2019年12月8日日曜日

「市民」閑居シテ不善ヲナス(2)




我が人跡まれな寒村陋屋の南辺には
広辺な紀伊山地が広がり、高野、吉野、熊野と聖なる辺境がある。
翻り北から東にかけては葛城山系
役行者修業の地ですから、ここいらもまた聖なるエリア
この聖なる結界の狭間を紀ノ川が流れ、
かつては紀州五十五万石の収奪の場であった。

徳川御三家なんて有難がっているのは、三河から入府した際に
くっついて来た金魚か狗の糞のなれのはて
地侍の末裔は、長年強圧的支配権力の元に暮らした経験がない。
だから、敬語のない汚い方言を普通に喋る。
一揆なんかやっても勝ち目はないから、外来支配者にはひたすら面従腹背
八公二民なんて暴力的徴税権力にもめげずに、
老獪に生き延びた。
かかるが故に、紀州はなあ...犬は可愛くて賢いが、
ヒトザルは...と揶揄される所以。

そもそも八公二民といっても、
所得の捕捉がろくにできないのだから、
大昔に誰かが決めた税額を三百年踏襲したに過ぎない。
したがって計算上の税率が収入の八割と言うだけで、
収入が三倍になれば...普通の税率になる。
誰だっておかしいと思うし、それなりに生産性も上がっていた。
定期的に検地なり検見をやるもんだが...
この時代からかの地の公務員は真面目に働かない。
だから、県庁やらは就職と同時に養老院暮らし...なんてデキゴトロジーに
面白おかしく書かれる始末。


あれ以来徴税吏はうんともすんとも行って来ません。

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