2017年9月17日日曜日

関ヶ原(2)





再説しますが、司馬さんの原作に忠実に映画化するのであれば「会議室の陰謀」を中核に据えて
描くべきであった。
合戦シーンなんかろくに予算もないのだからオミット。
経過を図上演習マップでマンガチックに表現するだけでいい。

かつての最高のNFL映画は「ドラフトの駆け引き」だけを描いたあれ!
フィールドの激闘シーンがなくともスポーツ映画はつくれる。




いまんところ、アマゾンプライムには登場しませんが、
首を長くして待っています。



関ヶ原の合戦の名目上の大義は「何方が創業家の後見」の座に着くのか?
と言うこと。
家康にせよ輝元にせよ、早晩取って代わろうと言う野心は同じ。
経験不足な二代目に跡目を譲っても戦国の国盗り武将の血が騒いだ生き残り連中は
あちこちに居た。
誤算は呆気なく半日のワンサイドゲームだったと言うこと。
これは黒田如水の逸話に詳しい。


ある意味で嫐戦争でもあった。
正妻は尾張派。
子宝には恵まれなかったが、餓鬼の頃から慈しんだ腕白供(清正、正則ほか)
使嗾さえすれば、西でも東でもどっちにでもつく。
気分としては太閤亡き後の豊臣家には未練はない。
賢しらなあのメカケが気に入らん。

片や近江派。
淀君の血脈は高貴だし、嫡男を抱えている強みもある。
しかしながら、修羅場には「理や利」のような小賢しさよりも
ガムシャラな一念がモノを言う。
ここ一番の大舞台で決断ができない乳母日傘育ちのエリートはそんなものです。


三成は「義と利(理)」に生きる武将。
自分が正しいと思うことは相手も正しいと思ってくれるという天動説なオトコ。
天下分け目の大合戦なんかやらずとも、歴史の流れは
変わらなかったのですから、六番目の摂家としてミカドの藩屏の道を
選ぶという選択もないではなかった。


関ヶ原当時、家康は57歳。
年齢リスクとか多少の焦りはありますなあ。
以降の強引なやり方はひとえにそれです。

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