエッセイタイトル)
これは例えようもない「絶望」の表現なのだ。
再起不能ままでの深い哀しみ.....


ナンチャッテ世界中で大ヒットしたジャパンアニメ。
きっとこれにNFLのスーパースターが触発されたのだ
これなら得心納得理解可能に感情移入
メディアやメディアに踊らされるだけのネチズンは
どこをどう間違えたのか?
それとも蝸牛庵が誤読したのでしょうかねえ(笑)

演繹してここから抗議の意味を汲み取るのは間違いとは言わない。
パフォーマンスをやっている当人達もどこまで理解しているかは疑わしい。
しかし声高に激昂し言葉を荒らげる直接的な行動では表現出来ない気持っていうのも
世の中にはあります。
今回はそれだ!と断じることかどうか....は立場による。
国歌や国旗に対する毀損行為かどうか?
拳を振り上げるのは確かにそうだが、、、、
むしろ怒りよりも限りない胸の痛みを感じます。

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